2019年11月28日木曜日

次回12月1日・待降節第1主日礼拝の御案内。

次週12月1日(日)10時半から、待降節第1主日の礼拝が行われます。

長野教会・松本教会では野口和音牧師の説教
「救い主が来る」

と題して、
長野教会では信徒礼拝、松本教会では主日礼拝として守られます。
どうぞご自由にご参加ください。
お待ちしております。
牧師は松本教会におります。

† † †


 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

──マタイ福音書24章36-44節

2019年11月26日火曜日

松本教会クリスマスイベントのご案内。

松本教会、12月のクリスマスイベントのお知らせです!



─クリスマスには、教会へ─

★アドベント・バザー★
12月6日(金)~7日(土)13時~16時
ヒンメリ、リースづくりや
アクセサリー作り(6日)、消しゴムハンコ(7日)など、
各種ワークショップ(300~500円)もあります!
教会”ならでは”のクリスマスグッズも販売します!

★こどもクリスマス★
12月14日(土)13時~15時
ほんとうのクリスマス、しってる?
 キャンドルサービスのほかにも、
クラフトづくりやおやつ作りなど
参加費:3才以上はひとり300円です!
※12月11日〆要申込

★クリスマス礼拝★
12月22日(日)10時30分~12時
礼拝後はクリスマスランチもあります。

★クリスマスイヴ礼拝★
12月24日(火)18時~19時
礼拝後はティータイムもあります。

是非お越しください!
こどもクリスマスにご参加の方は、要予約です
問い合わせ、お申し込みは以下にお願いいたします。

==問い合わせ・申し込み==
日本福音ルーテル松本教会まで
(宮渕1-4-9 ℡0263-33-5242)


†会場の松本教会はこちらです†


いのち学。第6回

25日(月)は松本教会で19時からいのち学・第6回が行われました。


今年度最後のいのち学でした。
この一年の中で科学と聖書の共通点もたくさん見つかりました。
その中でも、現人類の始まりは単一紀元説が有力という研究結果を見て、ノアの物語とバベルの塔の物語に重なって見えました。

谷口先生のスライドの資料

たいへんざっくりお話すると、現人類の始まりにクラシーズ以外が何らかの理由で死滅し、全人類の祖先となったことは、ノアの箱舟の物語でノア一家以外の人類が滅びたという聖書の物語に重なって見えますし、
そこから約15万年前に言語の違う人々へと分かたれていったことは、バベルの塔で「言語が散らされた」物語とぴったり符合するように見えて興奮しました。
科学の始まりは神の創造物の美しさを理解するために始まった、と誰かが言っていたような気がしますが、まさに神様の創造を記した聖書と、それを科学的に説き明かした結果が重なっていくことに、驚きを隠せませんでした。

来年度始まるときには、またこちらで告知いたします。
どうぞお越しください。


聖霊降臨後最終主日礼拝&ルターナイツinまつもと。20191124

24日(日)は聖霊降臨後最終主日礼拝でした。
長野教会では聖餐礼拝として守られました。
来週から待降節。緑の聖壇布も見納めです。


悩み多き中で、み言葉から慰めを聞きました。
またお昼も元気が出るお昼ご飯でした。いつも感謝です。
長野はりんごの季節になってきました。


クリスマスツリーの飾りつけをしました。
いよいよ12月、クリスマスですね。
主の誕生を待ち望みつつ歩んでまいりたいと思います。


† † †

松本教会では栗原茂牧師をお迎えし、主日礼拝として守られました。
巡回説教者としてご奉仕くださり、感謝いたします。




† † †

18時半からルターナイツinまつもとが行われました。


今回のプログラムはフルートにオルガンにヴァイオリンと、クラシックな楽器でのルターナイツとなりました。
フルート演奏は安曇野フルートアンサンブルのお二人です。


先月のルターナイツで牧師が讃美歌物語で取り上げた「大きな古時計」や、
十字架にイエス・キリストがおかかりになった後、復活して弟子たちのもとにやってきたときに言われた第1声「やすかれ」の慰めと喜びがあらわされた讃美歌「やすかれわがこころよ」などを演奏していただきました。
12月1日には創造館にて定期演奏会があるそうです。どうぞそちらにもお越しください。

