2022年1月30日日曜日

顕現後第4主日礼拝【礼拝動画】20220130

本日1月30日は、顕現後第4主日の礼拝でした。
10時半より、長野教会・松本教会共に、会堂での礼拝を中止し、ライブ配信のみの礼拝として守られました。
それぞれの場所において祈りを合わせてくださった方々に感謝いたします。

長野県では蔓延防止等重点措置(緊急事態宣言)が出され、心なしか街中も緊張した雰囲気があります。
場所と時間を超えて祈りを合わせている方々がおられるということを支えに過ごしています。
来週までは会堂での礼拝は中止されていますが、一日も早く減少傾向に向かうように、祈りを合わせましょう。
また、病の中にある人々には癒しを、このような状況の中でも懸命に働いておられる方々一人ひとりの健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書1章4-10節〈旧p1172〉
コリントの信徒への手紙 一 13章1-13節〈新p317〉
ルカによる福音書4章21-30節〈新p108〉

説教「不平等を超える言葉」

*祈り*

愛の源である神様。
私たちがあなたの御名によって祈りを捧げる時、全てのことをかなえてくださると仰ってくださいました。
しかし主よ、私たちが祈りを捧げる時、まず私たち自身の罪と無力さとに目を向けることが出来ますように。
私たち自身をあなたの御心にお委ねすることから、私たちが祈りを始めることが出来ますように。
主よ、この世にはあらゆる不平等と不自由が私たちを苛んでいます。
私たちの心に巣食う罪が、はるか昔から私たちから他者を愛し配慮する心を奪ってきました。
どうか主よ、あなたにあらゆる罪を赦されていることを私たちが信じる時、その大きな神様の愛のゆえに、私たちもまた、あなたの愛と赦しに満ちた関わりへと生かしてください。
自らの罪に目を向ける勇気を与え、悔い改めへと招いてください。

特に最近では、大きな不安と怖れとが多くの人々の心を支配しています。
余裕を失い、他者を省みることが出来なくなり、傷つけあう姿が、悲しい事件となって報道されています。
どうか主よ、そのように心から余裕をなくし、自分の思いだけに囚われている一人ひとりの心を、踏みとどまらせてください。
ますます勢いを増すコロナ禍において、この苦難を乗り越えるために必要な信仰と、希望と、愛とを、世に生きる一人ひとりのうちにお与えくださいますように。
こうしてあなたに祈りを捧げることさえ、ひとところに集まることが出来ないままの状況が続いていますが、私たちがいつどこにあっても、あなたの御名によって一つの群れとされていることをおぼえさせてください。
あなたからの平安に満たされるために、あなたへの祈りを絶やすことのないように、悔い改めをもって私たちを導いてください。

2022年1月26日水曜日

今週の黙想文(Iコリ15:10)

神の恵みによって今日のわたしがあるのです。
──コリントの信徒への手紙 一 15章10節

† † †

神様から与えられる恵みは、単に私たちを喜ばせるものというだけではありません。
「使徒たちの中でも一番小さな者」と自称するパウロにそれが現れたことで、彼はキリスト者を容赦なく迫害する者から、最もキリストの福音を広く伝えた人へと変えられていったのです。
私たちが日々の中に見つける神様の恵みの一つ一つは小さいものかもしれません。
しかし、私たちの人生全体の中でそれがどのような働きをしているのか、私たちに何を問いかけ、導き、整え、そして変えてきたのかと捉えなおすとき、小さな一つ一つの恵みは、私たち自身を形づくるための神様のご計画を指し示す、大きな恵みであったことに気付かされることでしょう。
私たちはこれまで誰と出会い、どのような言葉を交わし、そして変えられてきたのでしょうか。
私たちが「今日」、神様の救いに生きるために、これまでの私たち自身に与えられた神様の働きを見出すようにと、御言葉は私たちを招いているのです。

(20220123週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年1月23日日曜日

顕現後第3主日礼拝【礼拝動画】20220123

本日1月23日は、顕現後第3主日の礼拝でした。
10時半より、長野教会・松本教会共に、会堂での礼拝を中止し、ライブ配信のみの礼拝として守られました。
それぞれの場所において祈りを合わせてくださった方々に感謝いたします。



一日でも早い収束を祈ります。
病の床にある方々お一人おひとりに、癒しがありますように。
また、祈りが私たち一人ひとりを力づけ、平安に保たせるものとなりますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ネヘミヤ記8章1-3,5-6,8-10節〈旧p749〉
コリントの信徒への手紙 一 12章12-31a節〈新p316〉
ルカによる福音書4章14-21節〈新p107〉

