2019年6月20日木曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

──ヨハネ福音書16章12-15節

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1.3人の神様?

キリスト教には三位一体という言葉があります。これは、神様、イエス・キリスト、聖霊という存在が、一つの神様である、ということを表す言葉です。
しかしこのことは普通に考えて、合理的ではありません。
なぜ、この合理的ではない説明を当時のキリスト者たちは採用したのでしょうか。様々な理由があると思いますが、そこには「一人の神様である」ということを、譲ることのできないものとして大切にしていたのではないでしょうか。

2.彼らが持っているもの

今日の箇所では、神である三者が一体である、ということよりも、彼らが持っているものは同じものである、ということがあらわされています。
「父」と言われる神様と、「わたし」と言われるイエス・キリスト、そして「その方/真理の霊」と言われる聖霊は、同じものを「持って」おり、そしてそれを弟子たちに「告げる」というのです。
それでは彼らが持っているものとは何であるのでしょうか。

3.与えられる約束

ヨハネ福音書の14章から、イエス・キリストの告別説教が語られ始めています。今日の箇所はその最後の部分になります。
告別説教は「ぶどうの木」のたとえ話を挟んで前半と後半に分けられます。
後半で語られているのは、弟子たちに聖霊を与えるという約束です。それに対して、前半の箇所の中心的なキーワードになっているのは「愛」です。
ヨハネ福音書全体から見ても「愛」「愛する」という言葉の8割がこの箇所の中で使われているからです。
告別説教は、いわば弟子たちに向けた遺言のようなものです。
キリストの最期の教えとして、弟子たちにどうしても知っておいてほしかったこと。それは、神様があなたがたを愛しているということ、それゆえに聖霊を送り、あなたがたを絶対にひとりにはしないということでした。
それゆえに、今日の箇所で神様、イエス・キリスト、聖霊が持っている一つのものとは「愛」だと、言えると思うのです。

4.ゼロ距離の神様

私たちは誰かとの距離が離れれば離れるほどに、その人を愛することが難しく感じるのではないでしょうか。
私たち人間にとって神様もまた、そのような存在であったのだと思います。
旧約聖書の中では、天におられる神様から何度も心を離してしまう人々の姿が描かれています。それでも神様は彼らを赦し、愛し続けました。
だからこそ、新約聖書においては人々と同じように関わることのできる、イエス・キリストという存在となられました。
けれども人々は神様を、十字架にかけようとしました。
だからこそ、ついに神様は聖霊という形をとって、私たちのところへ来られたのです。
神様の愛を私たちに届けるために、聖霊として、私たちのゼロ距離にまで神様は近づいてくださったのです。

5.愛を届ける三位一体

だからこそ、今日の福音書の箇所の最後に、イエス様はこのように言うのです。

「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

この言葉は、このように読み替えられると思います。

「神様が持っておられる愛はすべて、わたし(イエス様)の愛でもある。だから、わたしは『聖霊がわたしの愛を受けて、あなたがたにその愛を告げる』と言ったのである。」

どんなに合理的でなかったとしても、キリスト者たちがこの三者を一つの神様であると告白し続けた理由は、ここにあるのだと思います。
唯一の神様が、私たちにたったひとつの愛を届けるために、三つの姿を取って近づいてきてくださった。
今やわたしたちのただ中に、ゼロ距離に生きておられる神様、それが、三位一体という名の福音であるのです。