2024年1月31日水曜日

今週の黙想文(ルカ18:17)

子どものように神の国を受け入れる人でなければ、
決してそこに入ることはできない。
──ルカによる福音書18章17節


† † †

キリストのもとに、祝福をいただきに乳飲み子が連れられてきました。
そしてキリストは乳飲み子を祝福されました。
当時のユダヤでは乳飲み子は救いにも値しない存在と見られていたため弟子たちは驚いていますが、このやり取りは私たち人間の本質をついています。
動物の中で生まれてから数時間経っても、自分一人で生きていく力を持たない動物はヒトだけなのだそうです。
それにも関わらずいつしか私たちは大人になっていくにつれて、自分の力だけで生きているような気持ちを抱えてしまうのです。
キリストがここで「子ども」と言われたのは「乳飲み子」のことです。
私たちの誰もが誰かの世話を受けることなしには生きてこれなかったこととを思い起こすとき、そして神様の助けなしには歩んでいけないと心から受け止める時、私たちは今日までの生涯の歩みに感謝をし、謙虚さをもってその祝福を分かち合い、他者のために祈りあうことができるようになるのです。
それこそが神の国における関係性であるのです。
(20240128週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2024年1月28日日曜日

顕現後第4主日礼拝。

本日1月28日は顕現後第4主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として
両教会10時半より礼拝が守られました。

本日は長野教会の教会総会でした。
この1年の間、長野教会を支えてくださった皆様に感謝しつつ、新しい一年への歩みに踏み出すことができました。
牧師も信徒も、教会を支える柱として立っていくことができるようにと祈りながら、振り返りの時が守られました。感謝です。

*最新の説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストよりご視聴できます。*

***


*今週の祈り*

関わりの主なる神様。
あなたがお造りになった世界の中で、孤独であっていい存在は何一つないことをおぼえます。
私たち一人一人だけでなく、この世界全体が、互いに影響を及ぼしあい、関わりあって世界が動いていることに心を寄せます。
そしてそのすべてをご覧になられ、御心のままに導いておられるあなたの働きがあることを、私たちは驚きをもって信じます。
主よ、あなたの導きのうちに生かされている私たちが、どうかあなたの御心に適う歩みができるようにしてください。
そのためにあなたはイエス・キリストの歩みを私たちに示してくださいます。
どうか私たちがキリストの弟子として絶えず悔い改めをもってあなたの姿を追い求める者として歩めますように。
私たちが誰かを助けようと願うときには、その人の心に寄り添い、傾聴し、求めることを受け止めようとすることから始めることができますように。
どうか主よ、あなたが私たちに注がれた愛と憐みの心によって、全ての人との関わりを保ち、孤独と寂しさ、悩み苦しみの中に留められている人が独りもいなくなるように、私たち一人一人を用いてください。
2022年から続くウクライナとロシアの戦争も、未だに終わることなく、双方の国で犠牲者が増え続けています。
人と人との間で平和が失われ、尊い命が奪われ続けています。
主よ、国と国との大きな争いの中に巻き込まれている一人一人の命を、どうか慰めに満たしてください。
そして一日でも早く、争いが終結し、誰も命を奪い合うことのない、平和な時が取り戻されますように。
また、自然災害によって人と人との関係性が破られる時があります。
能登半島地震によって失われてしまったご家族との関わり、一人一人の命を、どうかあなたが御許において受け止め、平安に満たしてください。
そしてこの世に残された方々に慰めをもって寄り添い、支えあい励ましあう関わりあいへと導いてください。
主よ、この一か月、私たちは能登半島地震の被災者支援のために祈りを重ね、献金を送ります。
どうか私たちが捧げるものを、あなたが御心のままに清め、苦しみの中にある一人一人の救いのために用いてくださいますように。





2024年1月25日木曜日

次回28日・顕現後第4主日礼拝のご案内。

次週2024年1月28日(日)は顕現後第4主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「神様が望むたった一つのこと」

と題して、
10時半より、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストをご覧ください。

† † †

一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

──マルコによる福音書1章21-28節

2024年1月24日水曜日

今週の黙想文(ルカ18:34)

