2023年5月31日水曜日

今週の黙想文(出エジ3:2)

柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。
──出エジプト記3章2節


† † †

旧約聖書では、燃える柴の中に神様がモーセの前に姿を現されたという出来事が記されています。
神は柴というユダヤの荒れ野にはどこにでもある普通のものを通して姿を現されました。
そして、その姿である炎は熱く、力強くそこにあり、けれどもつかんだり捉えたりできるようなものでもありませんでした。
このことは、神様の在り方を大変よく表しています。
キリストが約束された聖霊は、弟子たちのもとに「炎のような舌」のかたちをとって降りました。
神様が私たちを押し出される力・聖霊とは、まさに私たちの心に灯る炎のように、手に触れられずとも力強く、熱く、私たちに語り掛ける神のみ言葉に他なりません。
ペンテコステは教会の誕生日と言われます。
今日キリストから受けたみ言葉によってこそ立たされ、生かされている私たちが祈り集うところにこそ、教会が立てられていくのです。

(20230528週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年5月28日日曜日

聖霊降臨祭(ペンテコステ)礼拝【礼拝動画】

本日5月28日は聖霊降臨祭(ペンテコステ)の礼拝でした。

長野教会は
野口和音牧師の説教により聖餐礼拝として、
松本教会は
栗原茂牧師の説教により主日礼拝として、
両教会10時半から守られました。

両教会で聖霊降臨の福音と喜びを分かち合うことができた主日となりました。
このブログをご覧の皆様の上にも、神様の聖霊の力と守りが豊かに注がれますように。

今週を最後に、礼拝動画は教会ブログには掲載しないこととなりました。
来週以降、教会員の皆様は、牧師にご連絡いただければ、説教動画の視聴リンクをお送りしますので、ご覧になりたい方はお知らせください。
また、説教動画は週報記載のQRコードからも視聴できるようにいたします。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は長野教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**

使徒言行録1章1-11節〈新p213〉
エフェソの信徒への手紙1章15-23節〈新p352〉
ルカによる福音書24章44-53節〈新p161〉


説教「赦しと祝福のうちに生かされる」

*祈り*

聖霊の主なる神様。
あなたはイエス・キリストという人として私たちと共に生き、その苦しみと痛みをその身で分かち合ってくださいました。
そして今は永遠の命をもって天におられ、また聖霊をもって私たちの内にあって私たちを支えてくださっています。
この世にあって、私たちはどうしてもすれ違い、仲違いをし、傷つけあうことがあります。
私たち一人ひとりの心が渇き、余裕をなくし、誰のことも信じられなくなる時があります。
時には相手に殺意をもって向かっていってしまう人もいます。
そのような世界の中で、神様、あなたは私たちの心の平安をいつも願っていてくださいます。
それはすべての人があなたによってその命をこの世に与えられ、あなたが私たち一人ひとりを愛しておられるからです。
私たちがどうかそのような心の渇きを覚える時、あなたがどれだけそのような私たちの心に寄り添い、救おうとしてくださっているかを、聖書の言葉を通して聞き取ることが出来ますように。
またそのみ言葉によって愛に生きる人々との関わりにおいて、私たちが再びあなたの願っておられる心の平安に立ち返ることが出来ますように。
特に、中野市における立てこもり事件のことをおぼえます。
社会の中で人との関わりがうまく行かず、人の命を奪ってしまうという凶行であったと聞きます。
突然命を奪われた人々の魂を、どうかあなたが天上において受け止めてください。
また遺されたご家族が悲しみの中に沈んでおられることをおぼえ、あなたが慰めをもって寄り添ってくださいますように。
そして、そのような凶行に駆られてしまうほどに追い詰められる人が、これ以上出ることがありませんように、心に渇きを覚え、孤独や不安の中にある人を、周りの人々との関わりを通して満たし、傷ついた心を癒してくださいますように。
もしわたしたちの近くにそのような渇きを覚えている人がいるならば、どうか私たちを通して、心の平安と喜びとを分かち合うような関わりへと、聖霊をもって導いてください。




2023年5月25日木曜日

次回28日・聖霊降臨祭(ペンテコステ)礼拝のご案内。

次週2023年5月28日(日)は聖霊降臨祭(ペンテコステ)の礼拝です。

松本教会は
栗原茂牧師の説教
「耳にするのは“ノイズ”か、それとも“聖霊“か?」

長野教会は
野口和音牧師の説教
「あなたの渇きを知っている」

と題して、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として、
両教会10時半から行われます。


どうぞご自由にお越しください。
礼拝動画は礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。
なお、礼拝動画がブログにて配信されるのはこの日の礼拝までとなります。
6月以降、礼拝説教動画をご覧になりたい信徒の方は、牧師までお知らせください。

