2022年5月29日日曜日

主の昇天日礼拝【礼拝動画】

本日5月29日は、主の昇天日の礼拝でした。
長野教会は信徒礼拝として、松本教会は主日礼拝として、10時半から守られました。

ルーテル松本教会墓地


今日は昼の気温が30℃近くなり、まるで真夏のようでした。
お暑い中礼拝に来てくださった方、また午後の墓前礼拝に御参加いただいた方々に感謝いたします。
季節の変わり目、一人ひとりの健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録1章1-11節〈新p213〉
エフェソの信徒への手紙1章15-23節〈新p352〉
ルカによる福音書24章44-53節〈新p161〉


説教「天と地を結ぶ祝福」

*祈り*

執り成しの主なる神さま。
あなたはイエス・キリストを生きたままに天へと上げられました。
その手はわたしたちひとりひとりの祝福を今日も祈りつづけるために、決して下げられることがありません。
その祝福の中にあなたの御心を見出し、わたしたちもまたイエス・キリストを通して証された罪の赦しと悔い改めへと生きることが出来るようにしてください。
そしてあなたの御言葉のゆえに、私たちを証人として立たせ、関わりあう全ての人々との間において、ひとりひとりの命に寄り添い、愛と祝福を祈る者として立たせてくださいますように。

主よ、先日、松本教会に連なる一人の信徒が、地上のいのちの歩みを終えてあなたの御許に召されました。
そのいのちの歩みの全てにおいて、あなたが寄り添ってくださっていたこと、必要な導きと祝福とに満たしてくださっていたことを信じます。
あなたがお与えになったいのちの歩みの中であなたの御言葉に出会い、信仰を与えられて生きた者のいのちを、どうか御許において平安と慰めとに満たしてください。
地上のいのちを歩み通された全ての人々が、あなたがお示しになった復活のいのちに与り、永遠の御国においていつの日か再会できるその日まで、わたしたちもまた信仰の先達者の方々一人ひとりに注がれたあなたの恵みと導きを思い起こしつつ歩むことが出来ますように。

世界で、またここ日本でも、争いや事故、不幸な出来事の中でいのちを落としている人々がいます。
どうかそうして命を失ってしまった一人ひとりの魂を、あなたがすくい上げてください。
そしてこの世に遺され、悲しみと苦しみの中にある人々の心に、あなたがどうか寄り添ってくださいますように。
この世に起こる悲しみの全てを十字架において担ってくださった主イエス・キリストのゆえに、わたしたちが慰めを受け、一層愛に満ちた歩みへと押し出してください。





2022年5月26日木曜日

次回29日・主の昇天日の礼拝案内。

次週2022年5月29日(日)は主の昇天日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「天と地を結ぶ祝福」

と題して、
10時半から礼拝が行われます。
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

長野県域のコロナウイルス警戒レベルが4以下となったため、礼拝のライブ配信を終了いたします。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、 あなたがたはこれらのことの証人となる。 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

──ルカによる福音書24章44-53節

2022年5月25日水曜日

今週の黙想文(創12:1)

主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、
わたしが示す地に行きなさい。」
──創世記12章1節


† † †

ここでアブラハムが神様から命じられたのは、頼れるものが神様以外に何一つない歩みをしなさいということでした。そこには大きな不安があったことでしょう。
しかし神様はアブラハムに「あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」と送り出すのです。
私たちの生涯の歩みの中にも、予想のつかない出来事や出会いが与えられたり、考えもしない場所へと導かれることがあります。
しかしそこで神様は私たちを祝福のうちに送り出し、関わりを持つ誰かをも祝福へ引き入れようとする働きのために用いてくださるものなのです。
私が初めて地元を出たのは大学生の頃でした。知らない土地へと移り住むことの不安が少なからずありましたが、巡り巡ってここ長野の地で牧師の働きを与えられ、多くの人々との関わりを通して祝福と恵みを受けている今、そのことを振り返ると、ずっと昔から神様の導きのうちにあったのだと思い返しています。
様々な不安を抱えつつも、私たちの生涯の歩みの中に満たされた神様の祝福に支えられつつ、日々を過ごしてまいりたいものです。

(20220522週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年5月22日日曜日

復活節第6主日礼拝【礼拝動画】

本日5月22日は、復活節第6主日の礼拝でした。
長野教会は主日礼拝として、松本教会は通信礼拝として、10時半から守られました。
ライブ配信において祈りを合わせてくださった方々にも感謝いたします。