説教「これまでも、これからも、今日を」

*祈り*

救いの主なる神様。
主よ、世界は再び混乱のさなかにあります。
新型コロナウイルスの流行が再び起こり、全国でこれまでにないほどの感染者数を連日記録しています。
その中にあって、あなたは変わらないみ言葉をもって、私たちの心を慰め、癒し、支えてくださっています。
キリストを通してあなたが語ってくださったように、どのような状況の中にあってもわたしたちがキリストの愛と赦しに立って生きることが出来るようにしてください。
捕らわれている人、病の中にある人、圧迫されている人をおぼえ、祈りを合わせることが出来ますように。

全国で毎日何千人もの人々が病の苦しみの中に留められています。
そこには、社会や隣人との断絶も起こっています。
どうか様々な病の苦しみにある一人ひとりが、あなたが一日でも早く癒されますように。
そこに人との関わりが断たれているなら、どうかその関係性をも回復してください。

これ以上感染を拡大させないように、またかかってしまった人を懸命に助ける働きにある医療従事者の方々、私たちが生きるために欠かせない働きについているエッセンシャルワーカーの方々の働きをあなたが祝福し、またその労に報いてください。
彼ら一人ひとりもまた感染リスクの恐れの中に立たされています。
どうか一人ひとりを力づけ、その健康を守り、導いてくださいますように。
そしてそのような働きによって私たち一人ひとりの生活が守られ、今日も生かされていることに感謝しつつ、日々を過ごすことが出来ますように。

今日、私たちは一つの場所に集まることが出来ず、それぞれの場所、それぞれの時間において、祈りを合わせています。
主よ、どうか私たちを、この祈りによって一つにしてください。
私たちが祈りを合わせる時にこそ、そこにキリストが共におられることをおぼえさせ、私たちを力づけてください。
あなたの御心と導きにこそ、わたしたちのすべての歩みを委ねます。


2022年1月19日水曜日

今週の黙想文(エフェソ2:8-9)

あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。
……それは、だれも誇ることがないためなのです。
──エフェソの信徒への手紙2章8-9節

† † †

多くの人々にとって神様の救いが理解しがたい理由の一つは「対価なしに救われるはずがない」ということです。
これは、人が誰かを助けるとき、全くの打算なしにはありえない世界に私達が生きていることの証です。
しかしもし、私達に与えられる救いに神様が何か対価を求めたとしたら、私と神様との関係は救われても、他の人との関係は救われないままだったでしょう。
神様が救いにおいて私達の力を全く必要とされなかったのは、私たちの罪を見つめ、その救いが全ての人々との関わりのうちにも与えられるためだったのです。
それゆえ、私達にとって救いとは何かという問いの答えは、私達が信仰に立って他者との関わりを持つときに明らかにされるのです。
私達の信仰、その救いは、私達と誰かとの関わりをどのように支え、また変えてきたのでしょうか。
神様によって私たちの罪が赦されるという救いは、私たちもまたその罪を見つめ、避けようとすることにつなげられているのです。

(20220116週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年1月17日月曜日

次回23日・松本教会礼拝中止(配信のみ)のお知らせ

 次回23日(日)は、松本教会では会堂での礼拝を中止します。

当日23日の礼拝は、当ブログにてライブ配信動画にてご参加ください。

礼拝の再開については、今後協議の上、また当ブログにてお知らせいたします。

2022年1月16日日曜日

【お知らせ】祈り会お休みのお知らせ

*松本教会 祈り会 中止のお知らせ*


今週19日(水)14時~・19時~に松本教会にて予定していました祈祷会、「詩編に学ぶ~祈りと共に~」は、新型コロナウイルス感染防止のため、お休みになります。
今後、県内の新型コロナウイルス警戒レベルが3以下まで下がりましたら、再開いたします。
病の苦しみの中にある人のため、また新型コロナウイルス収束のために、それぞれの場所で祈りを合わせましょう。

顕現後第2主日礼拝【礼拝動画】20220116

本日1月16日は、顕現後第2主日の礼拝でした。
10時半より、長野教会では家庭礼拝として、松本教会では主日礼拝として行われました。


全県で新型コロナウイルス警戒レベルが4となり、松本市も長野市もレベル5に引き上げられたため、同時にライブ配信を再開しました。
それぞれの場所において祈りを合わせてくださった方々に感謝いたします。

来週23日・松本教会の礼拝はライブ配信のみとなり、会堂での礼拝は中止となりました。
また、今週水曜日19日に予定していた祈り会も中止となりました。

どうぞ皆様の健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書62章1-5節〈旧p1163〉
コリントの信徒への手紙 一 12章1-11節〈新p315〉
ヨハネによる福音書2章1-11節〈新p165〉

