2023年1月29日日曜日

顕現後第4主日礼拝【礼拝動画】

本日1月29日は顕現後第4主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
長野教会は家庭礼拝として、
松本教会は主日礼拝として 両教会守られました。

礼拝後、松本教会では定期総会が行われました。
十数年という長い期間役員として働かれていたお二人の方がご辞退され、選挙により新しい役員体制となりました。
これまで役員のお働きを担ってくださっていたお二人に感謝しつつ、新しい役員会として働きを担ってくださる4名の方々の上に、神様の祝福と導きが豊かにありますように。
一人ひとりが教会を支える柱として心を一つ西て歩んでまいりたいと思います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は松本教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**

ミカ書6章1-8節〈旧p1455〉
コリントの信徒への手紙 一 1章18-31節〈新p300〉
マタイによる福音書5章1-12節〈新p6〉


説教「包み込まれる幸い」

*祈り*

わたしたちを御手の内に包み込んでくださる主なる神様。
あなたは果てなき赦しと恵みによって、私たちを今日も生かし、御言葉をもって導いてくださっています。
私たちが主日を迎え、悔い改めて御言葉を受け取るたびに、その喜びに与らせてください。
私たちが心の貧しさを自覚するとき、拭い去れない悲しみの中にある時、あなたの救いを心から祈り求める時、いつでもあなたは私たちを御手の内に包み込み、ふさわしい御言葉と救いとをお与えになります。
どうか私たちが、そのような幸いに包み込まれていることを信じ、自らの支えとしてあなたにより頼みつつ、日々の働きを担っていくことが出来ますように。

今週は松本教会の定期総会が行われます。私たちの一年の歩みを振り返る時を持ちます。
私たちの教会が、あなたによって招かれ、集められた人々によって今日まで支えられてきたことを感謝します。
私たち一人ひとりの力は小さくても、あなたの導きによって、私たちの予想もつかない大きな力とされてきました。
一人ひとりがあなたに連なる神の家族としてここに集い、これからも互いに愛し合い、仕えあい、支えあう中にあって、この教会がこれからも立っていきますように、願います。
一人ひとりが喜びをもって働きを担うことが出来るように、私たちを力づけ、あなたのしもべとして用いてください。
私たちの働きの中心にいつもあなたが立ってくださり、そこに起こる関わり合いを、どうかあなたの御手によって温かく包み込み、慰めと愛に満ちた関係性へと導いてくださいますように。
今日様々な理由から教会に集うことのできなかった方々、病の苦しみを担っておられる方々のために祈ります。
どうか主よ、それぞれの場所で教会をおぼえ、祈りを合わせている一人ひとりの心に、日々の導きの光を与えてくださいますように。
身体と心に痛みを覚えている人々の心には、あなたが癒しと慰めを与えてくださいますように。







2023年1月26日木曜日

次回29日・顕現後第4主日礼拝のご案内。

次週2023年1月29日(日)は顕現後第4主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「包み込まれる幸い」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 そこで、イエスは口を開き、教えられた。 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。 憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。 心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。 義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

──マタイによる福音書5章1-12節

2023年1月25日水曜日

今週の黙想文(ルカ7:47)

赦されることの少ない者は、愛することも少ない。(ルカ7:47)

† † †

子どもの教育について、日本とインドの違いは何かという話を聞きました。
日本では子どもに「人に迷惑をかけないようにしなさい」と教えますが、インドでは「あなたは人に必ず迷惑をかけるのだから、迷惑をかけられたらあなたもゆるしてあげなさい」と教えるのだそうです。
このような言葉の違いは、日本では「迷惑をかけなければ何をしてもいい」という考え方に至る危険性をもっています。
それは自己中心的な考え方で、いつしかそれは「迷惑をかけた人は罰しても良い」へと繋がってしまうものなのです。
イエスのもとにやってきて泣きながらその涙でイエスの足を洗い、香油を注いだ女性は、罪深い女性でした。
彼女の「罪深さ」に目を向けていた周りの人々は、イエスが彼女をどのように罰するかを期待していましたが、キリストは彼女の「愛」に目を留められました。
ここに私たちに対する神様の眼差しが表されています。
神様は私たちを裁き罰するためではなく、誰かを赦し共に愛に生きることを願いながら、私たちにキリストの十字架を指し示しておられるのです。
わたしたちは必ず誰かに迷惑をかけなければ生きてはいけません。
しかしその赦しに生かされていることをおぼえつつ生きる時、私たちのふるまいは愛へと押し出されていくのです。

