──出エジプト記3章2節
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神は柴というユダヤの荒れ野にはどこにでもある普通のものを通して姿を現されました。
そして、その姿である炎は熱く、力強くそこにあり、けれどもつかんだり捉えたりできるようなものでもありませんでした。
このことは、神様の在り方を大変よく表しています。
キリストが約束された聖霊は、弟子たちのもとに「炎のような舌」のかたちをとって降りました。
神様が私たちを押し出される力・聖霊とは、まさに私たちの心に灯る炎のように、手に触れられずとも力強く、熱く、私たちに語り掛ける神のみ言葉に他なりません。
ペンテコステは教会の誕生日と言われます。
今日キリストから受けたみ言葉によってこそ立たされ、生かされている私たちが祈り集うところにこそ、教会が立てられていくのです。
日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。
あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。