2022年3月9日水曜日

今週の黙想文(マタイ11:28)

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
──マタイ福音書11章28節


† † †

大変慰め深いこの御言葉は、良く誤解されることがあります。
それは、教会に来れば、キリストを信じれば、辛いことや悲しいことはすっかり取り除かれる、と捉えられることがあるからです。
しかしこの言葉に続いて「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(30節)」と続けられているところに、キリストの本当の慰めがあります。
キリストは私たちから様々な苦しみ──「軛」と「荷」を取り除かれる方ではなく、キリストが私たちの代わりに重荷を背負ってくださることによって、私たちの荷を「負いやすく」「軽くする」してくださるお方であるのです。
愛する誰かが苦しんでいるとき、私たちは「ああ、私が代わってあげられたらどんなによいだろうか」と思います。
その深い愛を、キリストはいつ何時にもあなたに注いでくださっているのです。
その招きの言葉に応え、キリストに自分の重荷を打ち明けることから、私たちの魂の休息は始まるのです。

(20220306週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。