私事ですが、無事第一子が生まれました。その喜びを教会の皆さまと分かち合うことが出来ましたことにも感謝いたします。
長野教会の庭を見ると、アヤメが咲いていました。
アヤメの花言葉は「希望」「メッセージ」「良い便り」。今日という主日においても、個人的にもぴったりの花が咲き、うれしい気持ちでいっぱいです。
皆様におきましても、希望あふれる一週間になりますように。




**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録16章9-15節〈新p245〉
ヨハネの黙示録21章10,22節-22章5節〈新p478〉
ヨハネによる福音書5章1-9節〈新p171〉


説教「全てを担いで歩みだす」

*祈り*

罪の贖い主なる神様。
私たちの中にある罪は、計り知れないほどに深く大きいものです。
私たちが苦しみの中にある時、どうしても私たちは関係のない誰かに対して愛を失ってしまったり、あろうことか憎しみと怒りを向けてしまうことすらあります。
しかしキリストを通して起こされた奇跡とその救いは、単に病のいやしに留まることがありませんでした。
あなたの奇跡と導きは、私たちを癒すだけではなく、罪を見つめさせ、悔い改めさせ、再びあなたの愛に生かすためのものであることを、み言葉を通して語ってくださいました。
それこそがあなたの全き癒しであることを、キリストを通して示してくださいました。

世界中で、多くの人々が、それぞれに苦しみの中に歩んでいます。
戦争や病のため、老いや人間関係の為、そして何よりも一人ひとりの中にある罪のために、わたしたちはあらゆる苦しみを抱えることがあります。
しかし主よ、それこそが私たち人間の本質であることを、あなたは知り、受け止めてくださいました。
私たちを何もかも違う存在として生まれさせるのではなく、今日この地上のいのちにおいて、私たちを悔い改めへと導く御言葉と救いを語ってくださっています。
それは、私たちの罪の姿をもあなたが愛してくださり、寄り添ってくださったことの証でもあります。

どうか主よ、私たちひとりひとりが抱える罪と病の床を、あなたの御言葉と支えによって担ぐことが出来ますように。
そしてそこにこそ、全ての人の罪を十字架において担がれたキリストが、私たちと共にいてくださることを信じます。
今、自分の力ではどうしようもない苦しみの中に留められている人々のために、私たちは祈りを合わせます。
どうか主よ、苦しみの中にある人々のすべてを癒してください。
一人ひとりが自分の全てを担いつつ、あなたに従って歩んでいくことが出来るように、あなたの御言葉に聴き、支えと導きを受けて、今日からの歩みを始めることが出来るように、送り出してください。





2022年5月18日水曜日

今週の黙想文(イザヤ55:3)

耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂に命を得よ。
──イザヤ書55章3節


† † †

魂と命との違いとは何でしょうか。
私たちはそれを分けて考えたことはあるでしょうか。
ここで言う魂とはヘブライ語では「息を吹き入れられたこと」を意味する言葉が使われています。
また、命を得ると訳された言葉は繰り返しを表す未完了形が使われていることから「生き続ける、保存され続ける」という意味にも取れる言葉が使われています。
創世記にも神様が人に鼻から息を吹き入れられることによって生きる者となったという記述があるように、魂とは「神様の息」であると古代ユダヤでは考えられていたのです。
そしてそのいのちとは、その神様の息が続いていくことを指す言葉が使われているのです。
私たちの呼吸が止まることがないように、私たちのいのちは、絶えず神様との関わりの中で循環するものなのです。
生きること自体に息苦しさを感じる時、神様は私たちの魂に呼びかけます──「わたしのもとに来なさい、その言葉を聞きなさい」と。
神様の御言葉に聞き従っていくことは、新しい魂の息吹が私たちに吹き込まれることなのです。

(20220515週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年5月15日日曜日

復活節第5主日礼拝礼拝【礼拝動画】

本日5月15日は、復活節第5主日の礼拝でした。
長野教会は家庭礼拝として、松本教会は主日礼拝として、10時半から守られました。
ライブ配信において祈りを合わせてくださった方々にも感謝いたします。

