2022年9月21日水曜日

今週の黙想文(エフェソ1:16)

祈りの度に、
あなたがたのことを思い起こし、
絶えず感謝しています。
──エフェソの信徒への手紙1章16節


† † †

福音書が書かれる前の時代には、パウロがそれぞれの教会に宛てた手紙が聖書の説き明かし、つまり説教の代わりとして読まれていました。
それは、パウロがキリストの宣教者として偉大な人であったから、というだけではありません。
手紙によってはパウロ自身の怒りや悲しみが赤裸々に表されているものもあります。
それらすべてを神様に帰しているその信仰が、キリスト者として倣うべき在り方であるからです。
彼はここで、キリストを通してエフェソの教会の人々に与えられた神様の恵みと救いについて思い返し、人々が今もその救いに与かっていることを神に感謝しています。
人々への手紙の内実が福音のメッセージと祈りになっているということは、キリスト者の信仰が本来、人々との関わりと日常に深く結びついていることを証しています。
他の人々との関わりのうちに起こされる怒りや悲しみ、喜びや平安を、キリストへの信仰を通して受け止めていったパウロの姿に私たちも倣い、そのすべて感謝と祈りをもって神様に委ねる信仰生活を歩みたいものです。
(20220918週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。