2022年1月12日水曜日

今週の黙想文(イザヤ62:1)

エルサレムのために、わたしは決して黙さない。
──イザヤ書62章1節


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映画にもなった遠藤周作の『沈黙』の中で描かれているのは「神の沈黙」ではなく「人には神が沈黙しているように見えても、決して神は沈黙などしておられない」ということです。
最終的に踏み絵に屈する宣教師ロドリゴが、彼に踏まれることを赦すイエスの声を聞いたように、また映画版のラストでは廃教の文言を綴りつつも黙する信仰を仄めかす描写があることからも、神の働きが必ずしも目に見えるかたちで起こらなくとも、極めて個人的な、霊的な語り掛けによって信仰が保たれるという慰めを力強く語っているのです。
バビロン捕囚の絶望の中で、預言者イザヤは希望の言葉を語ります。
それは、イスラエル王国が壊滅する程の罪の中にあった人々を決して見捨てず「黙することのない」神がおられるという希望でした。
私たちが神様の働きを日々に見出す鍵は、この愛ゆえに「黙することのない」神様がおられることを信じる信仰にあるのです。

(20220109週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。