長野県でも少しずつコロナも減少傾向に転じているようにも見え、今週も会堂での礼拝が守られたことに感謝しています。
今日は昨日から降っていた雨のせいか、久しぶりにまた寒々しい朝になりました。
また、体調を崩された方もおられました。一日でも早い癒しが与えられるようにと祈っています。
様々な困難が襲い来る私たちの生涯の歩みの中にあって、キリストが私たちと共に格闘してくださっていることをおぼえつつ過ごしたいと思います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録11章1-18節〈新p234〉
ヨハネの黙示録21章1-6節c〈新p477〉
ヨハネによる福音書13章31-35節〈新p195〉


説教「生きるという格闘の中で」

*祈り*

愛に満ちたもう導き主なる神様。
イエス・キリストの生涯は、いつでも命がけでした。
弱い人間一人ひとりの力を借りて、あなたはマリアを聖霊によって身ごもらせ、一人の人として生まれ、何度も殺されそうになりながらも、人として私たちの間に生きてくださいました。
あなたの力をもってすれば、イエス・キリストを送らずとも、わたしたちを救いへと与らせることは、簡単なことであったでしょう。
しかし主よ、あなたは敢えて弱く罪深いわたしたちの手を借りて、救いを成し遂げることを選ばれました。
それは、あなたが私たちを深く愛し、一人ひとりの存在を尊び、その心に寄り添ってくださるためでした。

イエス・キリストの歩みと眼差しは、いつでも弱さの中にある人々へと向けられていました。
それは、心身の弱さに限らず、罪によって自分の弱さに目を向けられない人々にも注がれていました。
イエス・キリストを通して語られた御言葉は、確かにわたしたちの罪と弱さを明るみに出すものです。
しかしそれは私たちを裁くためではなく、私たちを愛へと生かし、御心に適った生き方へと導くためであることを、キリストはその姿を通して語ってくださっています。
どうかわたしたちの生涯の中に降りかかるあらゆることが、あなたの導きの中にあり、私たちがいっそうあなたの愛に目覚めるための糧として、受け取ることが出来ますように。
世界中で争いと悲しみが満ちています。
あなたの愛が失われ、平和が奪われている人々がいます。
どうか主よ、私たちがわたしたちのうちに正しさと愛を定めるのではなく、あなたが教えられた愛に立ち返ることが出来るように、何度でも愛の掟を語り直し、また私たち一人ひとりを支えてくださいますように。
そしてどうか、今日この場所から新しい一週間を歩みだす私たち一人ひとりとあなたが共にあって、愛に満ちた日々を過ごすことが出来るように、私たちを力づけ、導いてください。





2022年5月11日水曜日

今週の黙想文(ヘブ11:1)

信仰とは、
望んでいる事柄を確信し、
見えない事実を確認することです。
──ヘブライ人への手紙11章1節


† † †

先日全国のルーテル教会がZOOM上で一堂に会し、平和と共働のための祈りを合わせました。
その説教の中で分かち合われたこのみ言葉は、先の見えない今日において励ましを与えてくれるものでした。
この2年間、一日でも早くコロナ禍が過ぎ去ることをどれだけ祈り求めたことでしょうか。
未だに感染の猛威は収まることを知らず、様々な形で自粛を迫られ、人と人との関わりが断ち切られてきました。
このような苦しい現実のどこに神様を見出せばよいのかという問いは、わたしたち信仰者に重くのしかかってきます。
信仰という日本語は「信じて仰ぐ」という私たちの行為に主体が置かれていますが、元のギリシャ語のピスティスという言葉は他にも「(神の)真実」という意味も持ち、元々神様が主体となる言葉です。
それゆえ私たちの信仰とは、神様が主体として『「神が」望んでいる事柄を確信し、「神の」見えない事実を確認すること』だと聖書は教えるのです。
私たちが傷つき、苦しみ続けることを神様は望んではおられません。
私たちの祈りが願い通りにならなくとも、神様は一人ひとりを苦難から救い出すために絶えず働き続けておられるということだけは確かです。
その信仰を通して現実を見る時、苦難のうちにある慰めと励ましの事実が確かにあることを、知らされるのです。

(20220508週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年5月8日日曜日

復活節第4主日礼拝礼拝【礼拝動画】


 本日5月8日は、復活節第4主日の礼拝でした。
長野教会は主日礼拝として、松本教会は通信礼拝として、10時半から守られました。
ライブ配信において祈りを合わせてくださった方々にも感謝いたします。