(20230122週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年1月22日日曜日

顕現後第3主日礼拝【礼拝動画】

本日1月22日は顕現後第3主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
長野教会は聖餐礼拝として、
松本教会は通信礼拝として 両教会10時半より守られました。

礼拝後、長野教会では定期総会が行われました。
昨年度は召天者の数も多く、寂しい思いが募る年でもありました。
天における信仰の先達者の方々の平安をおぼえつつ、一人ひとりが教会を支える柱として歩んでまいりたいと心を一つにしました。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は長野教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**

イザヤ書8章23節-9章3節〈旧p1073〉
コリントの信徒への手紙 一 1章10-18節〈新p299〉
マタイによる福音書4章12-23節〈新p5〉


説教「あなたの心のガリラヤ」

*祈り*

揺らぐことのない救いの主なる神様。
あなたは辺境の地ガリラヤから、救い主として私たちに出会ってくださいました。
それは、私たちの内にある救いようのない罪にこそ目を向け、その罪を赦すための十字架への歩みであることを、私たちに示してくださるためでした。
主よ、私たちの心のうちにある最も暗い罪の闇の中に立ち、私たちを導く光として、私たちの手を取ってください。
あなたへの悔い改めの心を私たちの心に満たし、何度でも新しい歩みへと押し出してください。

今週と来週は、長野教会と松本教会の定期総会が行われます。
私たちの一年の歩みをあなたが守ってくださったことを感謝しつつ、振り返りの時を持ちます。
主よ、私たちはこの一年、あなたに従って歩めたでしょうか。
あなたの御心から離れて歩んでしまったことはなかったでしょうか。
もしそのようなところがあるならば、どうか主よ、私たちを赦してください。
これから新しく始まる歩みが、私たちの罪に寄り添ってくださるあなたと共にあって、赦しをいただき、絶えず悔い改めの歩みとされていきますように。

混乱と不安に満ちた世界情勢と、明日のことも見通しのつかない日々が長く続く中にあって、その暗闇の中を歩むときにも、どうかあなたが私たちを導く光として、歩むべき道を照らし出してください。
そしてあなたに招かれた弟子ペトロのように、全てをあなたの御心に委ね、あなたに従っていくことができるように、あなたによって信仰が支えられる一年を歩むことが出来ますように。

今日様々な理由からここに集うことのできなかった方々、病の苦しみを担っておられる方々のために祈ります。
どうか主よ、それぞれの場所で教会をおぼえ、祈りを合わせている一人ひとりの心に、日々の導きの光を与えてくださいますように。
身体と心に痛みを覚えている人々の心には、あなたが癒しと慰めを与えてくださいますように。






2023年1月19日木曜日

次回22日・顕現後第3主日礼拝のご案内

次週2023年1月22日(日)は顕現後第3主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたの心のガリラヤ」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では聖餐礼拝として、
両教会10時半から行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。 「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、 暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 二人はすぐに網を捨てて従った。 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。 この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。

──マタイによる福音書4章12-23節

2023年1月18日水曜日

今週の黙想文(ルカ1:36)

