2019年7月25日木曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」


──ルカ福音書10章25-37節

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1.隣人を選ぶ人

律法の専門家が「わたしの隣人とはだれですか」とイエス様に問いかけています。この問いは律法学者たちの間で長らく答えの出ない問いでありました。
そこに、イエス様はこのようなたとえ話を語られるのです。
ある人が追いはぎに襲われ、倒れているところに、祭司、レビ人、サマリア人の三人がそれぞれ通りかかりました。しかし祭司とレビ人は「道の向こう側を通って」避けて通り過ぎていきました。
当時のイスラエルにおいて、宗教的な儀式は日々のあらゆるものに結び付いていました。
特に祭司やレビ人は人々に律法を語り、律法を遵守する立場にありました。
そのような彼らが「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉を知らなかったはずがありません。それでいて追いはぎに襲われた人を避けて通っていったのは、彼らが「隣人」が誰なのかを、自分で取捨選択していた、ということを表しています。
それは「自分を正当化しようとして」罪人から目をそらし、律法を守っている人々だけを隣人としていた律法の専門家のことであったのです。

2.隣人に選ばれる人

たとえ話の中で、サマリア人だけが追いはぎに襲われた人を助けています。彼は追いはぎに襲われた人を「憐れに思い」、介抱しています。そこにあるのはただの同情ではありません。
この言葉は新約聖書に12回ほど登場しますが、3回がこのようなイエス様のたとえ話、残りの9回がイエス様ご自身が奇跡を起こされるときの思いに使われています。
いてもたってもいられないほどに心を震わせる、神様ご自身の共感によって、彼は手を差し伸べられていくのです。
それゆえ、サマリア人が彼を隣人として選んだのではありません。
追いはぎに襲われた人が、サマリア人を隣人として、選んでいったのです。

3.愛に突き動かされていく

わたしたちにとって、隣人とは誰でしょうか。
もしここで文字通りに近しい人、愛している人や最も親しい人、同じクリスチャンといった枠にとどまっているのだとしたら、私たちはもう一歩、踏み込んで捉えなければならないでしょう。
隣人とは具体的な誰かに留まることがないからです。
身体的にも、霊的にも、助けを求めてあえいでいる人であれば誰であれ、寄り添い、痛みに共感していくことで、私たちはその人の隣人とされていくのです。
なぜ私たちがそのようにしていくのか──その理由は一つしかありません。
そこには助けを求める人々を憐れに思い、いてもたってもいられない、そのような神様がおられるからです。
そのような神様を、私たちが「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、」愛しているからこそ、私たちもその愛に突き動かされていくのです。

4.あなたの隣人は誰か

「隣人を自分のように愛しなさい」という神様の言葉には、私たちが自分を愛していることが前提とされています。
わたしたちがまず愛すべき隣人とは、私たち自身であるのだと思います。私たちが傷つき、誰も愛することが出来ないほどに倒れこんでいるとき、神様は深い愛をもって、手を差し伸べてくださるお方であるのです。
あなたの隣人とは、誰でしょうか。
先週のみ言葉を通して、私たちは神様の思いを私たち自身の思いとすることを聞きました。そして今日の箇所で、イエス様は「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われています。
神様が愛をもって私たちに関わってくださっているように、私たちも全ての人のうちに、神様の愛をもって関わってまいりたいと思います。