2022年4月20日水曜日

今週の黙想文(ルカ24:30)

一緒に食事の席に着いたとき、
イエスはパンを取り、
賛美の祈りを唱え、
パンを裂いてお渡しになった。
──ルカによる福音書24章30節


† † †

エマオへの途上の中で、同行していた人が復活のキリストと気付かされたのは、パン割きの出来事を通してでした。
聖餐を受けることで弟子たちは目が開け、「イエスだとわかったが、その姿は見えなくなった」と続けて語られます。
キリストの働きの多くは、私たちの目に見えるかたちで起こることがあります。
例えば関わりあう相手を通して、燃えるほどの信仰を呼び起こす交わりや、いのちを養う食卓の場を共に囲むという恵みとして与えられます。
その他者のうちにキリストの働きを見出す時、初めて私たちはその他者を「キリストが引き合わせてくださった相手」として見ることが出来るようになるのです。
だからこそキリストが姿を消されたのは、今や相手を通してキリストと再び出会うことを終え、自分がキリストと共に生きる者とされたことが表されているのです。
そして、その歩みは聖餐という出来事を境にしています。
聖餐とは私たちがキリストと再び出会う場所であり、キリストがわたしたちのうちに永遠に生きるいのちになってくださるという出来事です。
そしてそれは洗礼の想起でもあります。
私たち一人ひとりの信仰の出発点を思い起こすことから、キリストと共なる、愛に満ちた歩みへと踏み出してまいりましょう。

(20220417週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。