2023年11月29日水曜日

今週の黙想文(マタイ7:3)

あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
──マタイによる福音書7章3節


† † †

キリストは「人を裁くな」と教えられます。
その理由は「あなたがたも裁かれないようにするため」というのです。
誰が正しく、誰が悪いのかということを本当に裁くことのできるのは神様だけであるからです。
人間関係の中で裁きあう心が生まれる時、お互いに自分をかえりみる必要があることをキリストは教えるのです。
「人を指さしてはいけないよ」と教えられたことがありました。
ある先生がその理由として「人に指さすと、中指、薬指、小指は自分のほうを向いているのだから、三倍になって返ってくるから」だと教えてくれました。
私たちの日常には自分の思い通りにならないことや、腹が立つことはたくさん起こります。
しかし自分のことを省みず、自分以外の人々に「あなたたちが悪い」と指をさすとき、それによって、もっとうまくいかなくなっていくのです。
うまくいかないと感じる時、他の誰かを裁き、指さす一本の指よりも、自分に向けられた三本の指によって、三倍の悔い改めへと心を向けてまいりたいものです。

(20231126週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年11月26日日曜日

聖霊降臨後最終主日礼拝。

本日11月26日は聖霊降臨後最終主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として
両教会10時半より守られました。


いよいよ教会の暦も今週で締めくくり、来週からは新しい暦になります。
教会暦の始まりはクリスマスを待ち望む待降節(アドベント)。
長野教会では来週に向けて、クリスマスツリーの準備をしました。

*今週の祈り*

私たちの主、父なる神様。
あなたは私たちを子として愛する親のように、私たち一人ひとりを見守っておられます。
あなたは罪ある私たちをあなたの力をもって縛り上げ、想いの通りに動かそうとはなさいません。
私たちに御心に従う自由を与えてくださいました。
それは、あなたが私たちに委ねられたいのちを尊重してくださっているからです。
わたしたちの目の前の世界では、あなたが形作られたいのちが、おろそかにされ、傷つけられ、無為に奪われていく、そのような現実が広がっています。
各国で起こる戦争だけでなく、人が人を支配すること、共感と寄り添いが失われることによって起こる人と人との断絶があります。
そのすべては、あなたの愛を見失っているからです。
主よ、あなたは聖書のすべてのみ言葉において、私たちへの果てしない愛を示してくださいました。
その形は私たち人間と同じく多様な形で表されています。
時には怒り、厳しい裁きの言葉もまた、キリストの口から語られています。
わたしたちもまた、愛ゆえに語られたみ言葉として、あなたの言葉を受け取っていくことができますように。
文字通り形だけ、表面だけの勧めとしてみ言葉を聞くのではなく、私たちの心を満たし、私たちを御心に適った生き方へ押し出す力として、あなたの愛と心を受け取っていくことができますように。
あなたがイエス・キリストとしてこのように来られたように、私たちが誰よりもまずあなたを最も近い存在として、かかわりあうことができますように。
主よ、あなたがこの世に与えられたいのちには、必ずあなたの愛が注がれ、この世に生きる意味をお与えになります。
どのような命であっても、あなたに望まれなければ生まれてくることはできません。
主よ、今日もわたしたちがあなたからの命を与えられたことを感謝をもって受け取り、あなたの御心と愛に生かしてください。
私たちには予想もできないあらゆる困難と、すぐには解決できない苦しみの中に立ち続けなければならない、そのような試練が与えられた時においても、あなたがキリストとして寄り添ってくださっている、その慰めのうちに私たちを支えてください。



***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年11月23日木曜日

次回26日・聖霊降臨後最終主日礼拝のご案内。

次週2023年11月26日(日)は聖霊降臨後最終主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「世界の終わりはハッピーエンドがいい」

と題して、
両教会10時半より、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

──マタイ福音書25章31-46節

2023年11月22日水曜日

今週の黙想文(2コリ23:13)

わたしたちは限度を越えては誇らず、
神が割り当ててくださった範囲内で…誇るのです
──コリントの信徒への手紙 二 23章13節


† † †

実際にはともかく、私たちは謙遜や謙虚が美徳と思われる国に生きています。
これは一般的にキリスト教の教えと重なる部分かもしれません。
しかし一方で、私たちは自分がやることをやった時には、それを誰かに認めてもらいたくなりますし、誇りたくなるものです。
パウロもまた自分の内に、誇りたい気持ちと、誇りたい気持ちを前面に出しすぎるとそれが傲慢に変わりかねない罪があることを知っていたのかもしれません。
そこでパウロは誇っても良い範囲を「神が割り当ててくださった範囲内で」と定めています。
「あれもこれもわたしがやったのだ」と誇るのではなく、「主がわたしにさせてくださった」と誇ることをパウロは勧めているのです。
「私が」ではなく「神様が」を主語に誇ることが大切なことで、こうすることで私たちの誇りは傲慢ではなく感謝へと向かっていくからです。

