2020年2月26日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ11:40)

もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか。
──ヨハネ福音書11章40節

† † †

葬式の際に読まれるラザロの復活の出来事は、死の悲しみを越えた慰めに満ちています。
しかしどうしてキリストがラザロの病を癒されなかったのかということに目を向けると、そこにはマルタの姿が見えてきます。
彼女は以前、奉仕よりもみ言葉を優先するマリアを理解できませんでした。
しかし今やラザロの病と死を通して自らキリストを求めることを教えられていったのだと思います。
私たちは普段、病や苦難の中にない時にもキリストを求めているでしょうか。
自らは奉仕のわざに没頭し、神様は苦難を取り除く奇跡の担い手としか見ていない、そんな日々を送っていませんか。
キリストはいつでも私たちに語り掛けようとしておられます。
今日という日に与えられる喜びと恵み、慰めと癒しのすべてに満ちておられます。
その方からみ言葉を聞くことから、今日、明日と新しい一日を始めましょう。

(20200223週報記載)


……今週の黙想とは……
日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れていただく機会として用いられれば幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はどのようにみ言葉を聞いて感じたかを、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。