2022年5月15日日曜日

復活節第5主日礼拝礼拝【礼拝動画】

本日5月15日は、復活節第5主日の礼拝でした。
長野教会は家庭礼拝として、松本教会は主日礼拝として、10時半から守られました。
ライブ配信において祈りを合わせてくださった方々にも感謝いたします。

長野県でも少しずつコロナも減少傾向に転じているようにも見え、今週も会堂での礼拝が守られたことに感謝しています。
今日は昨日から降っていた雨のせいか、久しぶりにまた寒々しい朝になりました。
また、体調を崩された方もおられました。一日でも早い癒しが与えられるようにと祈っています。
様々な困難が襲い来る私たちの生涯の歩みの中にあって、キリストが私たちと共に格闘してくださっていることをおぼえつつ過ごしたいと思います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録11章1-18節〈新p234〉
ヨハネの黙示録21章1-6節c〈新p477〉
ヨハネによる福音書13章31-35節〈新p195〉


説教「生きるという格闘の中で」

*祈り*

愛に満ちたもう導き主なる神様。
イエス・キリストの生涯は、いつでも命がけでした。
弱い人間一人ひとりの力を借りて、あなたはマリアを聖霊によって身ごもらせ、一人の人として生まれ、何度も殺されそうになりながらも、人として私たちの間に生きてくださいました。
あなたの力をもってすれば、イエス・キリストを送らずとも、わたしたちを救いへと与らせることは、簡単なことであったでしょう。
しかし主よ、あなたは敢えて弱く罪深いわたしたちの手を借りて、救いを成し遂げることを選ばれました。
それは、あなたが私たちを深く愛し、一人ひとりの存在を尊び、その心に寄り添ってくださるためでした。

イエス・キリストの歩みと眼差しは、いつでも弱さの中にある人々へと向けられていました。
それは、心身の弱さに限らず、罪によって自分の弱さに目を向けられない人々にも注がれていました。
イエス・キリストを通して語られた御言葉は、確かにわたしたちの罪と弱さを明るみに出すものです。
しかしそれは私たちを裁くためではなく、私たちを愛へと生かし、御心に適った生き方へと導くためであることを、キリストはその姿を通して語ってくださっています。
どうかわたしたちの生涯の中に降りかかるあらゆることが、あなたの導きの中にあり、私たちがいっそうあなたの愛に目覚めるための糧として、受け取ることが出来ますように。
世界中で争いと悲しみが満ちています。
あなたの愛が失われ、平和が奪われている人々がいます。
どうか主よ、私たちがわたしたちのうちに正しさと愛を定めるのではなく、あなたが教えられた愛に立ち返ることが出来るように、何度でも愛の掟を語り直し、また私たち一人ひとりを支えてくださいますように。
そしてどうか、今日この場所から新しい一週間を歩みだす私たち一人ひとりとあなたが共にあって、愛に満ちた日々を過ごすことが出来るように、私たちを力づけ、導いてください。