2023年7月30日日曜日

聖霊降臨後第9主日礼拝。

本日7月30日は聖霊降臨後第9主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として、
両教会10時半より守られました。

大変暑いですね。殺人級の夏日だという話です。
熱中症に気を付けて過ごしたいと思います。
松本教会で着々と入口のスロープと塀の工事が進んでいます。




*今週の祈り*

天の国の与え主なる神様。
あなたはキリストを信じる者に、天の国における救いを約束してくださいました。
それは、私たちからあらゆる罪の苦しみを取り除き、あなたの御心に適って生きることができるようになるという救いです。
主よ、私たち一人一人が、それぞれに重荷を抱えています。
誰かとの関係性を整えることと同時に、主よ、どうか私たち一人一人があなたによって癒され、平安のうちに安らぐことができますように。
主であるあなたと私たち一人ひとりとの関係性の中に、まず天の国を来たらせてください。
私たちのいのちが地上に生きながらあなたの御国の福音に満たされ、それを待ち望むものとして、私たちを整えてください。

あらゆるところで平和が乱されているこの世において、私たち一人一人があなたとの関係性の中で平和を保つことができますように。
日々のうちにあって、これまで出来ていたことができなくなってくること、老いや病、体や心の変化によって不安や苦しみ、重荷を抱えることがあります。
主よ、そのような私たちと共にあって、私たちに御手を差し伸べてください。
私たちが歩んでいる十字架の道に、あなたもまた立って歩んでおられることを、信じさせてください。
私たち一人一人の心がまずあなたによって慰められ、満たされることを通して、あなたの御心に適った歩みへと向かう力が与えられますように。
既に天へと召された一人一人の人が、あらゆる苦しみから解放されて、どうかあなたの御許で安らいでいることを信じます。
あなたがもたらしてくださる天の国が実現するその時まで、信仰の先達者の方々を心に留めつつ、私たちもまたそれぞれに悔い改めをもって、信仰を整えることができますように。
今日、教会に集うことのできなかった方々のために祈ります。
場所は違えども、祈りを一つにしている人々がおられます。
どうかあなたのみ言葉をもって慰め、一人一人の信仰を支えてください。
病の中で、その苦しみと不安の中にある人々に、どうかあなたが寄り添ってくださり、支えてくださいますように。
私たちの歩みの全てを整えてくださる神様に全てをゆだねつつ、明日からの日々が御心のままに守られますように。

***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年7月27日木曜日

次回30日・聖霊降臨後第9主日礼拝のご案内。

次週2023年7月30日(日)は聖霊降臨後第9主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「自分の心の大掃除をしよう」

と題して、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」 「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」

──マタイ福音書13章31-33節&44-52節

2023年7月26日水曜日

今週の黙想文(マルコ6:31)

イエスは「さあ、あなたがただけで人里離れた所へいって、
しばらく休むがよい」といわれた。
──マルコによる福音書6章31節


† † †

賀来周一先生が信徒の友に「信仰者とこころの健康」と題して紹介されていました。
先生は「いい・加減」のすすめと題して、まじめな人間ほど次の5つの事柄によって駆り立てられて生きているそうです。
「完全であれ」「努力せよ」「他人を喜ばせよ」「強くあれ」「急げ」の5つです。
これに支配されて全力疾走すると、「燃え尽き症候群」になるといわれます。
これを防ぐには、「いい・加減」という意識の上で「ここまでにする」「これをするだけでよい」「自分が喜んでよい」「自然にふるまってよい」「時間をかけてよい」という5つのおまじないを自分にかけてあげればいいと教えておられます。
キリストもまた、宣教へと向かって帰ってきた弟子たちに「休む」ことを命じられました。
一生懸命に、しかし燃え尽きることなく神様の働きを担うために、休んで自分の状態を振り返ることの大事さを教えておられます。
人に寄り添い、人のために動いたら、自分に寄り添い、自分の行いを振り返り、悔い改めと休息のとき持つこと。
そのサイクルを通してこそ、キリストのために生きる歩みが整えられていくのです。

(20230723週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

【再掲】教会学校デイキャンプのお知らせ

8月6日(日)13時より、松本教会の教会学校デイキャンプを行います!


皆さんで平和について学びつつ、
ポストカードづくりや水遊びで楽しい時を過ごしましょう!

参加費無料(礼拝での自由献金があります)。
お問い合わせ・申し込みは松本教会 牧師・野口までご連絡ください。
締め切りは8月2日(水)までになります。

みなさんのご参加、おまちしています!