† † †

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。 『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。 わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。 上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。 主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』

2023年5月24日水曜日

今週の黙想文(使5:32)

わたしたちはこの事実の証人であり、
また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、
このことを証ししておられます。
──使徒言行録5章32節


† † †

証人となる、という言葉は、本来「過去の事件の目撃者である」という意味で使う言葉です。
しかしキリストの復活の証人となるということは、過去のことだけを証しすることではありません。
キリストが復活の命を与えられただけでなく、その命に生きたまま天へあげられたことは、今なおキリストが生きておられ、未来においては私たちも復活の命に与って天の御国へと迎え入れられることの約束につながっているからです。
ですから、私たちがキリスト信仰の証人となるということは、過去の出来事のみならず、今を生きる私たちの命に神様が関わり続けてくださっているという現在の出来事、そしてその命が復活と永遠の命へとつなげられているという神様の救いが将来にも備えられていることの証人とされているのです。
私たち自身が生きた神の証人とされるために、主の救いと喜びに満ちて歩みたいものです。

(20230521週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年5月21日日曜日

主の昇天主日礼拝【礼拝動画】

本日5月21日は主の昇天日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
長野教会は信徒礼拝として、
松本教会は主日礼拝として、 両教会10時半から守られました。



本日は30℃を超える夏日となりました。
礼拝後は松本教会の納骨堂に集まり、墓前礼拝を行うことが出来ました。
蝉が鳴くなか、召天者のご家族の方にもお会いすることが出来、共に信仰の先達者の方々を思いつつ、祈りを合わせました。

来週を最後に、礼拝動画は教会ブログには掲載しないこととなりました。
今後、教会員の皆様は、牧師にご連絡いただければ、説教動画の視聴リンクをお送りしますので、ご覧になりたい方はお知らせください。
また、説教動画は週報記載のQRコードからも視聴できるようにいたします。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は松本教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**

使徒言行録1章1-11節〈新p213〉
エフェソの信徒への手紙1章15-23節〈新p352〉
ルカによる福音書24章44-53節〈新p161〉


説教「赦しと祝福のうちに生かされる」

*祈り*

赦しと祝福の主なる神様。
あなたが私たちのために用意してくださった救いは、私たちの予想を超えて果てしないものでした。
全知全能であるあなたがその力を一方的に振るわれるのではなく、あくまで私たち一人一人の心に寄り添ってくださいました。
わたしたちが自ら悔い改めと救いを求めることができるようにと、あなたはイエス・キリストをこの世に送り、御言葉を語ってくださいました。
そして十字架のイエスを復活させて天へと引き上げ、別の弁護者である聖霊を私たちに注いでくださいました。
これら全てのことに、全知全能であるあなたから私たちへの赦しと祝福、そして深い愛が示されています。
私たちはいったい何者なのでしょう、とダビデは詩編で祈りました。
それは私たちの想像を超えた神様の愛に対する感謝の祈りです。
わたしたちもまた、その思いに立ち、あなたの御言葉に耳を傾けます。
あなたの御前に立つわたしたちが、どれだけ罪深くあったとしても、あなたは私たちの滅びを決して望まず、見捨てられることがありません。
私たちの救いの為に全ての御言葉を通して、私たちが悔い改めるようにと呼びかけ続けてくださっています。
主よ、あなたがキリストを通して約束し、弟子たちに注がれた聖霊が、御言葉を聞く私たち一人ひとりにも豊かに注がれますように。
私たちの中に満ちる聖霊が、私たちに悔い改めの心を与え、私たち自身の中にひそむ罪に目を向けさせ、私たちがいかにあなたの赦しの中に生かされていることに、気付かせてください。
それゆえにわたしたちもまた、誰かを赦すことができるようにしてください。
人と人との間で起こるあらゆる争い、いさかい、すれ違いが、あなたの聖霊の力によって和解の道を歩むように、どうか一人一人を導いてください。
主よ、私たちの道をあなたの愛と赦しに満ちた御心にお委ねいたします。
私たちの中に注がれた聖霊を通して、私たちの心と体、言葉と行い、隣人への関わり合いの全てを、あなたの祝福を分かち合うものとして、用いてくださいますように。




