2022年1月19日水曜日

今週の黙想文(エフェソ2:8-9)

あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。
……それは、だれも誇ることがないためなのです。
──エフェソの信徒への手紙2章8-9節

† † †

多くの人々にとって神様の救いが理解しがたい理由の一つは「対価なしに救われるはずがない」ということです。
これは、人が誰かを助けるとき、全くの打算なしにはありえない世界に私達が生きていることの証です。
しかしもし、私達に与えられる救いに神様が何か対価を求めたとしたら、私と神様との関係は救われても、他の人との関係は救われないままだったでしょう。
神様が救いにおいて私達の力を全く必要とされなかったのは、私たちの罪を見つめ、その救いが全ての人々との関わりのうちにも与えられるためだったのです。
それゆえ、私達にとって救いとは何かという問いの答えは、私達が信仰に立って他者との関わりを持つときに明らかにされるのです。
私達の信仰、その救いは、私達と誰かとの関わりをどのように支え、また変えてきたのでしょうか。
神様によって私たちの罪が赦されるという救いは、私たちもまたその罪を見つめ、避けようとすることにつなげられているのです。

(20220116週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。