2023年6月5日月曜日

牧師エッセイ(2023年6月)

教会の庭にあんずの樹があり、毎年少なからず実をつけてくれます。
年によって大豊作の時もあれば、枝を見てもほとんど付いている実が見つからない年もあります。

昨年は大変な豊作だったため、今年はあまり実がつかないだろうなと思っていましたが、案の定パッと見た感じ、ほとんど実が見つかりませんでした。
これもまた神様からの恵みなのだから、そういう年もある、と、少し残念な気持ちを飲み込んでいました。
しかし別の日によくよく見てみると、手が届きそうな下側の枝にはあまり実が見つかりませんでしたが、樹の上の方、手の届かない天辺近くを見上げてみると、しっかり実がたくさん付いているのを見落としていたことがわかりました。
それを見つけた時、自分は神様の恵みを侮っていたことに気付かされました。

神様の恵みというのは、いつでも私たちの目の前に、見つけやすい形で与えられるものばかりではないのだと思います。
パウロもまた神様に「わたしの恵みはあなたに十分である。(2コリ12:9)」と諭されているように、私たちの目には見えなくとも、神様は天において確かにわたしたちのための恵みを用意してくださっているのです。
私たちは目に見えるものだけで神様の恵みが多い少ないと判断するのではなく、そのような神様に信頼することによって「十分な恵み」を感謝して受け取ることができるようになるのです。

昨年のあんず