2022年6月30日木曜日

次回7月3日・聖霊降臨後第4主日礼拝の御案内。

次週2022年7月3日(日)は聖霊降臨後第4主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「収穫は多い」

と題して、
両教会10時半から礼拝が行われます。
松本教会では聖餐礼拝として、長野教会では信徒礼拝として行われます。
また、牧師家子女の誕生祝福式も行われます。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。 財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。 どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。 その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。 どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、 その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。 しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。 『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」 イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。 蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

──ルカによる福音書10章1-11,16-20節

今週の黙想文(ルカ5:32)

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招いて悔い改めさせるためである。
──ルカによる福音書5章32節


† † †

ルービックキューブの作者であるエルノー・ルービック氏の自伝を読むと、氏のこのような言葉が綴られていました。
「人生において、失敗より有益なものはない。あらゆる点で成功より遙かに有益だ。間違いを犯す勇気を持たなければならない。間違いを犯さなければ、全てを本当にうまくこなすことは不可能だからだ」。
試行錯誤の生涯を通して出てきた氏の言葉は、どこかキリストと私達との関わりにも通ずるものがあるように思います。
キリストもまた、この世に正しい人などいないことをよくご存知でした。そこで御言葉を受け取る私達には繰り返し罪との格闘と、克服への試行錯誤が必要なこともわかっていたのです。
だからこそ罪人である私達に道しるべとしてのみ言葉を残し、永遠の赦しをお与えになるために、ご自分は十字架へと進んでいかれたのです。
幾度となく罪を犯し、幾度となく赦され、幾度となく悔い改めへと導かれていく、その繰り返しを通してこそ、私達は真に義しい道へと導かれていくのです。

(20220626週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年6月26日日曜日

聖霊降臨後第3主日礼拝【礼拝動画】

本日6月26日は、聖霊降臨後第3主日の礼拝でした。


松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として、両教会10時半より礼拝が守られました。
いよいよ梅雨も終わりかと思うほどの暑さがやってきました。
教会でも冷房を付け始めました。
こまめな水分補給を欠かさずお過ごしください。
今日の日課の中で語られたように、日々それぞれの場所にあって、キリストの弟子としての働きを一人ひとりが担うことが出来ますように。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
列王記上19章15-16,19-21節〈旧p566〉
ガラテヤの信徒への手紙5章1,13-25節〈新p349〉
ルカによる福音書9章51-62節〈新p124〉


説教「厳しさの中にあるもの」

*祈り*

福音の主なる神様。
私たちはこの一週間を振り返ると、人と人との関わりの中で、多くの重荷を抱えて過ごしてきました。
その重荷は、余裕をなくした一言であったり、誰かを十分に愛することのできなかったことかもしれません。
わたしたちが愛に立つとき、そこにはどうしても限界があることを私たちは知らされます。
あなたの愛と誠実さ、寛容と平和に満ちて歩もうとしても、どこか不十分に感じてしまうことがたびたび起こります。

しかし主よ、だからこそあなたは、主に従おうとする一人ひとりにとって最も必要な言葉を語ってくださいます。
厳しさの中に問いかけと気付きを与え、再び私たちが小さなキリストとして立ち上がることが出来るようにしてくださいます。
そして、私たちが担う不完全な愛にあっても、あなたは一人ひとりを送り出していかれました。
それは、そのような不十分さを通してなおあなたが働いて下さり、私たちと関わるひとりひとりを福音にあずからせてくださるためでした。
世界中で起こる争いと痛みは、元を辿れば一人ひとりの愛の欠如に繋がります。
愛に満ちたもう主よ、あなたが絶えざる愛を込めた厳しい御言葉をもって、悔い改めを語られたように、主よ、罪の中にあるひとりひとりに、そしてわたしたちのうちに、今日の御言葉を何度でも思い起こさせてください。
私たちが今日あなたに招かれて御言葉を聞く時を与えられ、あなたの御心に生きる者として新しくされ、福音を携えてこの主日において送り出されていることを、どうか教えてください。
そして今日よりも明日が、明日よりも明後日の世界が、あなたの愛によって、少しでも悲しみと苦しみが減った世界へと変わっていきますように、私たち一人ひとりを、導き用いてください。