今月の牧師の讃美歌物語はとっておき。
教会讃美歌371番「主よ御許に近づかん」です。


1992年の映画「タイタニック」で、タイタニック号が沈没していく際に船の演奏家たちが弾いた場面を思い起こしながら、避けられぬ死と絶望に満たされながらも、ふところの一番深いところに迎え入れてくださる神様がおられるという慰めを聞きました。
ゲストとしてオルガニストの方がおられたので、バイオリンとリードオルガンの伴奏で、お集まりの皆様と共に讃美歌を歌いました。

もう一方のゲストとして、
音楽文化ホールのオルガニストである原田靖子さんにオルガンを弾いていただきました。


本来パイプオルガンの楽譜をリードオルガン(足踏みオルガン)用に編曲し、ポピュラーな「いつくしみふかき」やクリスマスの曲、またカトリックの修道士が作曲したミサ「退堂」曲などを演奏していただきました。
また、アンコールとして「あらののはてに」を皆さんと一緒に歌いました。
参加者の方々とこんなに多くの讃美歌を共に歌えたことは、恵み深い時となりました。


偶然にも入り口のライトの影が教会の形になっていました。
今年度のルターナイツは今月で終わりになります。
また来年もこのプログラムが教会に多くの人々が集い賛美する場所として用いられればと願います。

2019年11月25日月曜日

2019年度甲信地区一日神学校

23日(土・祝)は甲信地区信徒の集い・一日神学校が行われました。
1年に一度、甲信地区のルーテル教会から信徒が集い、学びと交わりの時が持たれました。
甲府教会の筑田仁牧師による開会礼拝から始まりました。



今年の講師は金子和夫牧師をお呼びし、『映画『三丁目の夕日』に見る地域福祉』と題して講演をいただきました。
軽いジョークを挟みつつ笑いの絶えない中で、現代の福祉事情について、お話しいただきました。
市政と福祉の現場において手の届かないところに、教会がどのように関わっていけるだろうかを考えさせられました。


お昼の交わりの時には、普段お会いできない人たちとの交わりの時が豊かに持たれました。
その中には約60年ぶりに再会することのできた方々もおられ、教会の中で生まれるつながりが大変恵み深いものだなと感じる場面もありました。


昼食後のプログラムとして、野口和音牧師の讃美歌物語。
ルターナイツでご紹介した讃美歌370番「めざめよわが霊」と「蛍の光」についてのウラ話を分かち合いました。


学びと交流の時、各教会同士の交わりも深められて、喜びと恵みに満ちた日となりました。
終わりが家には来年また会おうね、という言葉を互いに交わしつつ、それぞれに帰路につかれました。



† † †

ひとりひとりをつなげてくださる神様に
感謝します
この記事をご覧の皆様も
神様との絶えざるつながりのなかに生き
人と人との関係を通して与えてくださる喜びを
受けることができますように

2019年11月21日木曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

さて、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。

──ルカ福音書20章27-40節

† † †

1.復活と救い

「7人の兄弟がいて、律法で定められているために、その長男から次男、三男と嫁ぎ続けた女性がいました。彼らが皆復活したとき、その女性はいったい誰の妻になるのか?」という問いを携えて、復活を信じていないサドカイ派の人々がキリストの元にやってきました。
彼らの問いに対して、キリストは「復活は地上の生の単なる延長ではない」と答えていかれました。
そもそも律法で「跡継ぎをもうけなければならない」と定められているのは、そうしなければあっという間に絶えてしまう存在であるからです。
復活は地上の生の延長ではなく、全く新しい永遠の命を得ることですから、もはや跡継ぎをつくることも、それに伴って結婚する必要もないのだと説かれるのです。
しかしキリストはこのように答えていく中で、復活が単に「新しいいのちを得る」というだけにとどまらないことを語られています。
それは、いのちだけではなく、その「関係」もまた新しくされる救いについても説いておられるのです。