2023年5月18日木曜日

次回21日・主の昇天日の礼拝案内。

次週2023年5月21日(日)は主の昇天日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「赦しと祝福のうちに生かされる」

と題して、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、 あなたがたはこれらのことの証人となる。 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

──ルカによる福音書24章44-53節

2023年5月17日水曜日

今週の黙想文(ローマ14:8)

わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、
死ぬとすれば主のために死ぬのです。
──ローマの信徒への手紙14章8節


† † †

こういう話があります。
ある人が、社長の家にベッドの営業に行きました。
その時、社長は彼に「君は何を売っているんだ?」と尋ねました。
彼は「ベッドです」と返しましたが、社長は「いや、君は何を客に提供しているのか」と問い直したそうです。
何度か同じような問答の末、彼はハッと気づき「はい、安眠できるやすらかな環境を提供しています」と応えました。
社長はこれを聞き、君、それだよ、とベッドを買ってくれたという話です。
パウロは、私たちが生きるのは神様のためだと言います。
キリストは私たちのために生き、私たちのために死んでくださいました。
それは私たちへの深い愛と慈しみから生まれた、私たちへの奉仕が表されています。
私たちがそのキリストのために生きるということは、神様が示された愛の奉仕に生きるということですが、それは神様に対しても、隣人に対しても、まず奉仕する相手の心に寄り添い、何を求めているのかを探ることから始まるのです。

(20230514週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年5月14日日曜日

復活後第6主日礼拝【礼拝動画】

本日5月14日は復活後第6主日礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
長野教会は主日礼拝として、
松本教会は通信礼拝として、 両教会10時半から守られました。

全国総会のご報告を長野教会にもすることができました。
今年から3年間計画で松本・長野教会は一人ひとりが教会の柱となるという主題を掲げて歩んでいますが、そうして一つ一つの教会が信徒の皆様によって支えられていくことは、全国のルーテル教会全体が支えられていくということでもあります。
コロナの影響により疲弊した教会、そこに連なる信徒一人ひとりが、神様のみ言葉に立ち返り、そこから癒しと励ましを得ることができるようにと祈ります。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は長野教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**

使徒言行録17章22-31節〈新p248〉
ペトロの手紙 一 3章13-22節〈新p432〉
ヨハネによる福音書14章15-21節〈新p197〉


説教「キリストを顕す器とされて」

*祈り*

天の父であり、主イエス・キリストであり、聖霊なる神様。
あなたはわたしたちのために、様々な姿をもって、私たちに働いてくださいます。
その姿は私たちにとって時に難解で、理解しがたい部分もあります。
しかし、そこには私たちの救いを成し遂げながら、同時に私たち一人ひとりへの深い寄り添いと励ましのために、力を尽くしてくださった証が示されていることを、受け取っていくことが出来ますように。
あなたがイエス・キリストをこの世へと遣わし、弟子たちと共に地上の人生を歩まれたのは、私たちの地上の命におけるあらゆる苦難を共に分かち合い、担ってくださるためでした。
私たちが自分の力ではどうしようもできない罪から解放されるために、イエス・キリストは十字架へと歩んでいってくださいました。
さらには、その別れに対する弟子たちの不安と悲しみを超えて、復活と永遠の命への道を切り開き、そこに至るまでの歩みにおいては、聖霊をもって力づけてくださいます。
このように振り返る時、私たちのいのちは、過去から未来において、今この瞬間においても絶えずあなたの御手の内にあり、私たちがあらゆるこの世の不安の中にあってなお明日への歩みを止めることがないようにと、あなたがわたしたちを愛をもって支え、励ましてくださっていることに気付かされます。
主よ、あなたがこれほどまでに手を尽くし、全知全能の力を私たちの善き歩みのために振るってくださることに、深い感謝と悔い改めを覚えます。
あなたがイエス・キリストを通して私たちに授けてくださったたった一つの掟、あなたが愛されたように私たちも互いに愛し合うことが出来ますように。
まず私たちの日々の内に注がれている愛に私たちが気づき、私たちも誰かとの関わりの内においてあなたの愛を顕す者として立つことが出来ますように。




2023年5月11日木曜日

次回14日・復活後第6主日礼拝のご案内。

次週2023年5月14日(日)は復活後第6主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「キリストを顕す器とされて」

と題して、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

──ヨハネによる福音書14章15-21節

2023年5月10日水曜日

今週の黙想文(フィリピ1:9)