(20231119週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年11月19日日曜日

聖霊降臨後第25主日礼拝・ルターナイツinまつもと開催

本日11月19日は聖霊降臨後第25主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より守られました。

本日松本教会はこども祝福式礼拝として守られました。
教会に連なる子どもたちが、神様の導きと守りの内にこれからもすくすくと成長できるようにと祈りました。


また、本日は18時半よりルターナイツinまつもとが行われました。
原田靖子氏の奏でるオルガンの音色が、夜の教会一杯に響き渡りました。
たくさんのご来場、ありがとうございました。

*今週の祈り*

いのちの与え主なる神様。
あなたは私たちに、愛を分かち合うためのいのちとして、わたしたちにいのちをお与えになりました。
私たちのいのちは、あなたによって作られたその瞬間から、関わり合いへと押し出されています。
それは、あなたがおっしゃったとおり、生きているものはひとりでは生きられないからです。
世界の終わりにおいて、あなたが裁く神として我々のもとにやってこられると聖書は語り、誤った教えを語る人々によって、それを誤解した形で受け取っている人々も多くいます。
あなたからの罰におびえ、かりそめの安心を与えられ、あなたのいのちが地中深くに埋められている人々がいるかもしれません。
しかしあなたは愛の神であられます。
それを、イエス・キリストという一人の人の姿を取って、私たちに目に見える形で証してくださいました。
どうかそのキリストの姿を私たちがいつも思い起こし、その姿に倣って生きていくことができますように。
わたしたち自身が傷つき、余裕をなくし、疲れ果てているとき、隣人への愛に立ち上がれないときには、あなたご自身がキリストの姿をとって、私たち一人一人の痛みに寄り添ってくださっていることを思い起こさせてください。
私たちを癒し、慰め、励まし、もう一度奮い立たせてくださいますように。
私たちをどうか関わり合う人への愛で満たし、愛に満ちた関わりを通して、お互いに一層深い喜びに与っていくことができるよう、導いてください。
主よ、今日はこども祝福式礼拝として守っています。
あなたがこの世に新しくいのちを与えられた子どもたち一人一人を、今日まで守り導いてくださったこと、そして今日祝福を与えるために、招いてくださったことを感謝いたします。
今日ここに集うことのできなかった一人一人においても、どうかあなたが御手を差し伸べ、その心を感謝と愛とで満たしてください。
私たちには大きすぎるほどのいのちの輝きを糧として、あなたの御心にかなった関わり合いのために、どうか私たちのすべてを用いてくださいますように。



***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年11月17日金曜日

アドベントバザー2023のお知らせ

今年の松本教会のバザーは
「アドベントバザー」です!




今年は豊作だった教会のあんず、おいしいあんずジャムにしました!
他にもクラフト製作や数量限定「ワンプレートランチ」等、
ちょっとホッとできる憩いの場としても教会を開放しております。
クリスマスを待ち望むアドベント、体験しに来てくださいね。


※教会の駐車場に車をお停めいただけます。
※よろしければマイバッグをご持参ください


12月2日(土)11時~14時に、
松本教会にてお待ちしております!


†会場の松本教会はこちらです†

2023年11月16日木曜日

次回19日・聖霊降臨後第25主日礼拝のご案内。

次週2023年11月19日(日)は聖霊降臨後第25主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「いのちに込められた想い」

と題して、
10時半より、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

──マタイ福音書25章14-30節

2023年11月12日日曜日

聖霊降臨後第24主日礼拝。

本日11月12日は聖霊降臨後第24主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として
両教会10時半より守られました。

先週までは長袖だと汗ばむほどでしたが、今日は本格的な冬がやってきたようでした。
知らぬ間に冬がやってくるように、知らぬ間に天の国もすぐそこまでやってきているのかもしれません。
キリストのみ言葉に支えられつつ過ごしたいと思います。