2.あなたを救うために来た

「めとったり嫁いだりする」という言葉は、「取ったり取られたり」という言葉が使われています。
サドカイ派の人々が出した女性の例は、現実にも起こりうることでありました。
跡継ぎをつくるために何度も結婚させられていき、やもめになれば一人では生きていけない、自分の生がまったくの他人任せにならざるをえない人々がいたのです。
それは女性だけではありません。病にかかったり、徴税人などの人々から忌み嫌われる仕事のせいで、社会の中で嫌われ、排除され、軽んじられていた人々がいました。
そのような人々のところに、キリストはやってきたのです。
誰も近寄らない、誰も助けない、触れない人々にこそ近づき、手を差し伸べ、あなたは救われているのだとはっきりと語っていかれたのです。

3.新しい関係を与える復活

女だからとか、病気だから、こんな仕事をしているからという、自分では逃れられない地上の生の苦しみから人々を解放するために、復活のいのちがある。
一人ひとりが神様につながって、ひとしく神の子として扱われる新しい関係が与えられるということ。
それこそが復活のいのちによる救いであるということを、キリストはここで、語っておられるのです。

4.関わり続ける神

キリストはさらに旧約聖書のモーセの『柴』の物語を引き、続けて言われます。
アブラハムも、イサクも、ヤコブも、モーセの時代には既に天に召され、地上には生きていません。けれども神は今なおアブラハムの神であり、イサクの神であり、ヤコブの神であり、モーセの神であり、そして今は、私たちの神であるとキリストは言うのです。

5.関わりの中に生きる

私たちの復活の救いは、死の先にしかないのではありません。
神様は一人ひとりの地上の生に関わり続け、さらには復活の命を通して、なおも私たち一人ひとりの神様として永遠に関わり続けてくださる方であるからです。
私達もこの地上のいのちを歩む中で、自分ではどうしようもない苦しみや悩みに満たされることがあります。
しかしそのような私たちにこそ、キリストは語り掛けておられるのです。
そんなあなたのために、わたしはこの世に来た。あなたと一緒に歩んで、あなたと最後まで関わり続けて、あなたを救いたいんだと。
あなたが自分ではどうしようもない生を乗り越えて、神様が願った本当のいのちを生きてほしい。そのためにわたしは十字架にかかったんだと言ってくださっているのです。
み言葉を通して関わり続けておられる神様の声を受け止めるとき、私達のうちに、今、復活のいのちの約束が息づいていくのです。

2019年11月20日水曜日

次回24日・聖霊降臨後最終主日礼拝のご案内

次週11月24日(日)10時半から、聖霊降臨後最終主日の礼拝が行われます。

長野教会では野口和音牧師の説教
「いのちの在処」

松本教会では栗原茂牧師の説教
「塵を払え」

と題して、
長野教会では聖餐礼拝、松本教会では主日礼拝として守られます。
どうぞご自由にご参加ください。
お待ちしております。

† † †

ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」
そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

──ルカ福音書21章5-19節

2019年11月18日月曜日

聖霊降臨後第23主日礼拝・子供祝福式

17日は聖霊降臨後第23主日礼拝でした。
長野教会では信徒礼拝として、松本教会では聖餐礼拝として守られました。

松本教会では子ども祝福式が行われました。


教会の七五三ともいえる子ども祝福式です。
子どもたちには神様の祝福とプレゼントが送られました。


教会員の方が作ってくださった炊き込みご飯と豚汁をいただきました。
子どもたちもおかわりして食べていました。神様に守られて育ってくださいね。



女性会の聖書研究では、祈りについて取り上げ、お一人お一人にお話を聞くことができました。
誰かに祈ってもらえることのうれしさ、また誰かを思って祈ることの喜びを、いつも感じて日々が過ごせればと思います。



† † †

台風によって未だ苦難の中にある人々のために
働いてくださる主と共に
わたしたちひとりひとりができることを
やっていくことができますように

2019年11月15日金曜日

いのち学・第6回のご案内。

11月25日(月)19時より、松本教会にて
「いのち学~素粒子・生命・人間・宇宙の不思議~」最終回が行われます!


