2021年1月27日水曜日

今週の黙想文(マタイ8:15)

イエスがその手に触れられると、
熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。
──マタイによる福音書8章15節


† † †

牧師になるための学びの中で、CPEという、対話を通して自分自身を掘り下げていく授業があります。
想像を絶する過去と絶望を過ごされた方々との対話の中では、どんな言葉をかければいいのかわからなくなる時がしばしばあります。
そのようなとき、その方の手を握らせていただいたときがありました。
何日か後、同じ方とお話していたとき、「あのとき手を握ってくれたことがとても嬉しかった」と言われました。
自分の未熟さと無力さの中で手を握ることしかできなかった行為を通して、イエス様が寄り添い、その手で触れてくださったのかもしれないと思った出来事でした。

触れるということが難しい世の中になってしまいましたが、キリストはただ触れるだけではなく、心にも触れて、心をも癒してくださるお方であるからこそ、ペトロのしゅうとめも「もてなし(奉仕)」へと押し出されたのかもしれません。
私たちが心に寄り添うこと、心からの奉仕とはどのようなものかを、改めて考えてみたいと思います。

(20210124週報記載)


……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。