*今週の祈り*

私たちの支え主なる神様。
あなたは私たち一人一人に、信仰をお与えくださいます。
あなたのみ言葉は私たちが必要な時にその意味を示してくださり、その時々に必要なものとして響いてまいります。
それは、あなたが私たち一人一人を心から愛し、救いへとたどり着くことができるように、その旅路を整えてくださっているからです。
だからこそ、あなたのみ言葉には、あなたの御心が示されています。
主よ、どうかあなたのみ言葉が、これからも歩みのその時々にあって、私たちに届きますように。
あなたによって信仰を与えられた者が、あなたが再び来られる終末の日にいたるまで、信仰のともし火を燃やし続け、またその油を十分に備え、保つことができますように。
そしてそのことを、週末の裁きに対する恐れによってではなく、むしろあなたと共にある喜びを繰り返し思い起こすことによって、保っていくことができますように。
主よ、どうか私たちをその信仰の交わりによって新しくしてください。
あなたのみ言葉を求める者にそれが届き、一人でも多くの人が、あなたのみ言葉によって救いの喜びに与ることができますように。
すべての人があなたの御心に叶う生き方へと変えられていく、その天の国をこの世に来たらせてください。
そのために、一人でも多くの人々にみ言葉が届き、信仰に目覚め、またその福音を宣べ伝えるための働きに立たせてくださいますように。

今日、様々な事情から来ることのできなかった方々のために祈ります。
病を抱えている方、ほかの働きを与えられている方がおられます。
もしかしたら、長い信仰生活の中で、いつしか眠り込んでしまって、信仰のともし火が消えてしまっている方がいるかもしれません。
あなたはすべての人に、愛と赦しをもってそのまなざしを注いでおられます。
どうか主よ、あなたの導きのうちに、一人一人に、あなたのみ言葉に触れる機会を与えてください。
あなたのみ言葉によって、一人一人の信仰が支えられる、そのような喜びの時を与え、またそのような経験を思い起こさせてください。
主よ、あなたが私たちと共にあって、どのような時にも、あなたが支えてくださいますように。


***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年11月9日木曜日

次回12日・聖霊降臨後第24主日礼拝のご案内。

次週2023年11月12日(日)は聖霊降臨後第24主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「あなたを支える神の言葉は」

と題して、
両教会10時半より、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

──マタイ福音書25章1-13節

2023年11月8日水曜日

今週の黙想文(マルコ1:1)

神の子イエス・キリストの福音の初め。
──マルコによる福音書1章1節


† † †

福音書の中で最も古いものはマルコ福音書と言われています。
つまり、イエスの生涯と御言葉を伝えるために初めて書かれた書ということです。
これまでイエスの生涯を描いた書はなかったのですから、マルコはどのような言葉でそれを描き始めても良かったはずでした。
マルコは福音書の全編にわたって「イエスとは何者なのか」という人々の問いを隠し続ける描き方をしています。
そしてマルコ福音書のラストは、復活のイエスを証しする空の墓を見て「正気を失っていた」婦人たちの姿で閉じられています。
なんとも尻切れトンボのようなラストに見えますが、これこそがマルコ福音書の一番の魅力であり、一番最初の言葉に戻ってきて初めて意味を成す終わり方となっているのです。
マルコ福音書のラストとこの初めの言葉をもって、キリストはマルコ福音書の読者に迫ってくるようではありませんか。
今、イエス・キリストの全てを知ったあなたにとって、それが福音とされていく「初め」が、ここに始まっているのだと。

(20231105週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年11月6日月曜日

牧師エッセイ(2023年11月)

最近、1歳半の娘のマイブームはお散歩です。
公園まで足を延ばしたり、教会の周りやスロープをぐるぐると歩き回るだけで楽しいようです。
まだまだ走り回るまではいきませんが、5センチくらいの段差があると、まずじっとその段差を見つめて、意を決するように片足を出して降りるようにしていました。
娘にとっては何もかも初めてですから、小さな段差一つでも、全力をもって向き合い、挑戦し、乗り越えています。
それを見て、私たちはいつ頃から「初めて」を避けるようになるのかな、とふと思いました。

人は成長と共に、経験と知識を得て、人との関わりや振る舞いにおいても大人として見られていきますが、その反面、「初めて」のことに対して恥を感じたり、失敗への恐れを抱えて、できる限り避けたいと願うことも増えていくようにも感じます。
しかし、本来「初めて」の一歩とは、私たちが生きる上で絶えず出会うものです。
老いや病といった、全ての人にとって避けられない「初めて」も多くあります。