ゴールデンウイークが終わり、長野もいよいよ昼間は夏らしい気温になってきました。
松本教会の庭にあるあんずの樹にも、小さい青い実がたくさんなっていて、今年は豊作の予感がします。
ブログをご覧の皆さまも、日々の中に神様の恵みを見つけつつ、喜びに満たされながら過ごせますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録9章36-43節〈新p231〉
ヨハネの黙示録7章9-17節〈新p460〉
ヨハネによる福音書10章22-30節〈新p187〉


説教「支えられるいのち」

*祈り*

いのちの支え主なる神様。
私たちの誰もが、あなたによって愛され、尊いいのちを与えられ、この世に生を受けました。
しかしどれだけ多くの人々が、関わる人々を通してあなたの愛を知ることができるでしょうか。愛を知らず、それゆえに誰かを愛することのできない苦しみの中に留められている人がいます。
そのような一人ひとりが、あなたの御手の働きのために遣わされた人々によって支えられ、今日まで生きてこれたことを、キリストの御言葉から知ることが出来ますように。
そしてどうか、愛を知らない悲しみの中にある一人ひとりのために、その手を握り、思いやりをもって言葉を交わす相手を、どうかあなたが遣わしてください。
わたしたち一人ひとりもまた、あなたの愛を求める誰かのために祈り、またあなたの御手の働きのために用いられますように。
そのために、まず私たち自身があなたによって支えられている大きな恵みを心に留めることができるよう、悔い改めをもってわたしたちの歩みを導いてください。

コロナ禍によって閉塞感が続く中、ストレスを抱えながら耐えている人々が多くいます。
自分を守るために他の誰かを傷つけてしまう人や、必要以上に失敗を責められ心を苛む人がいます。
私たちの罪は、お互いの関係を引き裂き、孤独へと私たちを追いやってしまいます。
世界情勢もまた乱れ、今なお続くロシアによるウクライナへの侵攻は留まることを知りません。
戦いたくない人々が戦いへと送り出され、あなたが愛された一つひとつのいのちが奪われ、踏みにじられています。
親しい人、愛する人との別れと悲しみの中にある人々がいます。
そのすべてのいのちに対して、主よ、あなたは心を寄せておられます。
今日わたしたちがキリストから聞く御言葉によって、ひとりひとりの心があなたに向けられ、懸命にあなたがひとつひとつの命を支えようとしておられることを、一人でも多くの人々が知ることが出来ますように。
遠く離れた場所と人にあっても、あなたが語ってくださった御言葉とその働きは、時と場所を超え、つながっていくことを、復活の主は証してくださいます。
私たち一人ひとりが関わりあう、その関係の中から、いのちを支えあうための働きを、始めていくことが出来ますように。
そしてそのような私たちを、主よ、あなたが支えてくださいますように。





2022年5月4日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ1:42)

「あなたはヨハネの子シモンであるが、
ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」
──ヨハネによる福音書1章42節


† † †

岩という言葉は、旧約聖書の伝統では「揺らがないもの」ということから転じて、「揺らぐことのない救い」を意味する言葉です。
キリストがペトロをこのように呼んだことは、パウロの手紙にもこの呼び名が登場していることからも確かなことですが、福音書の中で登場するペトロの人物はとても「揺らぐことがない」人とは程遠いように見えます。
しかしそんな彼をキリスト教会の初代教皇として、教会の岩、土台として、キリストは立てていきました。
このことには、教会という集まりは決して一人の完璧な人間によって支えられるのではないことを現しています。
むしろ弱さを抱え、迷いつつも、キリストへと何度も立ち返っていく「救いへの熱意」を持つ人々によって教会とは立てられていくものだとキリストは私たちに伝えようとしていたのだと思います。
誰もが罪人であるという現実の中で、赦されていることを知っている私たちであるからこそ、教会という集まりは今日もここに立てられているのです。

(20220501週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年5月2日月曜日

牧師エッセイ(2022年5月)

第94回アカデミー賞授賞式でウィル・スミスがクリス・ロックによるジョークに激怒し、その場で彼に平手打ちをするという出来事がありました。そのジョークはウィル氏の妻が脱毛症に悩まされていることを侮辱するようなものであったからです。
彼は受賞スピーチの中で、謝罪するとともに、同席していたデンゼル・ワシントンから「最高の時こそ気を付けろ。悪魔はそういう時にやってくる」と助言を受けたことを明らかにしています。