十二人はこれらのことが何も分からなかった
──ルカによる福音書18章34節


† † †

イエスに付き従った12人の直弟子たちですら、キリストが語られたことを理解することができない時がありました。
イエスが「私は十字架にかかって死に、3日後に復活する」という予告をされたときがそうでした。
福音書に描かれる弟子たちの無理解は、一見彼ら自身にとって都合の悪いことに対して起こってきているように思います。
弟子たちの無理解と不安は、彼ら自身の保身から出ているのです。
私たちも、神様をこのように捉えてしまうことがあるかもしれません。
神様は私たちに利することばかりをされるわけではありません。
その時私たちは戸惑い、「何もわからない」という不安に陥るでしょう。
しかし、キリストは復活ののちに「彼らの心の目を開いて」その意味をすべて悟らせてくださいました。
目の前の事柄に「神様、どうしてこんなことを」と、その時には理解できないことが誰しもに起こります。
しかしその時には、じっと自分の心に向き合うこと、そして神様がその事柄の意味を心から悟らせてくださる時が来るのを、委ねて待つことの大切さを、弟子たちの姿は私たちに教えてくれるのです。

(202401週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2024年1月21日日曜日

顕現後第3主日礼拝。

本日1月21日は顕現後第3主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より礼拝が守られました。

また、昨日から大雪の予報であったため、ライブ配信礼拝も行いました。
それぞれの場所で共に祈りを合わせてくださった方々にも感謝いたします。
当日朝には気温も上がり、雪も解けてしまいましたのでよかったです。
会計監査も終わり、松本教会は今週が総会資料の作成、次の日曜日は長野教会で教会総会となります。
この1年の歩みを振り返り、新しい歩みへと踏み出していく区切りの時が守られますように。

*最新の説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストよりご視聴できます。*

***


*今週の祈り*

福音の主なる神様。
あなたが私たちのために備えてくださる福音とは、私たち一人一人にとって良い知らせとしてもたらされるものです。
あなたは私たちの求めをご存じです。
私たちの全てを良いものとして用いてくださるために、私たちの生涯を導いてくださいます。
ペトロもまた、時には信仰者の模範としての姿を表す者となり、時には悔い改めを必要とする罪の姿をあらわにされたこともありました。
同じように、あなたが導かれる私たち一人一人の生涯の旅路においても、良いことばかりではなく、つらく苦しい時も与えられることがあります。
しかし主よ、そのすべてが必要な歩みとして、あなたから与えられているものとして受け止め、過ぎ去ったあとには恵みとして振り返ることができるよう、私たちを支え、慰めのうちに保ってください。
いつでもあなたに悔い改めをもって心を向け、あなたに全てを委ねる信仰へと私たちを生かしてください。
あなたは私たちに必要なものを全てご存じです。
そしてこの世において、一人一人の必要を満たしてくださるお方です。あなたがイエス・キリストを通して示されたように、キリストの道をたどるわたしたちもまた、誰かとの関わりの中で、他の人々の必要を満たし、またそのような関わりを通して、私たち自身も満たされることができるよう、導いてください。
決して自分だけが満たされるためではなく、キリストにおいてあなたがそうされたように、なんでも喜びを分かち合えるものとしての関わりを持つことができますように。
能登半島地震の被災者の方々のために祈りを合わせます。
住宅の被害は3万棟にものぼり、天に召された方は232名、加えて未だに20人以上の方々が行方が分からないままと聞きます。
元旦であったことから、家族全員が集い、新しい年を迎える喜びの時が、このような悲しみに覆われることになるとは思いもよらなかったと思います。
主よ、どうか悲しみの中に留まっている全ての人々に、あなたの慰めと救いとを届けてください。
必要な助けと支援、心を満たす温かい関わりがそこでもたらされるよう、そこにいる人々の心を愛で満たしてください。
そして現場に行くことができなくとも、そこにいる人々のために祈り続けることができますように。
主よ、あなたの救いのために私たちを用いてください。




2024年1月18日木曜日

次回21日・顕現後第3主日礼拝のご案内。

次週2024年1月21日(日)は顕現後第3主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「福音(グッドニュース)は
神の報せ(ゴッドニュース)」


と題して、
10時半より、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストをご覧ください。

† † †

ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

──マルコ福音書1章14-20節

2024年1月17日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ15:14)

わたしの命じることを行うならば、
あなたがたはわたしの友である。
──ヨハネによる福音書15章14節


† † †

ある本に、家庭科の授業で実際に料理をする意味について述べられていました。
家庭科が座学の知識だけでなく実際に料理することを教えるのは、そこに感動を感じてもらうためであるというのです。
レシピや焼き・煮込みなどのテクニックを知るだけでは、感動は起こりません。
実際に料理してみる、一緒に食べてみる。
そこに感動が起こり、もっと料理をうまくなりたい、深めたいという思いが生まれるからこそ、実践が大事だというのです。
キリストは弟子たちに「互いに愛し合いなさい」という掟を命じられました。
ここでキリストが言われているのは、神様の愛を知るという知識だけでなく、その実践も含めて「愛の掟」であるということです。
イエス様の教えは、理解することは容易でも実践するとなると難しい、と感じることが多いかもしれません。
しかしキリストが実践までも求められたのは、神様の愛の深さと、他の人を救う愛の力のすばらしさが、わたしたちに深く根付き、その愛に生きるようになるためだったのです。