わたしは、こう祈ります。
知る力と見抜く力とを身に着けて、
あなたがたの愛がますます豊かになり、
本当に重要なことを見分けられるように。
──フィリピの信徒への手紙1章9節


† † †

パウロは、フィリピの教会の信徒のために執り成し祈っています。
愛が豊かにされ、本当に重要なことを見分けられるために必要な「知る力と見抜く力」とは、一体どのようなものなのでしょうか。
それは、神様の前に自分が何者であるのかを知り・見抜く力のことです。
私たちは大人になるにつれて、様々な技術や能力を身に着け、できることが増えていきます。
それを用いて人の役に立ったり、生計を立てるためにも用いられるでしょう。
しかし一方で年を重ね、できないことが増えていくと、自分の価値を見失う人もおられます。
「大人になる」ということは決して出来ることを増やすことではなく、私たちの本当の価値を見失わなくなることではないでしょうか。
私たち一人ひとりの命の尊さが、私たちの技術や能力によらない不変のものであることを、わたしたちは忘れがちですが、神様のみ前においてそれは永遠に保証されているのです。
それこそがパウロの言う「本当に重要なこと」ではないでしょうか。
そしてそれをお互いに分かち合うとき、愛もまた豊かにされていくのです。

(20230507週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年5月8日月曜日

牧師エッセイ(2023年5月)

最近娘が大好きなおもちゃの一つに、アンパンマンのぬいぐるみがあります。
今の姿のアンパンマンを原作者やなせたかし氏が登場させたのは1973年の幼児向け絵本が初出でしたが、実はそれに先駆け、青年向けの物語としてアンパンマンが登場していたことはご存知でしょうか。

その時のアンパンマンはまだ人間の姿をしていました(頭はパンではありませんが、丸顔なのは同じです)。
世界中で飢え渇いている人のところへとやってきて、自分のマントから「自分の大事なもの」として食べ物を差し出していくのです。
既にこの時点で今のアンパンマンの骨子が整えられていますが、注目したいのはこのパンが「自分の大事なもの」だということです。
この点は自らの顔をちぎって分け与える現在のアンパンマンのデザインに昇華されていますが、アンパンマンは有り余って余裕あるものから分け与えているのではなく、自らも「大事なもの」を手放す痛みを負いながらも、目の前で困っている人のためにすすんで分かち合っていくという姿として、描かれているのです。

アンパンマンは顔を取り換えることを自分からは決して求めません。
あくまでパン工場のジャムおじさんたちから新しい頭を投げてもらえるまでは、どんなに頭のパンが減っても濡れても、自分からは催促したりしないのです。
これらの姿は、キリストがあくまで神様から委ねられた力として人々に様々な助けを与える姿と重なるものがあります。
キリストはついには自分にとって最も大事であったはずのその命をも私たちの救いのために差し出してくださいました。

私たちもまた、その命を信じて受けるからこそ、キリストと同じく、大事なものを分かち合う愛へと送り出されています。
やなせたかしはアンパンマンの主題歌の作詞をし、その思いを込めているのです。

──「♪アンパンマンは君さ」。





2023年5月7日日曜日

復活後第5主日礼拝【礼拝動画】

本日5月7日は復活後第5主日礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
長野教会は信徒礼拝として、
松本教会は聖餐礼拝として、 両教会10時半から守られました。

数年ぶりの全国総会を経て、あっという間にゴールデンウイークが終わりました。
強い地震が続く石川県の方々の上に、神様の平安がありますように祈ります。
一日も早く余震が収まりますように。また、被害に遭われた方々の上に、主の慰めと守りがありますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は松本教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**

