2024年2月28日水曜日

今週の黙想文(ルカ2:34)

「御覧なさい。この子は、
イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、
また、反対を受けるしるしとして定められています。
──ルカによる福音書2章34節


† † †

ある記事に日本人は世界の中でもペットロスに陥りやすい、と書いてありました。
その根拠として、日本人の感性では古来から食べる動物とペットを区別せず、その境界線のあいまいにしてきたそうです。
また欧米の感性では「神様は食べる動物とペットを区別して造られた」と考えており、「すべての生き物には死が与えられている」と捉えられています。
死を見つめつつ、限りある時間の中で出来る限りの愛情を注ぐのだから悲しくてもペットロスにはなりにくい、ということでした。
マリアは幼いイエスを神殿に連れていくと、シメオンからイエスの十字架の苦難を予告されます。
マリアにとってもわが子であるイエスを、いつかは神様の御心のために十字架へと送り出していかねばならない、その定めを「全てを心に留める」ことによって受け入れていったからこそ、神様の救いは実現へと進んでいきました。
死に悲しみは必ず同伴するものですが、死を悲しみだけでは終わらせない慰めと福音を、神様は必ず用意されるのです。

(20240225週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2024年2月25日日曜日

四旬節第2主日礼拝。

本日2月25日は四旬節第2主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として
両教会10時半より礼拝が守られました。

先週までは春のような陽気でしたが、今週は打って変わって松本は雪景色となりました。
天候が悪かったせいか通信環境が不安定でしたが、再接続後は無事に礼拝が守られ、感謝です。
今週金曜日、10時より、世界祈祷日礼拝が松本教会にて行われます。

今年の祈りに覚える国はパレスチナ、平和について祈る時となればと思います。


*最新の説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストよりご視聴できます。*

***


*今週の祈り*

平和と命の主なる神様。
あなたがこの世界を造られ、人が罪の中に生きるようになってから幾千年の時が過ぎてなお、わたしたちは罪を克服することができていません。
しかし主よ、あなたは私たちから罪を取り除くことを望まれるのではなく、罪を赦し、罪がありながら罪のない者として生きる道を示してくださいました。
キリストのみ言葉と、その十字架に示された赦しは、私たちの御心に適った日々が悔い改めから始まることを教えてくださいました。
主よ、悔い改めのこの季節において、私たちにとって悔い改めることがどれほど難しいかを知ります。
自分の罪を見つめ、それを省み、繰り返しそこから逃れようとしてもそうはできない私たちの苦しさを、あなたは身をもって味わってくださいました。
どうか主よ、私たちが罪から逃れることが出来なくとも、それを超える多くの愛によって、全ての人との関わりを保つことができるようにしてください。
自分勝手な思いと怒りが先に出ることがないように、あなたが十字架において忍耐されたことを思い起こし、私たちもあなたの十字架の道に従っていくことができるよう、今日のみ言葉をわたしたちの心に刻んでくださいますように。
主よ、あなたがキリストを遣わしたパレスチナでは、イスラエルとの戦火が今なお消えることがありません。
ほとんど無力な人々を一方的に空爆によって蹂躙し、怒りと悲しみ、恨みの連鎖が深くなっているパレスチナをおぼえて祈ります。
どうかあなたが呼びかけられた悔い改めの御声が、人を傷つけている全ての人の心に届きますように。
一刻も早く、あなたが造られた一人一人のいのちがこれ以上傷つくことのないように、戦いが終わり、安心できる場所が確保され、傷つけられた人々の体と心が癒されますように。
あなたの御心が地において実現するその時を待ち望みます。主よ、私たちの祈りをお聞きください。
私たち一人一人が、自らの罪を今日ここに省みます。
そしてその罪の深さを知るがゆえに、私たちの関わりあう人々のうちにある罪をも、赦せるようにしてください。
共に罪を抱え、共に十字架を背負う者として、悔い改めの道を共に歩みだしていけるように、私たちの心を一つにしてくださいますように。








