2022年8月8日月曜日

牧師エッセイ(2022年8月)

第一子が生まれて2ヶ月が経ちました。
赤ちゃんはお腹が減った、オムツを替えてほしい、暑い、寒い、眠い……いろいろな必要を言葉で伝えられないので、「泣く」の一択で知らせてきます。
夜中でも早朝でも3時間毎に泣くので睡眠不足になり、特に最初の1か月は、夫婦二人とも心身共に疲れ果てていました。

ある日のことです。
赤ちゃんのオムツは水分を吸収すると外側の模様の色が変わり、替え時がわかるようになっています。ふとそれを見てみると、色が変わったところに「ありがとう」というメッセージが浮かび上がっていたのです。
その一言だけで、つらかった心が軽くなり、救われたような気がしました。
育児の大変さに囚われていた心が、子どもへの愛情へと立ち返らされる出来事でした。

私たちが過ごしている日々の中には、私たちの心を疲れさせ、気持ちを暗くしてしまうようなことが溢れています。
しかしそのような暗闇の中にあって、たった一言の、何気ない言葉が誰かを救うということも起きるのです。

「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い(コヘレト4:9)」とコヘレトは語ります。
そして、そのように支えあう私たちのいのちの交わりの中に、神様もまた加わってくださっているからこそ、より私たちが力強く支えられ、救われることを「三つよりの糸は切れにくい(同12節)」と続けるのです。

私たちが誰かを気遣う一言が、誰かを救う一言になる。
その一言の中にこそ、神様の働きがあります。
わたしたち一人ひとりの「ありがとう」という言葉を、誰かの心を救うために、神様が用いてくださる。
そのような「三つよりの糸」の関係性を、私たちも保ってまいりたいものです。


フランシスコ・デ・ゴヤ 「聖家族」