2022年2月16日水曜日

今週の黙想文(サム上16:7)

「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
──サムエル記上16章7節


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弟子トマスが主の復活に関して「この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない(ヨハネ20:25)」と言った通り、私たちはどうしても目に見えるものを重視しがちです。
それはつまり「わかりやすさ」の重視と言えるでしょう。
時代と共に技術革新が起こり、どんな情報でも昔よりもずっと速く、簡単に手に入るようになってしまいました。
その結果私たちは、「わかりにくい」「目に見えない」ものを時間をかけて理解することを昔よりも避けるようになってしまってはいないでしょうか。
その「目に見えない」「わかりにくい」ものの筆頭は、私たちの本質、心です。
私たちの心を、誰よりも理解しようとしてくださった方こそ、神様ご自身、主イエス・キリストでした。
キリストと関わりを持った人々は、自らの心を引き出され、心と心の深い交わりへと招かれていきました。
神様が私たちの心をご存知であるのは、私たちが自らの心を見つめられるように、それゆえに隣人の心に寄り添えるように、忍耐強い関わりへと生かすためであるのです。

(20220213週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。