2021年8月11日水曜日

今週の黙想文(マタイ9:12)

医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
──マタイ福音書9章12節


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年を取れば取るほど病気が悩ましく思うとよく聞きますが、老若男女、誰一人逃れることのできない病があります。
「罪」という病です。
「罪が支払う報酬は死です(ロマ6:23)」と言われているように、罪から出る苦しみの中で最も深いものは、誰かの命が喪われてしまうことです。
しかしキリストが信仰を通してお与えになる永遠のいのちは、地上のいのちの終わりが通過点となり、永遠の御国において再び会うことが出来るという福音です。
私たちは「新しく生まれさせ(テトス3:5)」られます。
そこで何よりも大切なことは、十字架のキリストが信仰を通して罪が引き起こすあらゆる苦しみを拭い去ってくださるという福音なのです。
パウロは「自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして捧げなさい」とロマ書12章においてキリスト者に勧めています。
信仰の歩みは、この永遠のいのちの福音を信じ、自分のいのちの全てを神様の御心のままに委ねますと祈ることから始まるのです。
魂の医者であるキリストの言葉を深く心に留めつつ、信仰の旅路を歩み続けてまいりましょう。
(20210808週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。