2022年11月7日月曜日

牧師エッセイ(2022年11月)

キリスト教会では11月に「全聖徒の日」として、亡くなった方々を思い起こす礼拝を持ちます。
日本ではお盆のお参りにあたる行事かもしれませんが、そもそも先祖の霊が現世に帰ってくる、という考え方がキリスト教にはありません。
というのも日本の伝統と聖書とでは「霊」の捉え方に違いがあるからです。

聖書における霊とは、魂に近いものではありますが、その言葉が意味するものは広く「風」「息」ともとれる言葉としても使われています。
つまり霊という言葉には「わたしたちを内側から動かす力」という意味合いが込められています。
それゆえ聖書では悪霊が人々を奇行に走らせたり、「キリストの霊持たない者は…(ロマ8:9)」や「聖霊を受けなさい(ヨハ12:36)」とパウロやイエスは言うのです。

それでは天上において既に救われて永遠の命を約束されている召天者の方々が地上に帰ることも、供養する必要もないとするなら、キリスト教のお盆──全聖徒の日に何をするのでしょうか。
それは彼らの信仰の歩みを思い起こし、その歩みの中にキリストの霊、聖霊の働きを見出すことに他なりません。
召天者の方々が確かに神様が送られた霊によってその生涯を支えられ、人との関わりにおいては小さなキリストとして生きていかれたということを思い起こし、私たちもまた慰めと励ましを得る機会であるのです。
一層キリストの愛に生かそうとする神の霊によって、召天者の方々と私たちは今日も生きた関わりの中にあるのです。


レアンドロ・バッサーノ 「最後の審判」