あなたの親類のエリサベトも、
年を取っているが、男の子を身ごもっている。
──ルカによる福音書1章36節


† † †

ルカ福音書のクリスマス物語は、マリアの他に親類のエリサベトもまた神様の奇跡によって身ごもっていることを告げています。
彼女は年を取っていて、不妊の女と言われていましたが、夫ザカリアのもとに天使ガブリエルがやってきて、妻が後の洗礼者ヨハネを身ごもることを告げるのです。
こうして、キリストの道備えをするヨハネと、すべての人の救いを切り開いたキリストとの歩みが備えられていったのです。
マリアの受胎告知の際、神様の子どもを身ごもるという予想外の出来事に、大きな不安と困難を抱えていたことでしょう。
しかしマリアがエリサベトのことを聞くと、「急いで」エリサベトのところへと向かい、二人は共に神様への賛美の声をあげていくのです。
私たちにおいても神様が導かれる道は、決して順風満帆ではありません。
しかし神様は決して、私たちを一人ぼっちで、孤独と不安、困難の中に捨て置かれはしないことを、ルカのクリスマス物語は証しているのです。

(20230115週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年1月15日日曜日

顕現後第2主日礼拝【礼拝動画】

本日1月15日は顕現後第2主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
長野教会は信徒礼拝として、
松本教会は主日礼拝として 両教会10時半より守られました。

礼拝後、松本教会では女性会総会と、教会の定期総会に向けて役員会を行いました 。
ひとりひとりが協力し支えあう教会として新しい年度を歩みだせることを祈りつつ、準備を進めています。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は松本教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**

イザヤ書49章1-7節〈旧p1142〉
コリントの信徒への手紙 一 1章1-9節〈新p299〉
ヨハネによる福音書1章29-42節〈新p164〉


説教「背中のキリスト」

*祈り*

愛と平和の主なる神様。
あなたは全ての人の救いのために、ご自分の力だけではなく、そこに生きる人々の手をあえて借りられました。
マリアとエリサベトによってこの世に生まれさせ、洗礼者ヨハネを先駆者として遣わし、御子イエス・キリストの姿を取って、人々の間で歩まれました。
いつでもあなたの働きは、私たちの目に見える御手の働きとしてあって、私たち一人ひとりを用い、また導いてくださるものです。
私たちの歩みの全てがあなたの導きの内にあることをおぼえさせ、あなたから与えられたものを感謝して受け取るとともに、キリストを証しする者として、謙虚に御言葉に聴き従う者として私たちを立ててくださいますように。

主よ、あなたが旧約の時代に見つづけてきたように、私たち人間は、より強い力、より高い地位、より多くの経済力を求め、競い合い、奪いあう現実が今なおあります。
それは一歩間違えればより大きな争いと略奪を引き起こし、平和を失わせてしまうものです。
そのような罪を抱え続けている私たちを、どうか十字架のキリストによって赦し、あなたの赦しこそが何よりも平和をもたらす力であることを、全ての人が心に留めることが出来るようにしてください。
あなたがキリストを通して人々に教えられたのは、分かち合い、支えあう生き方でした。
ひとりひとりがあなたの愛によってこの世に命を与えられ、失われてよいいのちなど一つもないという当たり前に立ち返って歩むことが出来るようにしてください。
不慮の事故や不条理な事件によって失われたいのちのすべてが、どうかあなたの御許に引き上げられ、安らかであるようにと祈ります。
今日様々な理由から教会に来ることのできなかった方々の上に、神様の守りと祝福がありますように。
病の中にある人には癒しと回復が与えられますように。
そして来たるべき教会総会においては、私たちが心を一つにし、この教会を支えあっていくことが出来るように、一人ひとりを信仰の中に立ててください。






2023年1月12日木曜日

次回15日・顕現後第2主日礼拝のご案内

次週2023年1月15日(日)は顕現後第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「背中のキリスト」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。 『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。 わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」 そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。 わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

──ヨハネによる福音書ヨ1章29-42節

2023年1月11日水曜日

今週の黙想文(ロマ14:19)

