2022年2月23日水曜日

今週の黙想文(使28:27)

『わたしは彼らをいやさない。』
──使徒言行録28章27節


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神学生の頃、聖研の場で「自分の子どもが教会から離れてしまった、どうすれば教会に戻ってくるだろうか」という質問を受けました。
この問いに正しい答えはありませんが、そのように教会から離れている時でさえ、神様の御手の内にあることを聖書は語っています。
イザヤが預言し、パウロがユダヤ人たちに語ったこの言葉は、神が時に人の心を悔い改めさせないようにすることもある、ということを伝えています。
それは徹底的に荒廃するまで続くとさえ言われるのです。
しかし彼らの心が荒廃し尽くした様子を切り倒された木にたとえる神は「それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。(イザ6:13)」と続けるのです。
神様は一人ひとりに最もふさわしい時に、本当にその人がキリストを求める時を備えてくださっています。
そのために、しばらくの時、神様から心を離す時をお与えになることもあるのだと思います。
その御心のうちに私たちが用いられるように信じて待つこと、そして聖なる種子たるイエス・キリストとの出会いが一人ひとりにとって必要な時に備えられるようにと、私たちは委ねて祈りたいのです。

(20220220週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。