2022年4月6日水曜日

今週の黙想文(マタイ21:7)

ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、
イエスはそれにお乗りになった。
──マタイによる福音書21章7節


† † †

キリストが都エルサレムに入るとき、人々は彼をイスラエルを解放する軍事的な王として迎えました。
その思いを知っていたからこそ、キリストはこの世の王が乗るような立派な出で立ちを避け、弱弱しい子ロバにお乗りになったのです。
そこには、目に見える人の力によって争いあい、人の間で支配する側とされる側を奪い合うような関係の中には、永遠に平和がもたらされないというメッセージが込められていたのです。
最も弱い者に目を向け、共存のために何が出来るかを考えることが、神様のみ心でした。
誰よりも強い神の力を委ねられたキリストご自身がその模範となるために、ロバにのった救世主は、最期には人の最も弱い部分、死をも顕わにしながら十字架へとかけられていったのです。
キリストは決して力を否定したわけではありません。人々を救うためには御言葉と奇跡の力を惜しみなく用いられたからです。
大切な点は、その力を用いる理由を、キリストのようにまず神様のみ心に尋ねているか、ということにあるのです。

(20220403週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。