使徒言行録7章55-60節〈新p227〉
ペトロの手紙第一 2章2-10節〈新p429〉
ヨハネによる福音書14章1-14節〈新p196〉


説教「主と共に、主に委ねる道を」

*祈り*

私たちの導き主なる主なる神様。
あなたがお与えになる復活の命は、私たちの地上の命が終わった後に初めて与えられるものではなく、今ここにおいて私たちのいのちの希望として約束してくださったものです。
それは、天上における永遠の命に生かされる希望によって、地上における今日の命をも、恵みと平安に満たしてくださるためでした。
私たちの地上の命の歩みは、一人一人が違います。歩んできた道、出会ってきた人々、そこでの関わりと価値観、それぞれに違いあります。
深くかかわることもあれば、すれ違ってしまうこともあります。
しかしあなたは、それでも私たちを神の家族として一つにしようとしておられます。
私たちが同じ考えや同じ価値観を持つようになるのではなく、違いを認め合い、赦しあい、お互いにそれを配慮しあうことによって、お互いに一つの平和を造り上げていくようにと、私たちを一人一人違う存在としてつくられました。
私たちが自分勝手な思いに意固地になるのではなく、お互いの考えと思いを分かち合い、愛と配慮をもって言葉を選び、やぶれてしまった関係性は修復する努力をする、そのようなひとりひとりとして立たせてください。
不安と絶望、焦りと迷いは、私たちを追いつめ、隣人を傷つけてしまう原因を引き起こします。
主よ、弟子たちがそうであったように、今暗闇の中にある人に、あなたを求めるように、祈りへと導いてください。
私たちがあなたの御名によって一つにされるように、あなたを頭とし、私たちが集うこの場所が一つの体として用いられていることを思い起こさせてください。
各々が自分勝手に動くのではなく、キリストの御心に適った働きを担い、協力し合っていくことができるように、キリストの御心を自分の心とすることができますように。



2023年5月4日木曜日

次回5月7日・復活後第5主日礼拝のご案内。

次週2023年5月7日(日)は復活後第5主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「主と共に、主に委ねる道を」

と題して、
松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。 わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

──ヨハネによる福音書14章1-14節

2023年5月3日水曜日

今週の黙想文(サム上16:7)

人は目に映ることを見るが、
主は心によって見る。
──サムエル記上16章7節


† † †

神様が新しいイスラエルの王としてダビデを召し出すために、サムエルが遣わされてエッサイのところにやってきました。
エッサイは一人ずつ息子たちをサムエルの前を通らせて王にふさわしいかを見極めさせました。
エッサイからすれば最も立派な息子から並ばせたはずですが、王に選ばれたのはそこに並んですらいなかった末弟のダビデでした。
しかしそのダビデが、神様のしもべとして最もふさわしく歩み、イスラエル王国を最も繫栄に導いた王とされていったのです。
神様が私たちをどのように用いられるかは、人の目にはわからないものです。
神の前に罪と弱さの中にある私たちでさえ、神様の果てしないご計画のために用いてくださるのです。

(202302週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年5月1日月曜日

復活後第4主日礼拝【礼拝動画】

本日4月30日は復活後第4主日礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
長野教会は主日礼拝として、
松本教会は通信礼拝として、 両教会10時半から守られました。

今週に入り、日中は随分暖かくなりました。
寒暖差の激しい時期になかなか身体が追い付いていきませんが、皆様のご健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は長野教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**

使徒言行録2章42-47節〈新p217〉
ペトロの手紙第一 2章19-25節〈新p431〉
ヨハネによる福音書10章1-10節〈新p186〉


説教「あなたもわたしの羊」

*祈り*

私たちの導き主なる神様。
私たちは、誰かによく見られたいという思いを抱えています。
立派であること、間違いを犯さないこと、他者を傷つけず、関係を良く保ち、社会的地位を高めることを、子どものころから望まれて育てられてきました。
それゆえにこの世ではあらゆるところで競争が生まれ、他を蹴落とし、焦りと憎しみに満ちた関係性が引き起こされることも多くあります。
努力をすることによっていっそうあなたの愛から引き離されてしまうこの世の理の中で疲れ果て、気を病み、自ら他者との関係を絶ってしまう人もいます。
主よ、どうかそのようなわたしたちにこそ、今日の御言葉を語ってください。
私たち一人一人があなたの羊であり、あなたが私たちを導いてくださるからこそ、私たちの魂が満たされ、愛に満ちた関わりへと生かされることを、忘れることがありませんように。
あなたから救いをいただくための対価として私たちがあなたの御言葉に生きようと努力するのではなく、まずあなたの御言葉によって私たちが救われていること、そこに与えられる平安と慰め、喜びを受け取っていくことによって、すすんであなたの御言葉に生きようという思いに押し出されていきますように。

今日ここに集うことのできなかった方々の上にも、ひとりひとり、その名をもって主の呼びかけが届きますように。
悩んでいること、病に苦しんでいること、明日からのことを考えて気が重くなっていること、不安なこと……様々な重荷を私たちは日々背負うことがありますが、それでも主よ、あなたが私たちを絶えず導いておられることを信じさせてください。
今日の重荷には何か必ず意味があることを教えてください。
どのようなときにあっても、すべてが私たち一人一人を豊かにするために必要な糧として与えられていることを信じ、委ねて日々を過ごしていくことができますように。