平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。
──ローマの信徒への手紙14章19節


† † †

「実に、キリストは私たちの平和であります。…ご自分の肉において敵意という壁を取り壊し…(エフェソ2:14)」とパウロは言いますが、キリストのように全ての人との間から完全に敵意を取り除くことは大変難しいことです。
ましてや、互いの向上に役立つことどころか、妬みによって足を引っ張りあうことすらあります。
しかしパウロはここで理想論を語っているのではなく、具体的な兄弟との関わりについて述べたうえでこのように言っているのです。
あるビジネス書に、「大きな目標を達成するには、最終的にそこにたどり着くための小さな目標を達成し続けて積み重ねるのがよい」と勧められていました。
はるか遠くの理想にも見えるキリストの平和と向上が追い求められるためには、まず私たちの一番近くにいる人に対して平和を求めていくことから始めることから始めてみましょう。
そこにこそ、敵意の壁を取り除くキリストが、私たちとその隣人との間に立ってくださいます。

(20230108週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年1月8日日曜日

主の洗礼日礼拝【礼拝動画】

本日1月8日は主の洗礼日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
長野教会は主日礼拝として、
松本教会は通信礼拝として 両教会10時半より守られました。

寒さが厳しくなるなか、今月末に控える教会総会の準備を進めています。
今年度を振り返り、新しい年度に向けて皆で歩みだすための区切りの時とされるよう、心を一つにして待ち望みたいと思います。
インフルエンザも流行宣言が出たところですが、どうぞ皆様の健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は長野教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**

イザヤ書42章1-9節〈旧p1128〉
使徒言行録10章34-43節〈新p233〉
マタイによる福音書3章13-17節〈新p4〉


説教「この世の光として立たされて」

*祈り*

世の光として私たちを造りたもう主なる神様。
あなたはイエス・キリストを私たちと同じ歩みへとお遣わしになりました。
目を見張る奇跡や、力強いみ言葉をもってあなたの権威をお示しになり、その一方で私たちの心に寄り添った関わりを持ってくださるお方として、キリストの歩みを支えてくださいました。
私たちの世には暗闇が満ちています。
それは罪による暗闇です。他者に寄り添うことが出来ず、自分の欲と願いを一番に考えて動いてしまう、打算的な生き方をする人々が大勢います。
止まることのない世界中で起こっている戦争と、自国の利益のためにそれを推し進める国々があります。その抑止力に力を入れるばかりに、むしろ戦いの火種を振りまいている国もあります。
主よ、あなたはキリストにおいて全ての敵意の壁を取り除かれました。
あなたがキリストにかけられた愛のみ言葉をもって、怖れと不安、暴力と欲望をわたしたちのうちから取り除いてください。
愛と喜び、希望と守りに満ちたあなたの御心に適った歩みへと、私たちを押し出してください。
そしてその歩みと関わりのゆえに、一人でも多くの人々が、苦しみを乗り越える支えを与えられ、重荷を降ろし、互いに愛に満たされる関係性を、よりいっそう広げることが出来るように用いてください。
いよいよ今月は両教会の定期総会を控える月となりました。
どうかこの一年を振り返り、新しい年に向けて私たちがどのような歩みへと踏み出すことが出来るかを示してください。
私たちひとりひとりがあなたの子どもとされ、教会という集まりが神の家族であるということをおぼえて、教会を支える柱としての働きを無理なく担い、支え合うことが出来るように、どうか私たち一人ひとりの心を新たにしてくださいますように。






2023年1月5日木曜日

次回8日・主の洗礼日の礼拝案内

次週2023年1月8日(日)は主の洗礼日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「この世の光として立たされて」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。 ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」 しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。 イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

──マタイによる福音書3章13-17節

2023年1月2日月曜日

牧師エッセイ(2023年1月)

