2021年10月27日水曜日

今週の黙想文(ローマ1:17)

福音には、神の義が啓示されています
──ローマの信徒への手紙1章17節


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神の義とは神様の正しさのことですが、この箇所を読んだルターは困惑しました。
彼はひどく自省的な人物であったため、律法に示された神の正しさは福音であるどころか、どんなに努力しても神の前に全く不完全で罪深い自分の姿を自覚させられるだけだったからです。
聖書のみ言葉が教える生き方はどれも私たちにとって難しいと感じるものばかりかもしれません。
それを全うしようとすると、ルターと同じように神様に正しく生きられない現実に苦しくなるばかりです。
しかしルターはこの箇所に続けて語られている「正しい者は信仰によって生きる」という言葉にたどり着きました。
この不完全で罪深い私たちだからこそ、キリストは私たちの代わりに十字架にかかり、その罪を償ってくださいました。
それこそが神様の正しさ、愛なのです。
キリストを信じる私たちをどうにかして救わんとする福音がそこに表されていることを、パウロは語っているのです。
信仰を通してその福音をただ受け取る時、私たちのうちには感謝の心が与えられます。
それゆえルターは罪から自由にされた身をもってこのように述べるのです。
「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、誰にも服しない。
 キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、誰にでも服する。」
(『キリスト者の自由』1520年)。

(20211024週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。