2022年6月23日木曜日

あんず収穫しました2022

松本教会の庭にあるあんずの木から、収穫をしました。


ここ数年は牧師一人でもなんとか収穫・処理・冷凍保存まで出来る量でしたが、今年はこれまで見たこともない豊作!
これだけ取ってもまだまだ例年程度に熟していない実が残っています。
信徒の方々のご協力により、無事冷凍保存することができました。
ありがとうございます。

実を選定。
熟しきっていないものは追熟や漬けるとよいとか

手作業で痛んだところを取ってくださっています

教会の冷凍庫がパンパンになりました。
後日またこれであんずジャムを作る予定です。

神様の恵み!

おたのしみに!



次回26日・聖霊降臨後第3主日礼拝のご案内。

次週2022年6月26日(日)は聖霊降臨後第3主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「厳しさの中にあるもの」

と題して、
両教会10時半から礼拝が行われます。
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。 そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。 しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。 イエスは振り向いて二人を戒められた。 そして、一行は別の村に行った。 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」 そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。 イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」 また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

──ルカによる福音書9章51-62節

2022年6月22日水曜日

今週の黙想文(マタイ10:30)

あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
──マタイ福音書10章30節


† † †

キリストは12人の直弟子たちを選び、人々に福音を告げ知らせるために送り出していきます。
送り出すにあたり、キリストは弟子たちに「宣教は必ずしもうまく行かず、中には迫害してくる人もいるだろう」と話し始めます。
しかしそこで弟子たちが恐れて躊躇しないようにキリストは力づけるのです。
当時、雀は最も安価な食べ物の一つで、2匹1セットで売られていました。
その雀の1匹でさえ、神様の赦しがなければいのちを奪われることはないと言われます。
ましてや、わたしたち一人ひとりの髪の毛の一本ですら神様はしっかりと愛をもって見つめておられるのです。
老いや病、人間関係の破れや、あらゆる苦難の中にあってなお、神様はわたしたちのいのちを尊び「極めて良いもの(創1:31)」としてくださっています。
アウシュビッツ刑務所の過酷な生活から生還した精神科医のビクトール・フランクルは著書の中で「人間は、自分の存在価値を確信しているときは、どんな飢餓や拷問にも耐えることができる。」と述べました。
神様こそ私たちのいのちを支えてくださっている方として畏れること、それこそが何よりも私たちを支えるいのちの希望なのです。

(20220619週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年6月19日日曜日

聖霊降臨後第2主日礼拝【礼拝動画】

本日6月19日は、聖霊降臨後第2主日の礼拝でした。



松本教会は主日礼拝として、長野教会は通信礼拝として、両教会10時半より礼拝が守られました。
本日は野口和音牧師が赴任して初めて、月3週目に長野との通信礼拝が実現しました。
長野教会の皆さま、ご協力いただきありがとうございます。

一気に暑い日が続くようになりましたね。
松本教会のあんずも一気に色づいてきました。
収穫が楽しみです。

今年は豊作!


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書65章1-9節〈旧p1167〉
ガラテヤの信徒への手紙3章23-29節〈新p346〉
ルカによる福音書8章26-39節〈新p119〉