†会場の松本教会はこちらです†



2023年7月23日日曜日

いのち学2023第1回のご案内。

 今月7月24日(月)19時より、松本教会にて

「いのち学~がん研究者の学び・いのちの不思議・科学の視点~」第1回が行われます!



2023年度、いのち学、第1回です。
今年度のサブタイトルは「~がん研究者の学び・いのちの不思議・科学の視点~」です。
がん研究の先端医療を紹介しつつ、科学だけではとらえきれない「人のいのち」について、共に考える時を持ってみませんか?

参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。

当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

聖霊降臨後第8主日礼拝。

本日7月23日は聖霊降臨後第8主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として、
両教会10時半より守られました。

昨日の甲信地区女性の集いも数年ぶりに対面で行われ、嬉しい交わりの時となりました。
甲信地区、梅雨も明けましたね。
帰り道の善光寺平の景色が綺麗でした。



*今週の祈り*

赦しと寄り添いの主なる神様。
あなたは世界全体の主でありながら、この世界の中で小さな存在である私たち一人ひとりの心に深く寄り添ってくださいました。
私たちがあなたの御前において正しく価値のある存在であるならまだしも、むしろあなたの御心に唯一反抗し、そこから離れようとしてしまうような私たちです。
それでもあなたは私たちのいのちを尊び、その心に抱える苦しみを聞き取ってくださいます。
ある神学者は、悪とは愛の欠如であると表現しました。
この世にあふれる様々な悲しい事件の多くは、人が自分を愛するように誰かを愛することのできないことから生まれています。
誰の目にも毒麦としかいいようのない、わたしたちが赦すことのできない悪が、無為に他の人の命を奪う事件もたびたび引き起こされています。
主よ、それでもあなたは、この世界を「良き麦畑」として見てくださっています。
まかれた毒麦のせいで苦しみ悩みの中に沈むわたしたちを、共に忍耐をもって養ってくださっています。
それは、いずれくる救いの時に、一人も欠けることがないようにするためです。
私たちのうちにある罪があなたによって贖われることによって、私たちがこの地上の命の中に受けるあらゆる苦しみもまた、あなたが顧みてくださいますように。
今日、様々な理由のゆえに教会に集うことのできなかった方々の上に、あなたのみ言葉に触れる機会が与えられますように。
あなたの救いを覚えて共に祈りを合わせることができますように。
病の中にある人の痛みを和らげ、癒しへと導いてください。
心や体が疲れている人には、あなたの慰めと寄り添いによって、安らぐ時間をお与えください。
自分の中に余裕を失ってしまっている人がいれば、どうか祈りの時をもって、あなたと向かい合う時間を取ることができますように。
全ての人があなたの御心のうちに慰められ、あなたの御心に適った歩みへと踏み出すことができるように、悔い改めの心を与えてくださいますように。

***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年7月21日金曜日

次回23日・聖霊降臨後第8主日礼拝のご案内。

次週2023年7月23日(日)は聖霊降臨後第8主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「私の心の麦畑」

と題して、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」 それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

──マタイ福音書13章24-30節&36-43節

2023年7月19日水曜日

今週の黙想文(ヤコブ1:24)

鏡に映った自分の姿を眺めても、
立ち去ると、それがどのようであったか、
すぐに忘れてしまいます。
──ヤコブの手紙1章24節


† † †

ヤコブの手紙は「み言葉を聞いて実践する」ことを繰り返し述べ、その中で鏡のたとえを出しています。
鏡から離れると鏡に映っていた自分の姿をすぐに忘れてしまうように、み言葉を聞いて「自分はこうありたい」と願うのなら、それを実際に行うことを勧めるのです。
心理学には「ミラー・テスト」という方法があります。
毎朝洗面台の鏡の前で「誰かに見られたい自分/自身が見たい自分がそこにいるか」と問いかけ、振り返りの時を持つことによって、倫理観を高め、自己実現に近づけていく方法だそうです。
私たちを神様の御言葉に照らして見た時、キリストにふさわしい生き方をしているのかということを吟味するようにとヤコブは問いかけています。
また、ルターも善い行いを否定したのではなく、善い行いは信仰に結び付けられたもので、信仰から生まれ出るものであると言いました。
神様の前において自分で自分を省みる時、み言葉に生きているかを常に問いかけ、絶えず悔い改めをもって過ごしてまいりたいものです。

(202307週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年7月16日日曜日

聖霊降臨後第7主日礼拝。

本日7月16日は聖霊降臨後第7主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として、
両教会10時半より守られました。

