2022年3月7日月曜日

牧師エッセイ(2022年3月)


牧師宅の飼い猫


とある先生が、「祈りには『さかなとねこ』が大切です」と仰っていました。
つまり、「さ」んび、「か」んしゃ、「な」ぐさめ、「と」りなし、「ね」がい、そして罪の「こ」くはく、これらの頭文字を取って『さかなとねこ』なのだそうです。
大変意味深い言い回しに感心してしまいました。

言い得て妙なのは、「ねことさかな」という順番ではないというところです。
つまり、祈りにおいてまず讃美と感謝を祈り、慰めを受けるからこそ、私たちは初めて神様に心を向けることが出来、御心に適った願いと罪の告白へと導かれていくものだからです。
そして、その間を取り持つのが、接続助詞である「と」──すなわち執り成しの「と」であるというところにも唸ってしまいました。
さらには、魚と猫というと、魚は猫に食べられるものという関係性の中にありますが、「さかな」──つまり讃美と感謝と慰めが先に与えられるところ、何事にも神様の働きが先んじてあるからこそ、私たちが生かされる存在とされていることを聞き取ることが出来るのです。

日々たくさんの出来事が起こり、なかなか私たちは感謝と讃美から祈りを始められないかもしれません。
「ね」がいが開口一番に出てきてしまうこともしばしばです。
しかしそのような私たちの罪に気付かされるからこそ悔い改めて、日々の「さかな」に目を留めることを大事にしつつ、祈りの生活を続けたいと思うのです。