説教「あなたのことをわかりたい」

*祈り*

導きの主なる神様。
聖書にしるされたイエス・キリストの歩みには、あなたの御心と御恵みとが示されています。
その歩みは十字架の救いを成し遂げられるまで、止まることはありませんでした。
苦しみの中にある人の許へと荒波と嵐を超えて駆けつけ、いのちを失う悲しみから人々を救い出し、人と人との間に立ってその関係を回復してくださるあなたの御心は、私たちへの愛に溢れています。
主よ、たとえ私たちが孤独を感じる時があろうとも、あなたは絶対に私たちをそのまま捨て置かれはしないことを、キリストにおいて信じます。
そしてキリストに従う信仰を与えられた者は、悪霊を取り除かれた彼のように、キリストの福音を宣べ伝え、また自分自身がキリストの愛に生きる者として立たされますように。
今日の世界において、あらゆる苦しみのなかにある人々を覚えて祈ります。
争いの中にある人、和解をしたくてもできないもどかしさを抱えている人、自分ではどうしようもできない孤独の中にある人をおぼえます。
そのひとりひとりのおそばにあなたが立っておられ、今日の御言葉をもってその心に寄り添っておられることを、一人でも多くの人が信じ、慰めを受けることが出来ますように。
様々な理由から、今日この礼拝に集う事の出来なかった方々、老いや病の苦しみを抱えながら日々を過ごされている方がおられます。
どうか主よ、あなたの慰め深い御心において、一人ひとりを省み、力づけてくださいますように。
病を抱えている人を支え、あなたが共におられるということを支えとしながら、いのちの息吹を吹き込んでくださいますように。
わたしたちひとりひとりのいのちを導いておられることを信じ、祈ります。
私たちが歩むべき道をお示しください。私たちが祈るべきことを教えてください。
日々の中に与えられるあなたの恵みを見出すことのできる目と、御言葉を聞きいれることのできる耳を開いてくださいますように。
あなたが私たちのために働いておられる全てのことに感謝します。





2022年6月16日木曜日

次週19日・聖霊降臨後第2主日礼拝のご案内。


次週2022年6月19日(日)は聖霊降臨後第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたのことをわかりたい」

と題して、
両教会10時半から礼拝が行われます。
松本教会では主日礼拝として、長野教会では通信礼拝として行われます。

どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。 イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。 イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」 イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。 イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。 そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。 悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。 この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。 そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。 そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。 悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。 「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。

──ルカによる福音書8章26-39節

2022年6月15日水曜日

今週の黙想文(2コリ8:14)

あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、
いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、
こうして釣り合いがとれるのです。
──2コリントの信徒への手紙二 8章14節


† † †

私たちの人生は山あり谷あり、と表現されます。
登り調子で良い時もあれば一気に谷底に突き落とされるような悪いことが起こることもあるのが人生だからです。
この手紙が送られた頃のコリントの教会には「ゆとり」があったようです。
それは経済的に潤沢であったのか、あるいは様々な賜物を持つ教会員が多く与えられていたのかもしれません。
そこでパウロは彼らにその「ゆとり」を必要な人に分け与えるようにと勧めています。
なぜなら私達に与えられる「ゆとり」は、神様の恵みによるものであるからです。
「ゆとり」という言葉は聖書の中でここにしか出てきません。
それだけ私達の人生も山より谷が多いということかもしれません。
しかしだからこそ神さまから与えられている恵みに感謝をもって受け取り、それを独占することなく分かちあうところにこそ、ヨハネが語った通り「谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる(ルカ3:5)」歩みに導かれると聖書は語るのです。

(20220612週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年6月12日日曜日

三位一体主日礼拝【礼拝動画】

本日6月12日は、三位一体主日の礼拝でした。



松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として、両教会10時半より礼拝が守られました。
三位一体主日ということで、三位一体の神様について聖書の言葉から考え、そこに示されている神様による寄り添いを受け取る時となりました。
梅雨入りも近いような天気が続いています。
恵みの雨となりますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
箴言8章1-4,22-31節〈旧p1000〉
ローマの信徒への手紙5章1-5節〈新p279〉
ヨハネによる福音書16章12-15節〈新p200〉


