2021年1月20日水曜日

今週の黙想文(マタイ5:8)

心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
──マタイ福音書5章8節


† † †

自分の心は本当に清いのでしょうか。 こう問われて、自信を持って頷くことが出来る人はほとんどいないでしょう。 ましてや、神の前であれば尚更です。 私たちの誰もが一度はうそをついたことがあるし、何気ない一言が誰かを傷つけてしまったことがあると思います。 そうだとすると、私たちの誰一人神様を見ることが出来なくなってしまいます。 キリストはそのような絶望を私たちに語りたかったのではありません。 この「清い」と訳された言葉を原語に遡ると、「混じりけのない」、つまり心に隠し事や偏りがない誠実さ、を意味する言葉だそうです。 神の前において私たちは心の中にあらゆる思いや罪を抱えています。 しかしそれらを隠したり目を背けるのではなく、そのような自分自身を神様の前に打ち明けるとき、キリストの十字架を通して赦しを見、悔い改めへと向けられる「清い心」とされるのです。
(20210117週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。