2024年2月22日木曜日

次回25日・四旬節第2主日礼拝のご案内。

次週2024年2月25日(日)は四旬節第2主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「あなたの十字架を背負って」

と題して、
10時半より、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストをご覧ください。

† † †

それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」


──マルコ福音書8章31-38節

2024年2月21日水曜日

今週の黙想文(ルカ15:32)

お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
いなくなっていたのに見つかったのだ。
祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。
──ルカによる福音書15章32節


† † †

放蕩息子のたとえと呼ばれるこのたとえ話の主人公は、放蕩息子だけではありません。
登場する分量は少なくとも、放蕩息子の兄と、父親にたとえられる神様とのやり取りには、ハッと気づかされるものがあります。
確かに、いつも父親に従って無駄遣いもせず、真面目に生きてきた兄の言い分も当たり前のように聞こえます。
しかしここで放蕩息子であった弟への兄の憤慨は、弟と自分を比べ、どちらがより報われるにふさわしいかと裁こうとしているからこそ生まれている気持ちなのです。
父親にたとえられている神様の「当たり前」は、このような比較によって報いるかどうかを決めるものではありません。
全財産を払っても買い戻すことのできない息子のいのちが今日まで失われることなく、悔い改めて帰ってきたというだけで、神様にとっては祝宴を開くに十分な喜びがあったのです。
神様が私たちに向ける「当たり前」は、誰かと比較されて与えられる相対評価の関わりではなく、かけがえのないあなたが何を感じ、どのような道を歩んできたのかに深く寄り添う、究極的に絶対評価の愛なのです。

(20240218週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2024年2月19日月曜日

四旬節第1日礼拝。

本日2月18日は四旬節第1主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より礼拝が守られました。

本日は松本教会にて役員就任式を行いました。
松本教会に主の祝福と導きがあり、役員をはじめとした皆様の働きによって今年度も支えられていきますように。
また、お二人の方が転入されました。お二人の信仰の歩みが神様の祝福のうちに守られますように。

*最新の説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストよりご視聴できます。*

***

*今週の祈り*

罪のあがない主なる主なる神様。
あなたはキリストを通して、この世の罪の現実を改めてその身に受けてくださいました。
そこには私たちへの深い寄り添いがあります。
この世のすべてを創り上げられたあなたが、唯一あなたから離れ、あなたに背いた私たちを、それでもあきらめることなく、どうにかして救おうとしてくださっている、その愛を、私たちはキリストの姿から聞き取ります。
私たちが生きている世界、毎日の生活、人と人との関わりの中には、楽しいことや喜ばしいことがあります。
一方で疲れ果て、悩み苦しみ、迷うこともあります。
しかし主よ、あなたはそのような私たちの歩みにこそ共にあって、同じようにそれを味わってくださいました。
主よ、どうかそのようなとき、私たちがあなたから受けた寄り添いと愛に立ち、希望と喜びをその道の先に見据えて歩んでいくことができるように、支えてください。
祈りをもってあなたとの交わりを深め、絶えず私たちが歩むべき道、関わるべき相手とその振る舞いを整えて行くことができるように、絶えざる祈りへと導いてください。
今日は松本教会の役員就任式を行いました。役員として召し出されている4名を、あなたの御手の働きとして用い、支えてくださいますように。
私たち一人一人があなたによって教会へと招かれ、教会の柱とされていることを思い起こしつつ、この一年もまた、一人一人にとって出来ることを担っていくことができますように。
また、松本教会にはお二人の方が転入されました。あなたがこの二人を導き、主の交わりと働きを担うものとしてこの群れに加えてくださったことに感謝しつつ、お二人の信仰生活があなたの祝福のうちに守られますように。
この松本教会という群れが、祈りあい支えあう主の群れとして整えられていくように、悔い改めをもって祈りを捧げます。







2024年2月15日木曜日

次回18日・四旬節第1主日礼拝のご案内

次週2024年2月18日(日)は四旬節第1主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「祈らされる場所」