説教「徹底的な寄り添いのゆえに」

*祈り*

愛と寄り添いに満ちたもう主なる神様。
あなたはかつて預言者を通して語り、人々を導こうとされました。
しかし人々は都合の悪い言葉を聞き流し、預言者を亡き者としていきました。
そこであなたはみ子イエス・キリストとして自らこの世で語る者として歩んでくださいました。それでも人々はあなたを受け入れず、十字架へと追いやっていきました。
自分の愛するみ子を十字架の死に渡してなお、十字架を通して私たちの罪を赦し、悔い改めへの呼びかけをやめることのなかったあなたの姿にこそ、わたしたちへの愛と寄り添いとが表されていることを、受け取っていくことが出来ますように。
あなたは私たちを決して見捨てることなく、何度でも罪から解放される道を、み言葉を通して示してくださっています。
その御声にこそ私たちが聞き従い、あなたの愛と寄り添いのゆえに、絶えず悔い改めをもって望むことが出来ますように。
そしてあなたから注がれた聖霊のゆえに、私たち一人ひとりもまた、誰かを愛し、その心に寄り添い、共に立って支えあう者として立たせてください。

私たちのうちにある知恵と力とは、誰かを救い、誰かを助けるために使われるべきものです。
しかし必ずしもそうならず、むしろ誰かを傷つけ、そのいのちを奪うものとして使われてしまう現実が、世界中で起こり続けています。
主よ、どうかあなたがそうされたように、私たち一人ひとりもまた、この世界に生きる一つひとつの命に心を注ぐことが出来ますように。
一つでも多くのいのちがあなたの平安のうちに歩むことが出来るように、祈りを合わせます。
争いと恐怖の中にある人々をあなたが救い出し、あらゆる苦しみを引き起こしてしまう罪に、あなたが呼びかけてください。
誰一人として苦しみ続けることを望まないこの世界の中で、誰よりもあなたが、それを望んでおられません。
私たちの手が誰かを傷つけるのではなく癒すために、私たちの心が誰かを憎むためではなく愛するためにあなたから与えられていることを、どのような時にあっても忘れることがないように、聖霊なるあなたが、私たちと共にいてくださいますように。





2022年6月9日木曜日

次回12日・三位一体主日礼拝のご案内

次週2022年6月12日(日)は三位一体主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「徹底的な寄り添いのゆえに」

と題して、
両教会10時半から礼拝が行われます。
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として行われます。

どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

──ヨハネによる福音書16章12-15節

2022年6月8日水曜日

今週の黙想文(創1:26)

我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。
そして……すべてを支配させよう。
──創世記1書26節


† † †

神様は天地創造の一番最後に、自分たちに似せて人間を造られたと聖書は記しています。
そして人間に神様が造られたすべての「良いもの」を支配させよう、と命じられるのです。
この「支配」と訳された言葉は、人間の自由に扱ってよいという意味での言葉ではなく、むしろ「管理と維持」に近い意味合いの言葉が使われています。
毎年夏と冬の入りには「今年は異常気象だ」という言葉を聞くようになりました。
これまでとは違った天候の乱れが毎年のように起きているということは、神様から委ねられたこの世の「維持」とは程遠い生き方を私たちがしていることの証左でもあるのかもしれません。
そして、私たち一人ひとりもまた神様から造られた被造物です。
そのいのちの「管理と維持」を考える時、命を奪い合うこともまたそれに反することであるはずです。
天地創造物語とは単なる神話ではなく、神様が造られた世界の中で私たちがどのように生きるかを指し示す物語でもあるのです。

(20220605週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年6月5日日曜日

聖霊降臨祭【礼拝動画】

本日6月5日は、聖霊降臨祭の礼拝でした。
両教会10時半より、
長野教会は巡回説教者である北尾一郎牧師をお招きし、主日礼拝として守られました。
松本教会は聖餐礼拝として守られました。

昼が真夏のような暑さになるにも関わらず、例年とは違って朝晩は冷え込む日々が長く続いています。
季節の変わり目、体調を崩される方も多くいらっしゃいます。
どうか皆様の健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
創世記11章1-9節〈旧p13〉
使徒言行録2章1-21節〈新p214〉
ヨハネによる福音書14章8-17節,25-27節〈新p196〉


