2023年4月19日水曜日

今週の黙想文(マルコ11:3)

『なぜ、そんなことをするのか』
『主がお入り用なのです』
──マルコによる福音書11章3節


† † †

イースターを迎え、神様が私達に備えてくださった救いのすべてが明らかにされました。
私達はその救いに生かされ、また関わり合う人にもその救いを証しする役割を命じられた者であるはずです。
しかし宣教というと、どこかで「私にはそんな大それたことは出来ない」と感じている人がほとんどではないでしょうか。
主の福音を人々の前で明確に言い表すことは素晴らしい宣教の働きですが、その当人が神様への悔い改めに生かされた人であるように見えなければ、その証は全く力を持たないでしょう。
キリストはエルサレムへと迎えられるとき、王でありながら無力な子ロバに乗ることを選ばれました。
それは預言の成就のためでもありましたが、そこには神様への服従と、何より謙虚さが現れています。
私達一人ひとりが神様の宣教のためにご入用とされている、そのことを心に留めて歩むとき、目に見えて他者に称賛されるような働きばかりでなく、謙虚にその身を振り返ることもまた大切であることを思わされます。

(20230416週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。