いのち学、今年度のテーマは「素粒子・生命・人間・宇宙の不思議」です。
わたしたちを取り囲むこの世界について、また生命科学としての「命」について、
そしてその枠を超えたわたしたちの「いのち」について──。
信州大学特任教授の谷口俊一郎先生を講師として、共に考える時を持ってみませんか?

前回までの内容も振り返りながらですので、今回からの参加でも大丈夫です!
参加費は500円。 事前申込は不要です。

11月25日(月)の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

2019年11月14日木曜日

次回17日・聖霊降臨後第23主日/小児祝福式礼拝の御案内

次週11月17日(日)10時半から、聖霊降臨後第23主日の礼拝が行われます。

長野教会・松本教会では野口和音牧師の説教
「関わりのうちに生き続ける」

と題して、
長野教会では信徒礼拝、松本教会では小児祝福式礼拝として守られます。
是非お子様とご一緒にご参加ください。
牧師は松本教会におります。

† † †

さて、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。

 ──ルカ福音書20章27-40節

11月・ルターナイツinまつもとのご案内

11月24日(日)の18時30分から、
松本教会にてルターナイツ in まつもとが行われます!


今回のプログラムは
・庄司和史さん、谷口俊一郎さんによるフルート演奏
・松本市音楽文化ホールオルガニストの原田靖子さんによるオルガン演奏
今回も野口和音牧師のヴァイオリンと、”讃美歌のウラ話”もあるカモ?

参加費は軽食込みで500円、事前申し込みは不要です。
日曜日の夜を、ちょっとトクベツな時間にしませんか?

皆様どうぞご参加ください。お待ちしています。

†会場の松本教会はこちらです†

2019年11月11日月曜日

聖霊降臨後第22主日礼拝。

10日は聖霊降臨後第22主日礼拝でした。
長野教会では主日礼拝として、松本教会では通信礼拝として守られました。



突然冷え込みが強くなり、暖房を朝から付ける時期になりました。
教会の靴箱の上には、一足先に教会員の方が作られた紙粘土の雪だるま人形が飾られていました。
教会の暦だと来月から新しい年が始まります。
12月1日からクリスマスを待ち望む「待降節」の時期です。

その直前、11月30日(土)長野教会では、教会員の方も入っておられる声楽会の「ドルチェコンサート」がありますので、ぜひお越しください。
牧師もヴァイオリンでデュエット参加します。

松本教会でも通信礼拝として共に守られました。
ご奉仕・準備等していただいたことに感謝いたします。


礼拝後は年一回行われる長野教会・松本教会合同役員会が開かれました。
ご参加いただいた方に感謝いたします。

† † †

台風の被害を受け、天に召された方々
避難所での生活を余儀なくされている方々に
慰めと励ましがありますように

2019年11月8日金曜日

ひるカフェ&手仕事のご案内・11月

11月15日(金)、日本福音ルーテル松本教会にて「ひるカフェ&手仕事会」が行われます!


11月のひるカフェ&手仕事会は、
日本てぬぐい de あずま袋をつくろう!です。

なんでも包んで持ち運べるあずま袋……ひとつあると便利ですよ!

11月15日12時より、日本福音ルーテル松本教会にて行われます!
参加費はランチ代も込みで500円!
ご自身で糸と針をお持ちください。

締め切りは11月13日(水)までです!
直前案内になって申し訳ありません!
普段教会に通っておられない方でも大歓迎! ぜひお待ちしております。

会場の松本教会はこちらです。


2019年11月7日木曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」


──ヨハネ福音書15章1-17節

† † †

1.信仰からくる愛

ルーテル教会では、11月の1週目の日曜日は毎年、天に召された方々を思い起こす「全聖徒主日」として礼拝が守られています。
当教会でも昨年、一昨年と天に召された方々がおられ、その方々を思い起こしました。
そのお一人お一人が笑顔と愛にあふれた方であり、それはまさに信仰からくる愛の姿であったと思います。
今日の聖書箇所はまさにこの信仰からくる愛のわざについてイエス様が語っておられる箇所です。
「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である」と語り始められたイエス様は「わたしにつながっていなさい」「わたしの愛にとどまっていなさい」と言葉を変えて繰り返されます。
イエス様につながり、愛に留まること、そのために私たちに与えられた掟こそ「互いに愛し合いなさい」というものでした。