今日は朝から大変な猛暑となりました。
夜になっても気温も室温もなかなか下がらず、松本に住んで6年目で初めて冷房がないと寝られなさそうです。
熱中症に気をつけつつ、涼しくしてお過ごしください。


*今週の祈り*

私たちの心を見通しておられる主なる神様。
あなたは天地創造の初めから、人間の心を見通してこられました。
その心がいかに弱く、揺らぎやすく、迷いやすいものかをご覧になられました。
しかしそれでもあなたは私たちを赦し、私たちの隣に共に生きる人間として立って、そのみ言葉を語ってくださいました。
私たちの弱さに寄り添い、その上でみ言葉の種を今日も蒔き続けてくださっています。
それは、私たち一人ひとりのいのちを、誰よりもあなたが尊び、あなたの御心に適って生きることが出来ると、信じてくださっているからです。
しかしこの世の現実の中には、一人ひとりの心と思いがそれぞれに違うことを認め合い、尊重することが出来ない人々がいます。
その結果、誰かの心を追い詰め、死へと追いやってしまうことさえ起こっています。
私たち一人ひとりが神様によって尊ばれているように、私たちもまた一人ひとりの違いを認め合い、赦しあうことが出来ますように。
相手の心と思いに寄り添いながら、関わりあうことが出来ますように。

***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年7月13日木曜日

次回16日・聖霊降臨後第7主日礼拝のご案内。

次週2023年7月16日(日)は聖霊降臨後第7主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「あなたを信じて蒔き続ける」」

と題して、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。 イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」 「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

──マタイ福音書13章1-9節&18-23節

2023年7月12日水曜日

今週の黙想文(1コリ8:1)

知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。
──コリントの信徒への手紙 一 8章1節


† † †

初代教会で、ある問題が起こったことにパウロが答えています。
偶像に備えられた肉を食べてよいか否か、という問題です。
まだキリスト教の教えが定まり切っていない頃ですから、ユダヤ教の律法主義的な考え方も強く残っていたのでしょう。
異教徒からキリスト教に改宗した人々は、律法を守り、これまで信じてきた教えを捨て去ろうと意識するあまりに、「偶像に備えられた肉」を食べると汚れる(神様に反した行いになる)のではないかという議論が起こったのです。
しかしパウロは、大事なことは誰かを躓かせないように愛をもって配慮することだと言います。
聖書の言葉を「教えにはこう定まっているから」と文字どおりに受け取り、相手を細々とした罪に定めることは、キリストの愛にそぐわないものであるからです。
聖書についての豊富な知識を持っているなら、誰かを躓かせるためではなく、誰かを愛と配慮をもって、キリスト者として共に造り上げられていくために用いるべきだと教えているのです。

(20230709週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年7月9日日曜日

聖霊降臨後第6主日礼拝。

本日7月9日は聖霊降臨後第6主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として、
両教会10時半より守られました。

昨晩の大雨に続き、天気が不安定な週の初めの日となりました。
私たちの心も曇ってしまうときがありますが、そのようなときにこそ今日の御言葉に耳を傾けることができるようにと祈ります。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
《マタイ11:28-30》


*今週の祈り*

私たちの導き手なる主なる神様。
あなたは私たちの歩みの全てをご存じです。
私たち人間がこの世に生きる中で背負うことになる重荷を、あなたは天地創造の初めからご覧になってきました。
そしてその苦しみからどうにかして私たちを解放しようと、多くの御言葉を語ってきてくださいました。
ついにはイエス・キリストという人間となって、私たちと共にこの世の生涯を歩んでくださいました。
その歩みを通して私たちはあなたの寄り添い、憐れみと愛を聞き取ります。
主よ、この世で私たちが背負わなければならない重荷は、数多くあります。
自分自身の体と心が抱える重荷もあれば、誰かとの関係の中に生まれる重荷もあります。
体と心が疲れ果て、傷つき、癒されないままでいること、病や老いを抱え、力を失っていくこと、明日への不安と迷いが私たちに重くのしかかってくる時が誰しもあります。
ついには死と別れという大きな重荷を、誰もが背負わなければらない時があります。
主イエス・キリストよ、どうかそのような私たちと共に、重荷を背負ってください。
祈りのうちに、み言葉をもって共に不安を分かち合い、共に迷い、支えあいながら、この世の歩みを進めていくことができるように、私たちと共にいてください。
そしてその慰めと憐れみを受けるがゆえに、私たちもまた傷つき倒れそうになっている人々との交わりへと招いてください。
私たちが信じるキリストのゆえに、私たちもその人にとってのキリストとしての働きを担うことができますように。
重荷を分かち合い、支えとなり、慰めあい、御言葉を通して励ましを受けて歩んでいく、そのような信仰に立たせてくださいますように。
今日、様々な理由の為に教会に集うことのできなかった方々の為に祈ります。
病の中にある人々には、その痛みと苦しみが少しでも和らぎますように。
疲れを覚えている人には、十分な休息が与えられますように。
孤独を感じている人には、あなたは一人ではないというメッセージが届けられますように。
心に傷を負っている人がいれば、その人が癒されるようにと祈ることができますように。
重荷を抱えているすべての人が、主の御言葉によって励まされ、明日も歩みを続けていくための力を与えられますように。

