2022年10月19日水曜日

今週の黙想文(箴4:2)

わたしは幸いを説いているのだ。
──箴言4章2節


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箴言は父が子に教える形で書かれた教訓集です。
その教えを守る屋台骨が「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け(3:5-6)」という言葉に表されています。
同時に、神は私たちに対して都合の良いことばかりを与えてくれる存在ではないこともはっきりと教えています。
私たちの目の前に、神様の救いも導きも見出せず、ただ不条理な苦しみにしか思えない現実が広がっていることは珍しくありません。
今まさにそのような苦難に直面しているかもしれません。
しかしだからといって、その現実が、神が私たちを見捨てられたことの証明にはならないことを箴言は教えるのです。
無情で不条理な現実は確かに存在し、私たちを苦しめます。
しかしその不条理に意味と理由を求め続けるなら、そのような私たちと共に考え、意味を与えてくださるのが神様であるからです。
徹底的に人々の隣人として、友として生きられたイエス・キリストの姿に、そのような神の御心が表されているからです。
だからこそ私たちはどのような苦しい時にあってもなお揺るがない「幸い」を説く父なる神の声に、耳を傾けたいと思うのです。

(20221016週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。