2.常に愛し合えない

もし私たちが条件のように「常に互いに愛し合わなければならない」とイエス様の言葉を読むのであれば、それは挫折になってしまうでしょう。
時には笑顔ではいられない、耐え難い苦しみから愛に生きることのできないことが誰しもあるのではないでしょうか。
そのような自分は、洗礼を受け、クリスチャンになっても劇的に変わることはほとんどありません。
そうであるなら一体だれが、イエス様の言葉の通りに生きることができるでしょうか。

3.友が救われる喜び

イエス様は「喜び」に満ちて今日の言葉を語っておられます。
福音書の中で語られている通り、イエス様はこの後すべての弟子たちから裏切られ、たった一人で十字架にかかっていかれました。
その未来をイエス様が知っておられなかったはずがありません。
それでもイエス様がこのように語られたのは「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」とまで言ってくださった愛のゆえであるのだと思います。
キリストの十字架は私たちの罪を代わりに償うものであったとパウロは手紙の中で繰り返し語っています。
イエス様は決して、私たちの愛せない罪を見過ごしておられたのではありません。
私達がその罪から解放されて愛に生きる未来まで見据えておられたからこそ、十字架にかかることも厭わず、喜びに満ちて「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と言われるのです。

4.ともなるイエス

イエス様は十字架の先に、復活されました。
パウロも言います。「もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。(ローマ6:5)」
キリストは十字架によって私達の罪を赦されただけではなく、永遠の命をも注いでくださいました。
私達の愛がどれだけ不完全で、罪に満ちた存在であっても、十字架と復活を通していつでも私達と共に歩んでくださり、そして友として愛してくださっているイエス・キリストがおられます。
それは、天に召された方々にとっても、今を生きる私たちにとっても、同じです。
そのことを信じ、思い起こすたびに私たちの愛は新しくされ、清くされ、まことに信仰からくる愛として用いられていくのです。
私達を「友」として愛し、いつでも「共」におられる。
この二重の意味で「ともなる」イエス様のゆえに、罪ゆるされ、日々新しくされながら、愛に満ちた日々を歩み続けてまいりたいと思います。

2019年11月6日水曜日

次回10日・聖霊降臨後第22主日礼拝のご案内

次週11月10 日(日)10時半から、聖霊降臨後第22主日の礼拝が行われます。

長野教会・松本教会では野口和音牧師の説教
「正義を叫び続けろ」

と題して、
長野教会では主日礼拝、松本教会では通信礼拝として守られます。
どうぞご自由にご参加ください。
牧師は長野教会におります。

† † †

人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。
さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』
僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」

 ──ルカ福音書19章11-27節

2019年11月5日火曜日

全聖徒主日礼拝。 20191103

先日3日は全聖徒主日、教会に連なる召天者の方々を思い起こす礼拝となりました。
長野教会、松本教会ともに聖餐礼拝となりました。


昨年野口牧師は松本教会での礼拝でしたので、今年は長野教会での全聖徒主日となりました。
長野教会に連なる方々とともに、み言葉を通して昨年召天されたお二人を思い起こし、祈りを合わせました。
召天者のご家族の方も来てくださり、久しぶりにゆっくりとお話することができました。


松本教会では高塚郁男牧師をお招きして守られました。
今年召天された方のご家族も来られ、大変賑やかな全聖徒主日となったと報告を受けました。
お働きに感謝いたします。





† † †

天に召されたすべての方々の魂が
神様の御許において
安らぎに満ちていますように。