2024年3月4日月曜日

牧師エッセイ 2024年3月

松本教会・長野教会の牧師としての働きを締めくくる時を過ごしています。

赴任して6年、過ごしてみるとあっという間でした。
この長野に赴任してまず初めに驚いたことは、お茶請けに野沢菜の漬物を出されたことです。
信徒の方の訪問で出される野沢菜は、ご家庭それぞれで味が違い、しっかり塩気の強いものから、甘じょっぱいものまで様々でした。

お茶請けというのは元々お茶の味を引き立てるものとして出されるものでした。
いわば、お茶の仲立ちをする存在と言えるでしょう。
ご訪問の際には教会では話せない個人的な信仰の話をしてくださる方もいらっしゃいました。
牧師としても、信仰者としてもまだまだ未熟な私にとって、お一人お一人の長い人生の道のりに神様が共にいて働いてくださっていることを深く知らされる時間でもありました。
このような中で、ふとお茶とお茶請けの関係は、神様が私たちを通して働かれる形と似ているなと思わされます。
神様は私たちの体と言葉、信仰を用いて神様の慰めや働きをこの世に示されることがあります。
それは、様々な味のお茶請け(私たち一人一人)によって引き立てられるお茶(神様の働き)のようであり、お茶請けがあるからこそ、お茶がよりおいしく感じられることにも通ずるようにも思うのです。

皆様が迎え入れてくださり、ここまで支えてくださったことで、今日の私は牧師として立たされることができています。
そのことを皆様に感謝しつつ、教会に連なるお一人お一人が、これからも様々な賜物を生かした神様の善き手足として働く、信仰の旅路を歩んでいけるようにと祈っています。