なにが主に喜ばれるかを吟味しなさい。
──エフェソの信徒への手紙5章10節
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わたしたちはついつい「何をすればよいか」ではなく「何をしてはいけないか」という言葉を使ってはいないでしょうか。──エフェソの信徒への手紙5章10節
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誤ったことをしている人に対して、それが正しい指摘や戒めであったとしても、なかなか聞き入れてもらえない経験が、誰しもあると思います。
パウロ当時のエフェソの教会の人々の間でも、貪欲や下品、愚かさなど、不道徳なことが多くみられていたと言います。
しかしパウロは彼らを厳しく戒め罰するのではなく、何が神様に喜ばれることかを考えるようにと促すのです。
それは「(あなたがたは)以前は暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています」とパウロが言っている通り、彼らがキリストを信じたことによって、既に神様から「光の子」とされているからです。
人はいくら誰かから言われたとしても、自分から悔い改めようとしなければ変わることはできません。
ですからパウロも彼らの過ちを指摘し正しくしようとするのではなく、人々の肯定的で前向きな部分を明るみに出すことによって、自ら悔い改めへと押し出していくのです。
このような「主に喜ばれる」関わり方を私たちも学びたいものです。
(20221120週報記載)
……今週の黙想とは……
日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。
あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。