と題して、
10時半より、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストをご覧ください。

† † †

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。


──マルコ福音書1章9-15節

2024年2月14日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ16:2)

あなたがたを殺す者が皆、
自分は神に奉仕していると考える時がくる。
──ヨハネ福音書16章2節


† † †

十字架にかけられていく前の晩、キリストは弟子たちにこのように言われました。
このみ言葉は信仰者が最も気を付けなければならない罪について触れています。
私たちがキリストへの信仰のゆえに立たされ、隣人との関わりの中で「これが神様の望んでおられることだ」と思う時、その根拠については常に悔い改めと精査が必要である、ということです。
ユダヤ人たちはイエスを十字架にかけることを、神に正しいことだと信じて疑いませんでした。
実際には自分たちの保身と利権を守るという自分勝手さを、これが神の御心であるという決めつけによって正当化したのです。
「神様はきっと私に、このように生きよと言ってくださっている」という信仰は、私たちを信仰によって強く立たせる支えになります。
しかしそこで一度立ち止まり、自らの振る舞いを正当化するために神様を利用してしまっていないかを、振り返ることの大切さを思わされるのです。
当時のユダヤで最も聖書に精通していたユダヤ人が、その罪に陥りました。
私たちもこのような罪を避けるために、祈りと悔い改めからはじめ、隣人への愛のわざを担ってまいりたいと思います。

(20240211週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2024年2月11日日曜日

主の変容主日礼拝。

本日2月11日は主の変容主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として
両教会10時半より礼拝が守られました。

本日は長野教会にて役員就任式を行いました。
長野教会に主の祝福と導きがあり、役員をはじめとした皆様の働きによって今年度も支えられていきますように。
先日の大雪の際にも、雪かきをしてくださり感謝です。

*最新の説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストよりご視聴できます。*

***


*今週の祈り*

私たちの歩みの全てを導いておられる主よ。
あなたはわたしたちの歩みのすべてをご計画のうちに導いておられます。
この世には、私たちの想像を超えた様々な出来事が起こります。
そこには、私たちにとって都合の悪いこと、逃れえない悲しみや苦しみを抱えることもあります。
主よ、わたしたちはそのような出来事に直面した時、あなたに問いかけます。
なぜでしょうか、どうして今、このようなことが起きるのでしょうか。
救いの神であるあなたに祈りをもって問いかけ、答えを示してもらいたくなる時があります。
主よ、そのような時、私たちが私たちの考えのうちに、安易な答えを見つけるのではなく、あなたのみ言葉を聞き続けるための信仰をお与えください。
信仰を通してあなたが歩まれた十字架の道のりを、思い起こさせてください。
御子の命をも惜しむことのなかったあなたの愛を私たちは探し求めます。
私たちにとって最も良い時に、あなたの答えを示してくださいますように。
あなたが不条理な悩み苦しみに寄り添ってくださり、必ず救いへと導いてくださることを信じることができますように。

主よ、一年の締めくくりである教会総会が、長野教会・松本教会の両教会で終えることが出来ました。
一年の歩みを振り返りつつ、新しい一年へと歩みだしていく中にあって、どうか私たちを祝福してください。
そして特に、今日は長野教会の役員就任式を行いました。役員として召し出されているお二人を、あなたの御手の働きとして用い、支えてくださいますように。
私たち一人一人があなたによって教会へと招かれ、教会の柱とされていることを思い起こしつつ、この一年もまた、一人一人にとって出来ることを担っていくことができますように。
人と人、神と人との関係を回復される主よ。
どうか私たち一人一人の信仰を通して、この世のあらゆる断絶のなかにある人々のために祈らせてください。
あなたの導きと救いのご計画が、人の手と絶望によって絶たれることがないように、どうか主よ、慰めをもって一人一人に寄り添い、必要な助けをお与えくださいますように。






2024年2月8日木曜日

次回11日・主の変容主日礼拝のご案内。

次週2024年2月11日(日)は主の変容主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「いつか必ずわかる日がくるから」

