見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。
──申命記11章26節
† † †
聖書の中で、祝福の対義語は呪いです。──申命記11章26節
† † †
旧約聖書の律法において、祝福とは神様の戒め、つまり御心に従って生きることであると言われます。
私たちがそうしないことを選ぶ時、神様の祝福を自ら捨ててしまうことによって、神様は私たちを守ることも導くことも出来なくなってしまう、それこそが呪いを受けることだと言われるのです。
神様は決して、自分の思い通りにならない者を切り捨て、従う者だけを贔屓するお方ではなく、私たちが一人残らず神様の祝福のうちに生きてほしいと願っておられるからです。
そのような神様の御心に私たちが生きることが祝福であるように、私たちが誰かを祝福するということは、その相手に善い言葉をかけることから始まります。
ある牧師は聖書は神様からのラブレターだと表現しました。
私たちが祝福のうちに生きること、そして誰かに神様の祝福を祈ることは、私たちが神様から受けた愛の言葉を、また私たちが他の誰かに伝えていくことなのです。
(20220911週報記載)
……今週の黙想とは……
日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。
あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。