イエス・キリストの生涯は、人との関わり、そこに起こる様々な喜びと争い、痛みと苦しみ、迷いと慰めに満ちています。
そしてついには死の悲しみさえも、神様は私たちと同じものを経験してくださったのです。
それが、イエス・キリストという神が人となられたことの意味でした。
そして、地上の命における歩みだけでなく、その先に約束されている永遠の命においても、神様はいつだってその慈しみをもって私たちを支えてくださるお方なのです。

「足がよろめく」とわたしが言ったとき、
主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。
           ──詩編94編18節

 私たちがこれから歩む道において出会っていくあらゆる「初めて」に対しても、神様のお支えをいただきながら、全力をもって向き合い続ける生涯の歩みへと踏み出してまいりたいものです。


2023年11月5日日曜日

全聖徒主日礼拝。

本日11月5日は全聖徒主日の礼拝でした。

松本教会では巡回説教者の松田繫雄牧師により、
長野教会では野口和音牧師により、
両教会10時半より主日礼拝として守られました。

両教会それぞれに、召天者の方々を思い起こしつつ、お一人お一人の魂が天での平安を与えられていることを覚えて礼拝が守られました。
また、松本教会の礼拝奉仕をしてくださった松田先生は、元松本教会の牧師としてご奉仕されていたこともあり、よき交わりの時も保たれたようでよかったです。

長野教会では1年前に召天された信徒の記念会を行いました。
寂しさもありつつも、その方のお人柄と信仰に励まされるときとなりました。


*今週の祈り*

いのちの与え主なる神様。
あなたの御許に召され、今なお天において生きておられる方々を思い起こします。
あなたはあなたを信じてその生涯を歩み通された方々一人一人を、最期の時まで守ってくださいました。
そして、地上の歩みを終えた一人一人をあなたの御許へと招き、天の国における平安と慰めに満たしてくださっています。
主よ、あなたを心から求め、あなたのみ言葉に耳を傾ける者すべてに、あなたの幸いと救いとをもたらしてください。
信仰の先達者である召天者の方々の背中を思い起こしつつ、私たちもまたあなたのみ言葉によって信じるものとなり、慰めと励ましを受けて、明日からの日々を幸いな歩みと信じて踏み出していくことができますように。
あなたがいつも私たちと共にあって、支えてください。
あらゆる困難が立ちはだかるとき、悲しみと寂しさに見舞われるとき、どうしようもなく立ち止まってしまったとき、そこにあなたがおられることを思い起こさせてください。
私たちのすべての歩みを、あなたの御心にゆだねます。


***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年11月2日木曜日

次回11月5日・全聖徒主日礼拝のご案内。

次週2023年11月5日(日)は全聖徒主日の礼拝です。

松本教会は
松田繫雄牧師の説教
「心の清い人々は、幸い」

長野教会は
野口和音牧師の説教
「幸いの神を見る心」

と題して、
両教会10時半より、主日礼拝として行われます。


全聖徒主日礼拝とは、天に召された方々を覚えるための礼拝として、毎年11月第1週に守られています。
どうぞご自由にお越しください。

信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

──マタイによる福音書5章1-12節

2023年11月1日水曜日

今週の黙想文(ルカ12:26)

こんなごく小さな事さえできないのに、
なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。
──ルカによる福音書12章26節


† † †

私たちの人生から全く思い悩むことがなくなるということはあるのでしょうか。
今悩みを抱えている人は、その悩みが解決することを切に望んでいることでしょう。
しかしキリストはあらゆる悩みが解決したとしても「何を食べようか、何を着ようか」といった根源的な思い悩みは、私たちの生涯に付きまとうものだと語られます。
悩みを解決したとしても、その解決方法が正しかったのかという悩みもまた生まれるかもしれません。
そのような私たちにキリストは「思い悩むな」と言われます。
どうしてそんなことができるでしょうか。
ブッダの教えを解説した本に、ブッダが悩まないのは何故か?という問いがありました。
その答えは「智慧」によって、正しい答えを持っているからだというのです。
キリストは「あなたがたの父は、……あなたがたに必要なことをご存じである。」と仰ってくださいました。
私たちにとって「智慧」とはキリストです。
キリストが教える神様が私たちのすべてを配慮してくださると信じるからこそ、その祈りをもって、今目の前にある思い悩みに、「では、どうすればよいだろうか」と立ち向かっていくことが出来るのです。

(20231029週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。