2022年6月12日日曜日

三位一体主日礼拝【礼拝動画】

本日6月12日は、三位一体主日の礼拝でした。



松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として、両教会10時半より礼拝が守られました。
三位一体主日ということで、三位一体の神様について聖書の言葉から考え、そこに示されている神様による寄り添いを受け取る時となりました。
梅雨入りも近いような天気が続いています。
恵みの雨となりますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
箴言8章1-4,22-31節〈旧p1000〉
ローマの信徒への手紙5章1-5節〈新p279〉
ヨハネによる福音書16章12-15節〈新p200〉


説教「徹底的な寄り添いのゆえに」

*祈り*

愛と寄り添いに満ちたもう主なる神様。
あなたはかつて預言者を通して語り、人々を導こうとされました。
しかし人々は都合の悪い言葉を聞き流し、預言者を亡き者としていきました。
そこであなたはみ子イエス・キリストとして自らこの世で語る者として歩んでくださいました。それでも人々はあなたを受け入れず、十字架へと追いやっていきました。
自分の愛するみ子を十字架の死に渡してなお、十字架を通して私たちの罪を赦し、悔い改めへの呼びかけをやめることのなかったあなたの姿にこそ、わたしたちへの愛と寄り添いとが表されていることを、受け取っていくことが出来ますように。
あなたは私たちを決して見捨てることなく、何度でも罪から解放される道を、み言葉を通して示してくださっています。
その御声にこそ私たちが聞き従い、あなたの愛と寄り添いのゆえに、絶えず悔い改めをもって望むことが出来ますように。
そしてあなたから注がれた聖霊のゆえに、私たち一人ひとりもまた、誰かを愛し、その心に寄り添い、共に立って支えあう者として立たせてください。

私たちのうちにある知恵と力とは、誰かを救い、誰かを助けるために使われるべきものです。
しかし必ずしもそうならず、むしろ誰かを傷つけ、そのいのちを奪うものとして使われてしまう現実が、世界中で起こり続けています。
主よ、どうかあなたがそうされたように、私たち一人ひとりもまた、この世界に生きる一つひとつの命に心を注ぐことが出来ますように。
一つでも多くのいのちがあなたの平安のうちに歩むことが出来るように、祈りを合わせます。
争いと恐怖の中にある人々をあなたが救い出し、あらゆる苦しみを引き起こしてしまう罪に、あなたが呼びかけてください。
誰一人として苦しみ続けることを望まないこの世界の中で、誰よりもあなたが、それを望んでおられません。
私たちの手が誰かを傷つけるのではなく癒すために、私たちの心が誰かを憎むためではなく愛するためにあなたから与えられていることを、どのような時にあっても忘れることがないように、聖霊なるあなたが、私たちと共にいてくださいますように。