2022年5月11日水曜日

今週の黙想文(ヘブ11:1)

信仰とは、
望んでいる事柄を確信し、
見えない事実を確認することです。
──ヘブライ人への手紙11章1節


† † †

先日全国のルーテル教会がZOOM上で一堂に会し、平和と共働のための祈りを合わせました。
その説教の中で分かち合われたこのみ言葉は、先の見えない今日において励ましを与えてくれるものでした。
この2年間、一日でも早くコロナ禍が過ぎ去ることをどれだけ祈り求めたことでしょうか。
未だに感染の猛威は収まることを知らず、様々な形で自粛を迫られ、人と人との関わりが断ち切られてきました。
このような苦しい現実のどこに神様を見出せばよいのかという問いは、わたしたち信仰者に重くのしかかってきます。
信仰という日本語は「信じて仰ぐ」という私たちの行為に主体が置かれていますが、元のギリシャ語のピスティスという言葉は他にも「(神の)真実」という意味も持ち、元々神様が主体となる言葉です。
それゆえ私たちの信仰とは、神様が主体として『「神が」望んでいる事柄を確信し、「神の」見えない事実を確認すること』だと聖書は教えるのです。
私たちが傷つき、苦しみ続けることを神様は望んではおられません。
私たちの祈りが願い通りにならなくとも、神様は一人ひとりを苦難から救い出すために絶えず働き続けておられるということだけは確かです。
その信仰を通して現実を見る時、苦難のうちにある慰めと励ましの事実が確かにあることを、知らされるのです。

(20220508週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。