(20240114週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2024年1月14日日曜日

顕現後第2主日礼拝。

本日1月14日は顕現後第2主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として
両教会10時半より礼拝が守られました。

今年は暖冬ですね、と言っていた次の週に、今年初めての積雪がありました。
例年よりもかなり少なく昼までには溶けてしまいましたが、それでも本格的な冬の寒さがようやくやってきた感じです。
厳しい寒さの中で体調を崩される方も多い時期で、長野にも医療警報が出されました。
病の床に伏しておられる方には癒しを、心も体も冷え切っておられる方には慰めと平安がその身を温めるものとして与えられますように。
また、令和6年能登半島地震の被災者の方々のために祈りを合わせています。

*最新の説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストよりご視聴できます。*

***


*今週の祈り*

全知を司っておられる主なる神様。
あなたは天地創造の初めから、この世界のすべてをご存じです。
私たちの罪の全てをご存じであり、その罪の中に生きる私たちが、それでも懸命にあなたの御心に適うようにと生きようとしていることもまた、知ってくださっています。

神様、あなたを信じている私たちも、あなたをまだ知らない人々であっても、決して傷つき悲しむことを好む人はいません。
それをあなたはご存じであり、またあなたへの信仰に生きていない人々にさえ、痛み苦しみの中にとどめられることを、あなたは良しとされません。
主よ、あなたは愛に満ちたお方です。
どうかその愛のうちに見守られているという平安と慰めを、私たちが受け取っていくことができますように。
そしてフィリポのように、その平安と慰めを関わりあう人と分かち合うことができますように、私たちを用いてください。

世界中で争いが絶えない中にあり、また日本においては自然災害によって困難を抱えている人々がいます。
1月1日に起こった能登地震では、何百人もの方々の魂があなたの御許へと召されました。
地上の体は未だに行方不明のままの方も多くおられます。
愛する家族の消息が途絶えてしまった人、弔うことができないまま悲しみの中にとどめられた人々がいます。
どうかその一人一人に、あなたが寄り添い、その悲しみを癒してください。
弔いの時を通して、あなたの御許へと安らいでいる慰めを得ることができますように。
また、余震が続く中にあって、避難所での生活を強いられている人々に、必要な助けが与えられますように。

季節も一気に冷え込むなかで、長野県内に医療警報が出されました。
多くの人が、コロナウイルスやインフルエンザ、様々な病のために倒れています。
施設においても、家族でさえ面会ができない教会員の方がおられ、寂しさを抱えています。
主よ、どうか病の床にある人々には癒しを与えてください。
寂しさと孤独を抱えている人々に、私たちが心を寄せていくことができますように。
断絶と争いの尽きないこの世のなかで生きる私たちに、それでもあなたが目を留めてくださっていること、私たちを御心のままに導いてくださっているその幸いを信じ、受け止めつつ、委ねて歩んでいくことができますように。
私たちの信仰を強くし、その歩みをあなたが支えてください。




2024年1月11日木曜日

次回14日・顕現後第2主日礼拝のご案内。

次週2024年1月14日(日)は顕現後第2主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「あなたをいつも見ていたよ」

と題して、
10時半より、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストをご覧ください。

† † †

その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

──ヨハネ福音書1章43-51節

2024年1月10日水曜日

今週の黙想文(2コリ6:13)

あなたがたも同じように心を広くしてください。
──コリントの信徒への手紙 II 6章13節


† † †

元旦から石川県能登で大地震が起きました。
被害に遭った方々のために祈りたいと思います。
天災や理不尽な出来事はこの世に溢れています。
そこに巻き込まれた時、「神は自分を救ってはくれない、神などいない」と神を呪う人を見かけます。
確かに神様はそうして悩み苦しんでいる人のために、奇跡や超常現象を起こして救うことはほとんどありません。
それは、神様が悩み苦しむ誰かを救おうとするときには、その人の周りにいる人を使って助けようとされるからです。
あなたが苦しんでいる時、優しい言葉をかける人がいて、手を差し伸べてくれる人がいる。
その人を通して神様の働きと救いが差し伸べられていることを見いだせるように、神様はかつて、イエスという人間としてこの世で人を救うという姿を見せられたのです。
パウロもまた、「心を広く」することを求めています。
ここでコリント教会の人々は「心が狭くなって」いたからです。
この狭いというのは「空間・余地がない」ということです。
神様の働きを見出し、受け入れる余地を作ることの大切さを思います。
苦しい時にこそ神様を呪うのではなく、あなたを助けようとしている人の声に耳を傾けられるように、心を広く保ちたいものです。