宗教改革者マルティン・ルターは悪魔についてこのように教えています。
「悪魔はあなたのすぐ近くにいることを知っておきなさい。……私たちがキリストよりも、自分自身の力や他の友人達を頼ったり信じたりするようにさせる専門家です。」

ウィル氏の怒りは決して理不尽なものではありませんでした。
大事な家族が悩んでいることをジョークで茶化されれば、誰でも嫌な気持ちになるものです。
しかし、そのような状況の中で暴力という自分の力に頼ってしまったことが、彼にとって悪魔の誘いであったのです。

「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。(エフェ4:1-3)」とパウロはエフェソの教会の人々に勧めています。
逆に言えば、わたしたち人間関係の中で、このような柔和と寛容、愛と平和は失われやすいものだということでもあります。

あの日ウィル氏を支えた人物の言葉に、このような悪魔の誘惑に立ち向かうための一つのヒントが隠されています。
劇作家であるタイラー・ペリーは、彼は激高したウィル・スミスにすぐさま駆け寄り、彼のために祈りを捧げたのです。彼はそれを「唯一の解決策だった」と話しているのです。

コロナ禍や乱れる世界情勢の中で、私たちが誰かのために祈ること、出来れば一緒の場所で祈りあうことこそ、私たちを神様の愛と平和へと立ち返らせる唯一の道が開かれていくのです。

2022年5月1日日曜日

復活節第3主日礼拝礼拝【礼拝動画】20220501



本日5月1日は、復活節第3主日の礼拝でした。
長野教会は信徒礼拝として、松本教会は主日礼拝として、10時半から守られました。
ライブ配信において祈りを合わせてくださった方々にも感謝いたします。

生憎の雨で冷え込む日曜日となりましたが、礼拝が守れましたこと、うれしく思います。
県内での新型コロナウイルス感染者数も減少傾向にあり、すこし胸をなでおろしています。
草木も青々と生え出る季節にキリストが示された復活のいのちの芽吹きをおぼえつつ、みなさまも力づけられて日々を過ごせますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録9章1-6節〈新p229〉
ヨハネの黙示録5章11-14節〈新p458〉
ヨハネによる福音書21章1-19節〈新p211〉


説教「最も確かなもの」

*祈り*

愛の源である主なる神様。
あなたが十字架においてお示しになった愛は、人の最も弱いところに共に立ち、慰めをもって支えてくださるものです。
私たちはこの世の人との関わりの中で自分の力において立っていく強さを求められ、揺らがないこと、一つでも多くを成し遂げることを求められます。
しかし主よ、あなたに対してだけは、わたしたちが弱さと迷いを分かち合うことが出来ますように。
わたしたちの全てを知っておられ、わたしたちのすべてを認め、受け止めてくださるキリストにこそ、わたしたちの力の基を置くことができますように。

わたしたちのうちにある罪は、自らの力を他を支配するために用いたり、虐げたり、あるいは争いを引き起こしたりします。
しかし主よ、あなたはわたしたちが誰一人傷つかないことを願い、傷ついた心を慰めと癒しに満たそうとしてくださっています。
わたしたちが自らの力により頼むのではなく、まずあなたのうちに御心を尋ね求めることが出来るようにしてください。
私たちのうちにある様々な力が、あなたからの賜物として用いられ、御心に適っているかどうかを、わたしたちが絶えず悔い改めをもって捉えなおすことが出来ますように。

この世には、こうしなければならない、という思いが重荷となっている人がいます。
頑張らなければならないと無理をしている人がいます。
どうしてできないのだろうと、理想と現実の境で苦しめられている人がいます。
わたしたちもまた、そのような思いを抱えることがあります。
そのような一人ひとりの重荷を、主よ、あなたは十字架において共に背負ってくださいました。
その弱さに寄り添い、委ねることを私たちに教えてくださいました。
あなたに私たちの悩みと弱さを委ね、祈りを捧げても、目に見える現実はすぐには何も変わらないかもしれません。
しかしそこには確かにあなたがわたしたちと共にあり、全てのことをあなたが御心のままに導いてくださっているという希望が与えられています。
その希望のゆえに、ひとりひとりにとって今日のいのちが恵み深く支えられていきますように。
いつでもわたしたちがあなたとの関わりを絶やすことなく、たえざる悔い改めを与えられつつ、日々を歩んでいくことが出来ますように。