***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年7月6日木曜日

次回9日・聖霊降臨後第6主日礼拝のご案内。

次週2023年7月9日(日)は聖霊降臨後第6主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は

野口和音牧師の説教
「くびきを合わせる」

と題して、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

──マタイ福音書11章16-19節&25-30節

2023年7月5日水曜日

今週の黙想文(アモス1:11)

わたしは決して赦さない。
彼らが…憐れみの情を捨て
いつまでも怒りを燃やし
長く憤りを抱き続けたからだ。
──アモス書1章11節


† † †

旧約聖書で神様がエドムの人々に怒っています。
それは彼らが同胞に対して「いつまでも怒り続けている」事が原因であるというのです。
キリスト教を信じている人のイメージというと「怒らない・優しい」というものが多く上げられるそうですが、聖書は決して怒り自体を否定してはいません。
聖書では神様は人々に対して頻繁に怒っていますし、キリストも怒りのあまりに神殿で商売人の机をひっくり返したりしています。
しかし、その怒りには正当な理由があり、必ず最後には赦しと結びつけられます。
ここで戒められているのは、怒ることをやめられず、隣人に対して常に怒り続けているということです。
怒りには色々ありますが、主として何か嫌なことをされたときに起こる感情です。
私たちにとって怒りと痛みはセットになっているように思います。
しかし、長い間怒り続けてしまうと、痛みも長引き、相手を赦すこともまた難しくなっていくものです。
神様の怒りは赦しとセットです。
赦しへと向かう対話の中で、必要充分な自己主張としての「怒り」を、私たちも上手く用いたいものです。

(20230702週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年7月2日日曜日

聖霊降臨後第5主日礼拝。

本日7月2日は聖霊降臨後第5主日の礼拝でした。

松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として、
両教会10時半より守られました。

昨日は大雨でしたが、今日はからりと晴れて、夏の訪れを感じさせる暑さでした。
教会の庭にも立派な紫陽花が花開いていました。


また、教会員の方が育てておられたミルトスが開花したとのことで、持ってきてくださいました。

ミルトス(和名:銀梅花)

イザヤ書にも登場する花で(イザヤ55:12-13)、神様の大いなる働きを賛美する喜びの花として知られています。
私たちにとっても、感謝と賛美に満ちた日々を送ることができますように。

*今週の祈り*

宣教の主なる神様。
あなたはキリストの派遣説教をもって、私たちを送り出していきます。
そのみ言葉の中心を貫いているのは、あなたの愛と憐れみ、寄り添いと共感に満ちた御心であることを思い起こします。
一人一人が自分の正しさに溺れ、争いあうこの世の現実の中にあって、それでも人が互いに認め合い、赦しあい、支えあうことの尊さを、あなたはよくご存じです。
何よりも私たちがそのような関係性に生かされることを望んでいます。
だからこそあなたは、あなたへの信仰に立って生きる私たちの姿を通して、誰もが求める福音のありかを示そうとしてくださっています。

どうか私たちがあなたへの信仰によって立たされるがゆえに、誰かを傷つけるのではなく癒すために、誰かと仲違いをするのではなく赦しあうために、支えあい、喜びも悲しみも分かち合うことのできる関わりを持っていくことができますように。
私たちの持つ力は小さなもので、できることは限られていますが、私たちの手に負えない出来事の中にもあなたの大きな導きがあることを信じます。
全ての人々があなたに繋がって生きることができるようにと、あなたがその救いの御手を常に差し伸べてくださっていることを信じます。
私たち一人一人が担える働きを十分に担いつつ、あなたの御心と導きとを祈り委ねることができますように。
どうか私たちを、今日誰かの小さなキリストとして立たせてください。

***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*