1月中旬頃、全国的には「どんど焼き」と呼ばれるお祭りが行われています。
長野では「三九郎」や「道祖神祭」と呼ばれているものにあたります。
正月の飾りや書き初めなどを燃やすことで、厄落としをする儀式として親しまれているものです。
門松やしめ縄は、家族に繁栄と息災をもたらす神様が来る目印として飾るものですが、同時に悪いもの(厄)も当然やってきます。
厄を家の中に入れないのが道祖神の役割であり、厄を留める依代としても、しめ縄などが用いられているのでしょう。
人々は繁栄と息災をいただくために準備し、それに応えて降ってこられた神様を迎え、どんど焼きをもって天へと見送っていく──それらは本来、人の祈りによって引き起こされる神様との関係を表していると言えるかもしれません。

旧約聖書は人々が繰り返し争いあい、傷つけあう人間の罪の姿を描き出しています。
自ら罪から逃れることのできない人々を救うために来られたのが、救い主イエス・キリストでした。
ヨハネ福音書はキリストを「言(ことば)」と表現します。それは、神様の側から私たちに語り掛け、祈りをもって対話してくださる存在として、キリストが来られたことを意味しています。
私たちの罪の苦しみに無関心ではいられない神様の、愛と私たちへの祈りによって、私たちは救いへと招かれているのです。
み言葉と祈りによって私たちが絶えず導かれていることをおぼえつつ、新しい一年へと踏み出してまいりたいと思います。

サンドロ・ボッティチェッリ 「東方三博士の礼拝」 


2023年1月1日日曜日

元旦(降誕節第2主日)礼拝【礼拝動画】

あけましておめでとうございます。
本日1月1日は元旦(降誕節第2主日)の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
長野教会は家庭礼拝として、
松本教会は14時より主日礼拝として守られました。


新年初めての礼拝が、すがすがしい快晴に恵まれ、御言葉に共に与ることが出来たことを感謝します。
みなさまの一年もまた、心晴れやかな一年となりますよう、祈っております。

**24日・25日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は松本教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**

イザヤ書63章7-9節〈旧p1164〉
ヘブライ人への手紙2章10-18節〈新p402〉
マタイによる福音書2章13-23節〈新p2〉


説教「『はい』と『よし』の一年へ」

*祈り*

私たちのいのちの与え主なる神様。
あなたはお造りになったすべてのいのちを、愛のうちに導いておられます。
しかし私たちの現実の中には、あなたの御心に適わない悲しみも多く起こりうるものです。
主よ、あなたは幼子イエスとして、その現実の中に生き抜かれました。
キリストがそうであったように、私たちが悲しみに暮れる時には慰めをもって寄り添ってくださり、つらさを抱える時には共に支えて下さり、また喜びの時には共に喜んでくださるお方として、あなたはわたしたちのもとへと来てくださいました。
わたしたちもまた、あなたが歩まれた道をたどり、愛と慈しみに溢れた関わりを保つことが出来るように、今年一年を導いてください。

天地創造の初めに、あなたはすべてのものを創造し、そのすべてを「良し」としてくださいました。
私たち一人ひとりがどのような時にもあなたに命を与えられた存在として、よしとされていること、愛を持って見守られていることを、忘れることがありませんように。
そしてそれは、私たちと関わるすべての人においても同じであること、等しくあなたに愛されている存在としてあることを、おぼえさせてください。
私たちが人間関係において悩みを抱える時にこそ、あなたがキリストを通して示された愛に満ちた歩みに、私たちをも押し出してください。

私たちを取り巻く現実の中で、神様、あなたをおいて主はおられないことを、年の初めに当たり、改めて信じます。
私たちに与えられているすべてのものはあなたから与えられている恵みであることをおぼえ、感謝します。
時にはあなたが私たちに与えられたものを取り去れること、老いや病、家族や友人との関係の中で、重荷を背負わされることもあるかもしれません。
しかしそのすべてにおいて、あなたの御心を見出し、すべてを「よし」とする一年として歩むことが出来るようにと、どうか私たちを絶えず悔い改めさせ、あなたに心を向けて、この一年を導きのうちに守ってくださいますように。