(20240107週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2024年1月8日月曜日

道(牧師エッセイ2024年1月)

私の好きな曲の一つに、宇多田ヒカルの「道」という曲があります。

このような歌詞の曲です。

「どんなことをして誰といても
 この身はあなたと共にある
 一人で歩まねばならぬ道でも
 あなたの声が聞こえる
 私の心の中にあなたがいる
 いつ如何なる時も
 どこへ続くかまだ分からぬ道でも
 きっとそこにあなたがいる
 It's a lonely road (孤独な道だけど)
 But I'm not alone (わたしは独りじゃない)」

宇多田ヒカル自身はこの「あなた」のことを母・藤圭子のことだ、と説明しています。
藤圭子が逝去してから三年後に発表されたこの曲は、「Fantôme(フランス語で「幻・気配」の意)」というアルバムに収録され、自身にとって「受け入れ、受け入れられる」アルバムになったと彼女は語っています。
それほど彼女にとって母という存在は、死してなお共にいて歩んでくれていることを感じられる存在であったのでしょう。
そして多くの人にとっても様々な相手がこの「あなた」に重ねられて聞かれたからこそ、沢山の人の背中を押す曲として知られています。
キリスト教を信じる私たちがこの歌詞を聞くとき、「あなた」が「イエス様」として聞こえてくるようにも思うのです。

「わたしは道であり、真理であり、命である。(ヨハネ14:6)」とキリストは言われました。
「どこへ続くかまだ分からぬ道」を、私たちは踏み出していかねばなりません。
しかしその道はキリストが私たちと共にいて、必ず指し示してくださるのです。
このようなキリストが共におられることを心に刻みつつ、今年も歩んでまいりましょう。

2024年1月7日日曜日

主の洗礼日礼拝。

本日1月7日は主の洗礼日の礼拝でした。

松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より礼拝が守られました。

あけましておめでとうございます。
今年は暖冬ですね。乾燥する日が多いので、コロナやインフルエンザに気をつけてお過ごしください。
今年も色々なことがあると思いますが、お一人お一人の信仰の旅路が神様によって守られますように。

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***


*今週の祈り*

どのようなときにも共にいてくださる神様。
新しい年の初めに、あなたのみ言葉に立ち返る機会を与えてくださったことを感謝いたします。
あなたはイエス・キリストを通して、私たちの信仰の歩みの模範を示してくださいました。
そしてそこに語り掛けられているあなたの御心を示してくださいました。
主よ、あなたはいつも私たちを愛し、気にかけ、苦しみも悩みも喜びも共に分かち合ってくださるために、イエス・キリストという一人の人間としてこの世にやってきてくださいました。
あなたのみ言葉はいつも私たちと共にあって、信仰の旅路を支えてくださいます。
あなたがキリストとして歩まれた信仰の道を、私たちもまたたどっていくことができますように。
あなたの御心から外れてしまうことがないように、どうかあなたが私たちと共にいて、支え、導き、慰め、力づけてください。

1月1日から石川県能登において発生した大地震によって、多くの人々があなたの御許に召されました。
また、今なお救出作業が続けられています。思い出も住む場所を失い、避難所生活をしている人、その避難所にさえ入れず、助けを求めている人がいます。
どうかあなたが困難の中にある一人一人に寄り添い、必要な助けを与えてください。
そして大切な人を亡くし、明日への希望を亡くしている人に慰めをもって寄り添ってください。
また、その翌日に起きた海上保安庁と日本航空との飛行機事故も、痛ましい出来事でした。
そこでもまた失われたいのちがあります。
誰かを助けようとした行為が、些細なミスによって、誰かの命を奪ってしまう出来事へと繋がってしまったことに、深い悲しみをおぼえ、祈ります。
誰かを助けたいと思う心を、私たちが保ち続けることができますように。
大変な状況の中にある人々の心に寄り添い、私たちに出来ること精いっぱいをもって、支えあうことができますように。
この世に起こりうるあらゆる理不尽と苦難に立ち向かいながら、今年一年があなたの見守りのうちにあり、祈りと悔い改めと共に、歩んでいくことができるよう、私たちの信仰を保ち、整えてくださいますように。




2024年1月4日木曜日

次回1月7日・主の洗礼日の礼拝案内

次週2024年1月7日(日)は主の洗礼日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「いつでもここに帰っておいで」

と題して、
10時半より、
松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストをご覧ください。

† † †

洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

──マルコ福音書1章4-11節