と題して、
10時半より、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

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† † †

六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。

──マルコ福音書9章2-9節

2024年2月7日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ14:26)

聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、
わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
──ヨハネ福音書14章26節


† † †

作家の灰谷健次郎さんが子どもたちの詩を紹介しています。
その一つに小学一年生の「こえ」という詩がありました。
「おかあちゃんが
 きをつけてねといった
 ぼくは はい いってきますといった
 おかあちゃんのこえが
 ついてきた
 がっこうまでついてきた」
キリストが十字架にかかって死ぬ、と聞いた弟子たちは怯えています。
今まで一緒にいてくれた心強い方が、永遠に離れていってしまう、その不安が弟子たちを満たしていました。
しかしそのような弟子たちにキリストは聖霊を送る約束をし、力付けようとするのです。
聖霊はキリストの教えを思い起こさせ、また教えるものであるとされています。
聖霊に満たされた信仰の歩みとは、前述の詩のように子どもが親からかけられた「こえ」を繰り返し聞きながら、それを心に留める歩みに近いものだと思います。
親が愛する子を送り出していく時、何を想い、どんな言葉をかけるのか。その思いはまさに十字架に向かっていくキリストの思いと重なります。
私達に届けられている御言葉一つ一つに、神様から私達へ、たくさんの想いが込められていることを思い起こさせ、私たちを守り導く「こえ」こそ、聖霊なのです。

(20240204週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2024年2月4日日曜日

顕現後第5主日礼拝。

本日1月28日は顕現後第4主日の礼拝でした。

松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より礼拝が守られました。

本日は松本教会の教会定期総会でした。
この1年の間、松本教会を支えてくださった皆様に感謝しつつ、新しい一年への歩みに踏み出すことができました。
また、赴任してからの6年間を振り返りながら、松本教会の皆様にも、牧師住居のことを含めて、たくさんのご配慮とお支えをいただいたことを思い起こしています。感謝です。
愛とお互いの配慮に満ちた、風通しの良い教会として歩んでいければと願っています。


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***


*今週の祈り*

主よ、
この世における人と人との関係性は、分裂と断絶、争いと傷つけあいに満ちています。
それは、私たちのうちにある罪が原因であると、あなたは聖書を通して教えてくださいました。
主よ、あなたは私たちが争いあうこと、傷つけあうこと、離れ離れになること、痛みと苦しみを抱えることを、望んではおられません。
だからこそ私たちが罪に対抗し、そこから逃れられない苦しみにとどめられ、いっそう罪深い自分を振り返って、自分を嫌いになってしまうこともまた、望まれません。
あなたが果てしない赦しと愛を私たちに示してくださったのは、私たちが罪ある自分を受け入れ、あなたがわたしたちを受け入れてくださったことに感謝し、その喜びのうちに歩んでほしいと願っておられるからでした。
主よ、私たちが罪を裁きあうのではなく赦しあい、欠けたところを認め合い、あなたの御心を探り求めながら、キリストが人々との関わり合いの中で示してくださった生き方を、私たちもたどることができますように。
悩み苦しむ人々が大勢いる今日の世界の中で、まず私たち自身が、あなたからの恵みと喜びのうちに立たされていることを知り、受け止め、それに応えて生きていくことができるように、押し出してください。
特に今日は、松本教会の定期総会がこの後行われます。
私たちのこの1年の歩みを振り返り、新しい一年へと踏み出していく区切りの時となります。
私たちが教会の柱として立たされてきた一年に感謝しつつ、心を新たにし、新しい一年へと踏み出していくために、私たちをあなたの愛に立たせてください。
ペトロのしゅうとめがそうであったように、私たちの信仰を新しくし、喜びをもって担える奉仕のわざを、一人一人に委ね、担わせてくださいますように。





2024年2月1日木曜日

次回2月4日・顕現後第5主日礼拝のご案内。

次週2024年2月4日(日)は顕現後第5主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「24時間戦えなくてもいいんです」

と題して、
10時半より、
松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

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† † †

すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

──マルコ福音書1章29-39節