2022年8月3日水曜日

今週の黙想文(1コリ12:18)

神は、御自分の望みのままに、
体に一つ一つの部分を置かれたのです。
──コリントの信徒への手紙 一 12章18節


† † †

パウロは教会を「キリストの体」にたとえて表現しています。
わたしたちの体のそれぞれの部分が必要な働きを担い、それぞれになくてはならないものとしてあるように、教会に集う私たち一人ひとりが必要な存在として、神様によって集められたのが教会という場だと説明するのです。
しかもそれは、一人ひとりが自分だけ持っているような特別な長所のために集められたのではないのです。
神様はあえて私たちの弱さをつなぎ合わせ、教会という場を造り上げることで、私たち一人ひとりもまた、互いに弱さに配慮しあう心を教えられているのです。
自分の中で嫌いな部分が一つもない、という人はそう多くありませんが、神様は、その嫌いを奇跡で好きに変えたりはしません。
嫌いのままでよい、と神様は私たちを受け止めて下さり、だからあなたをわたしは呼んだのだと言ってくださる、そこから神様との関わりは始められていくのです。
それこそが教会という神様との出会いの場であり、神様との関わり──信仰の初めの一歩なのです。
(20220731週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

1コリント12:18