説教「神の奇跡はいつ起こる」

*祈り*

全てを益となるように導かれる主よ。
この世の全ての人々が、あなたに祈りを捧げています。
あなたは、あなたを信じる人だけではなく、信じていない人々にも、生まれながらにして祈ることを教えられました。
それは、あなたが私たちにいのちをお与えになり、全ての人々があなたの救いに与るようにと、願っておられるためです。
主よ、この世の有様は、あなたの御心からは遠く離れているように見えます。
繰り返し猛威を振るうコロナ禍の中で、多くの人々が病の苦しみに苛まれ、より多くの人々が不安と頑なな心に囚われています。
主よ、このような世であるからこそ、一人ひとりが祈りをもってあなたに心を向けることが出来ますように。
祈りを通して全ての思い煩いや重荷をあなたに打ち明け、それをあなたにお委ねすることが出来ますように。
私たちの目には見えずとも、確かにあなたが私たち一人ひとりの救いのために働いておられることを信じます。
私たちの祈りに対して、必ずしも目に見える働きではなくとも、私たちが今日ここに生かされていること、あなたの御言葉を聞く時が与えられていること、祈りへと導かれていること、そのすべてがあなたの働きなしにはありえないことです。
主よ、わたしたちの歩みの全てをあなたにお委ね致します。わたしたちが日々の中に担う全ての働きと関わりのうちに、あなたが共に働いてくださいますように。
ここ長野の地においても、連日200人を超える陽性者数を記録しています。
多くの人々が病と不安の中にあって、人々との関わりを断たれています。
私たちの教会も、集って祈ることが出来ませんが、場所と時間を超えて、あなたへの祈りを通してわたしたちを繋ぎ合わせてください。
わたしたち一人ひとりが、唯一の主であるあなたからの賜物を受け、務めを担い、互いに愛の働きに従事することが出来るように、これからも私たちを導いてください。


2022年1月12日水曜日

今週の黙想文(イザヤ62:1)

エルサレムのために、わたしは決して黙さない。
──イザヤ書62章1節


† † †

映画にもなった遠藤周作の『沈黙』の中で描かれているのは「神の沈黙」ではなく「人には神が沈黙しているように見えても、決して神は沈黙などしておられない」ということです。
最終的に踏み絵に屈する宣教師ロドリゴが、彼に踏まれることを赦すイエスの声を聞いたように、また映画版のラストでは廃教の文言を綴りつつも黙する信仰を仄めかす描写があることからも、神の働きが必ずしも目に見えるかたちで起こらなくとも、極めて個人的な、霊的な語り掛けによって信仰が保たれるという慰めを力強く語っているのです。
バビロン捕囚の絶望の中で、預言者イザヤは希望の言葉を語ります。
それは、イスラエル王国が壊滅する程の罪の中にあった人々を決して見捨てず「黙することのない」神がおられるという希望でした。
私たちが神様の働きを日々に見出す鍵は、この愛ゆえに「黙することのない」神様がおられることを信じる信仰にあるのです。

(20220109週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年1月9日日曜日

主の洗礼日礼拝【礼拝動画】20220109

本日1月9日は、主の洗礼日の礼拝でした。
10時半より、長野教会では主日礼拝として、松本教会では通信礼拝として行われました。


長野教会でも新年初めての礼拝を守ることが出来ました。

また来年。

クリスマスの期間を終え、クリスマスの飾りつけも皆で片づけました。
長野でも急激に陽性者数が跳ね上がり、改めて感染対策をしっかりやろうと心を新たにしました。
病の床にある方々お一人おひとりに、癒しがあるように祈ります。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書43章1-7節〈旧p1130〉
使徒言行録8章14-17節〈新p228〉
ルカによる福音書3章15-17,21-22節〈新p106〉

説教「祈りに始まり、祈りに終わる」

*祈り*

信仰の源である神様。
あなたは私たちに祈ることを教えてくださいます。
祈りは私たちがあなたから受けた恵みを思い起こすことから始まります。
その喜びと感謝をもって、あなたに心を向けることが出来ますように。
また、私たちの歩みには堪えがたい苦難と困難が襲い掛かる時があります。
主よ、どうかそのような時にこそ、私たちの心を悔い改めさせ、祈りへと導いてください。
ゲッセマネの園において自分の思いよりも御心を求められたキリストの祈りのように、あなたの御心を見出すための祈りへと招いてください。
私たち一人ひとりのいのちは、他ならぬ神様によって造られ、この世に生を与えられました。
それはあなたの働きなしにはありえないことです。
私たちひとりひとりが生かされているという恵みそのものが、あなたの愛の証であることを、私たちが忘れることがありませんように。

