2022年2月2日水曜日

今週の黙想文(イザヤ6:5)

「わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。」
──イザヤ書6章5節


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私たちが神からの赦しを信じ、それを受け取っても、悔い改めて生きることにはなかなか結びつかないものです。
神の赦しは確かに「ありのままのあなたを神は赦し、受け入れてくださる」という恵みですが、その恵みだけを享受して安心してしまいがちだからです。
神の前に立たされたイザヤは自らの罪を知っていたからこそ「私は滅ぼされる」と恐れおののいています。
神様の前に立たされた時、わたしたちはどれだけ身の潔白を表明できるでしょうか。
罪のゆえに滅ぼされると感じたことはあるでしょうか。
進んで誰かを傷つけようとする人はほとんどいません。
しかし良かれと思ってかけた言葉が相手を傷つけ、重荷を負わせることがあります。
一方的な思いを押し付けてしまうこともあります。
そのような罪は何一つないと言える人は誰一人いないのです。
自らの罪を見つめるからこそ、そこに神の赦しが与えられた時、預言者イザヤが「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。(8節)」と応えたように、またキリストに招かれたペトロのように、悔い改めて「すべてを捨てて従う(ルカ5:11)」新しい生き方へと導かれていくのです。

(20220130週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。