説教「満たされる約束」

*祈り*

救いの主なる神様。
あなたは聖書の時代、人々に直接に語り掛け、救いのために目に見える奇跡をもって関わられました。
それはあなたが人々と結ばれた約束を、人々の目に見えるかたちで果たされるためでした。
そこには、目に見えるものを求める人間の弱さもまたあります。
しかしあなたはその弱さにすら寄り添ってくださいました。
その最たるものとして、イエス・キリストを送ってくださり、私たちの最も弱い部分、罪さえ分かち合い、救い出してくださいました。
あなたの霊に満たされた弟子たちが書き記したこの聖書のみ言葉は、今日も変わることなくあなたの福音を告げ知らせています。
どうか私たち一人ひとりのうちにあなたが今日聖霊に満たし、聖書に記されたすべての救いの約束をあなたが果たされるために、必要な歩みへと押し出してください。
絶えずキリストのみ言葉にこそ私たちが拠って立ち、繰り返し立ち返ることを通して慰めと支えを受けつつ、あなたの御心に従って歩むことが出来ますように。
そしてそのような歩みの中に、あなたの働きが豊かに示されますように。

主よ、世界中で絶えることのない人と人との争いの中で、あなたの霊から遠ざかっている人々がいます。
傷ついている人、望んでもいないのに誰かを傷つけなければ今日一日を過ごすことのできない人々がいます。
どうか主よ、キリストが弟子たちに「私の平和を与える」と聖霊について教えられたように、そのような人々の心にこそ、平和を満たしてください。
また、老いや病、様々な不安と焦りに苛まれている人々がいます。
こうあらねばという責任感のゆえに、かえってあなたから離れ、自ら苦しみを背負う人々がいます。
主よ、あなたはわたしたちがどのような理由にせよ苦しまれるのを望んではおられません。
一人ひとりが抱える苦しみをどうかあなたが速やかに取り除いてくださいますように。
もし私たちに襲い来る苦しみと思い煩いが取り除くこととのできないものであるなら、どうかあなたが慰めをもってそれを分かち合ってください。
私たちを支え導く聖霊に満たされた日々へと、私たちを送り出してくださいますように。





2022年6月3日金曜日

次回6月5日・聖霊降臨祭の御案内。

次週2022年6月5日(日)は聖霊降臨祭の礼拝です。

長野教会では
北尾一郎牧師の説教
「もうひとりの弁護者が」

松本教会では
野口和音牧師の説教
「満たされる約束」

と題して、両教会10時半から礼拝が行われます。
松本教会では聖餐礼拝として、長野教会では信徒礼拝として行われます。

どうぞご自由にお越しください。
長野県域のコロナウイルス警戒レベルが4以下となったため、礼拝のライブ配信を終了いたします。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。 『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。 わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。 上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。 主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』

──使徒言行録2章1-21節

2022年6月1日水曜日

今週の黙想文(マタイ1:23)

「…その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
──マタイ福音書1章23節


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米国の神学者ジョン・パイパーは、自分が神を愛しているかどうか分からないという人に、このように語りました。
「もしあなたが天国に行くことが出来て、そこには病もなく、友人が皆おり、好きな食べ物もあり、好きだった娯楽もすべてそろっていて、生前に見たすべての美しい風景が広がり、争いや自然災害もなかったとしたら、満足するだろうか。たとえそこに、キリストがいなかったとしても。」
また、哲学者キルケゴールもこのように言います。
「失望したければ世の中を見よ。絶望したければ自分を見よ。しかし、希望を持ちたければキリストを見よ。」
聖書はキリストを「我々と共におられる」者として表現しています。
それはどのような救いも、主キリストという他者との関係になしにはありえないことであったからです。
私たちのいのちは、関わりあうものとして造られました。
それは何よりも神様との関わりの中に生きるようにという呼びかけなのです。
この世が天国からどれほどかけ離れた場所に感じたとしても、キリストが共におられるところこそ、私たちにとっての天国であるのです。

(20220529週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。