主よ、この世は暗闇に包まれています。
それは病やそれによって引き起こされる不安だけではありません。
誰もが日々抱えるストレスや疲れ、老いの苦しみもまた、変わらず私たちを責め立てるものです。
しかしそのような暗雲を切り開き、あなたは聖霊の働きを目に見えるものとして与えてくださいます。
その一つは、祈りです。
苦難の時にこそ、あなたへの祈りへと私たちを導いてください。
祈りを通して、私たちを励まし、慰め、支えてくださいますように。
長野県でも再び、急激に陽性者数が増えてきました。
今日ここに、あらゆる病に苦しむ人々のために祈らせてください。
どうかあなたの御手をもって癒しをお与えください。
そして今日ここに集うことのできなかった人々、時と場所は違えど祈りを共にする人々と心を一つにし、この時を乗り越えていくための力と信仰をお与えください。
どのようなときにも、あなたが絶えず語り続けてくださっている愛の御言葉にこそ生かされ、立たされて歩むことが出来ますように。


2022年1月6日木曜日

次回9日・主の洗礼日礼拝のご案内。

次週2022年1月9日(日)は主の洗礼日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「祈りに始まり、祈りに終わる」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、 10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

† † †

民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。 そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」 民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

──ルカによる福音書3章15-17,21-22節

2022年1月5日水曜日

今週の黙想文(箴言21:2)

人間の道は自分の目に正しく見える。
主は心の中を測られる。
──箴言21章2節


† † †

牧師には時々「聖書について教えてください」というお電話がかかってきます。
そこでほぼ必ず聞かれるのは「神様がいるのに何故世界は良くならないんですか」という質問です。
神様は私たちの意思を捻じ曲げ、世界を無理矢理従わせようとすることはされません。
それは、私たち人間の存在を尊重してくださっているからです。
だからこそ、文字通り私たちと同じ人間となって、同じ目線で御心を語ってくださったのがイエス・キリストでした。
箴言の著者は私たちに正しさとは何かと鋭く問いかけています。
神様は全知全能の力を私たち人間の心に寄り添い、愛するために用いておられますが、その正しさから、私たちの心の内を測られるのです。
自分の目ではなく神様の目に照らして、私たち自身の正しさもまた見極めてまいりたいものです。

(20220102週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年1月2日日曜日

主の顕現日礼拝。【礼拝動画】20220102

本日1月2日は、主の顕現日の礼拝でした。
10時半より、長野教会では家庭での祈りとして、松本教会では主日礼拝として行われました。


新年あけましておめでとうございます。
松本では元旦から晴れ晴れとした天気が続き、気温は低くともすがすがしいと年明けとなりました。
皆様におきましても、今年一年が心晴れやかな一年の歩みとなりますように、お祈り申し上げます。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書60章1-6節〈旧p1159〉
エフェソの信徒への手紙3章1-12節〈新p354〉
マタイによる福音書2章1-12節〈新p2〉

説教「クリスマスはまだ終わらない」

*祈り*

私たちと共におられる主なる神様。
あなたはイエス・キリストの姿をもって、私たちに御心に生きる者の歩みを示してくださいました。
罪ある私たちがその通りに生きることは難しいことですが、そのすべてを先んじて十字架によって赦してくださっているがゆえに、私たちは何度でも悔い改めをもってあなたに従おうとすることが出来ます。
新しい年を迎えた私たちが、今年もあなたの福音にこそ生かされ、立たされて、悔い改めをもって新しい歩みを始めていくことが出来ますように。

主よ、私たちの世の中は混迷の中にあります。
数か月先にどうなっているか、誰も見通しのつかない時代の中で、一日一日の歩みを積み重ねていくしかできない私たちを、どうかあなたがご計画の中に導いてください。
主イエス・キリストは、罪の蔓延るエルサレムへと自ら進んでいかれました。
それは、罪に苦しむ私たち一人ひとりに自ら寄り添ってくださるためでした。
私たちが歩みを進める一日一日がどのような暗闇の中にあろうとも、あなたは夜空にひときわ輝く星のように、私たちの道を照らし、導いてくださる御方であることを信じさせてください。
あなたを信じる私たちの心に平安をもたらしてください。
そしてそれゆえに、私たちが関わりを持つ全ての人々との間に、愛と赦しをもって関わりあうことが出来ますように。
今日ここに集うことのできなかった人々、様々な場所で祈りを合わせている一人ひとりの上にも、この新しい年が祝福の中に歩みだすことが出来るように、あなたが共にある喜びと平安に満たしてください。
あなたを信じる全ての人々が、あなたにより頼みつつ、この一年を歩むことができますように。