2021年8月31日火曜日

【再掲】いのち学2021第3回の御案内。

 来月9月6日(月)19時より、松本教会にて

「いのち学~宇宙の中の私たち~」第3回が行われます!



いのち学、第3回です。
今年度のサブタイトルは「宇宙の中の私たち~科学、哲学、神学的視点から~」です。
理論物理学者、哲学者、神学者たちの著書内容を紹介しつつ、
科学だけではとらえきれない「人のいのち」について、共に考える時を持ってみませんか?

参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。軽食(市販品を別途販売)もあります。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方、2週間以内に感染者多発地域に訪問があった方、また、感染多発地域から来られた方との接触があった方は、ご参加をご遠慮ください。
万が一の場合に備え、受付にてご連絡先をお聞きします。ご了承ください。

9月6日(月)の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

2021年8月29日日曜日

聖霊降臨後第14主日礼拝。20210829

本日8月29日は、聖霊降臨後第14主日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会は家庭礼拝として行われました。



ライブ配信にてご参加いただいた方々にも感謝いたします。
あっという間に8月が終わりつつありますが、暑さはまだまだ落ち着く様子がありません。
長野県も4日間連続で100人越えの新型コロナウイルスの陽性者数を出し、緊張が高まっています。
この記事をご覧の方もお体にはお気を付け下さい。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
申命記4章1-2,6-9節〈旧p285〉
ヤコブの手紙1章17-27節〈新p421〉
マルコによる福音書7章1-8,14-15,21-23節〈新p74〉〉

説教「神の心に聴く」

*祈り*

愛のうちに呼びたもう主なる神様。
あなたは全ての人々を救うために主イエス・キリストを遣わされました。
あなたの御心から遠く離れたファリサイ派の人々、律法学者をも見捨てられませんでした。
彼らが深い罪の中にあってなお、悔い改めを呼びかけられ、御心に立ち返るようにと言葉を尽くされました。
私たちにとっても、御言葉が厳しく聞こえる時にこそ、あなたが懸命に救いの手を伸ばしておられることを教えてください。
全ての御言葉は愛に満ちて語られています。
私たちの内にある罪を思い起こし、何の対価もなく拭い去ってくださった救いの恵みを、感謝して受け止めることができますように。

誰もが心の余裕を失い、自分のことだけで精いっぱいになっている人が多くいます。
それゆえ、誰かの言葉に敏感に反応し、相手の心を聞き入れる余裕もなく、傷つけあってしまうことがたびたび起こっていることをよく聞きます。
不安の中で動けなくなり、孤独の中にある人がいます。
身体も心も疲れ果てている人々がいます。
病の床にあって、苦しんでいる人がいます。
主よ、どうかあなたが一人ひとりに、愛をもって寄り添ってください。
その御手と言葉によって、身体も心も癒してください。
私たち一人ひとりが、誰かと心を通わせ合う関係に生きることが出来るように、私たちの心に平安をお与えください。

長く続く忍耐の時だからこそ、私たち一人ひとりが、あなたの御言葉のうちに響く御心に聴き、それによって慰められ、力づけられて、この時を乗り越えることができますように。
あなたとの対話、心と心との関わり合いの時を、私たちの日々の祈りのうちに与えてください。

2021年8月26日木曜日

次回29日・聖霊降臨後第14主日礼拝の御案内。

次週2021年8月29日(日)は聖霊降臨後第14主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「神の心に聴く」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

礼拝を自粛される方のため、当日は当ブログにて礼拝のライブ配信も行います。
礼拝後は音声等を高音質化した礼拝動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、/むなしくわたしをあがめている。』あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」

──マルコ福音書7章1-8,14-15,21-23節

2021年8月25日水曜日

今週の黙想文(ロマ10:17)

実に、信仰は聞くことにより、
しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
──ローマの信徒への手紙10章17節


† † †

モーセの民への説教である申命記の中には「聞け、イスラエルよ(シェマー・イスラエル)」と呼びかける言葉から神様の律法が民へと語られていきます。
イエスの時代、ファリサイ派の人々は律法を「守る(行う)」ことによって神様との関係、すなわち救いに与る信仰に立っていました。
しかし、このモーセの言葉を振り返ると、神様との関係の中でまず起こってくるのは「聞く」という関係であることがあらわされています。
この聞くは、相手の言葉を深く自分の中に受け止める、"聴く" です。
信仰は聞くことから始まるとパウロも言っている通りに、私たちはキリスト者として生きるためにまず ”聴” かなければならないでしょう。
それはつまり、神様のことを知るということです。
私たちが相手のことを知ろうとするとき、その人と対話し、その言葉やふるまいからその心を受け取ろうとします。
神様に対しても同じです。
神様が私たちにかけてくださった言葉は聖書に溢れています。
私たちが神様と共に善く生きようとする歩みは、私たちがどのような神様との関わりに生かされているのかを聖書から ”聴く” ことから始まるのです。
 
(20210822週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年8月22日日曜日

聖霊降臨後第13主日礼拝。20210822

22日は聖霊降臨後第13主日礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。
松本教会とSkypeで繋げつつ、同時にYoutubeでのライブ配信でしたので、動画処理の関係上画質が落ちていますが、無事最後まで礼拝が守られ感謝です。

長野県の全県で新型コロナウイルス警戒レベルが5に引き上げられ、医療非常事態宣言が出されました。
また、先週の大雨による涼しさと打って変わって、今週は再び夏の暑さが帰ってきました。
コロナウイルスだけではなく、疲れや夏バテから体調を崩される方もおられます。
病の床にある一人ひとりに主が寄り添ってくださり、癒しが与えられますように。
どうぞ体調を第一に守りつつ、一日でも早い終息を祈りましょう。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**讃美歌**
303(1,2)、64(1,3)、320(1,4)、331(1,4)

**本日の使徒書・福音書**
ヨシュア記24章1-2a,14-18節〈旧p376〉
エフェソの信徒への手紙6章10-20節〈新p359〉
ヨハネによる福音書6章56-69節〈新p176〉

説教「招かれて、赦されて、生かされる」

*祈り*

永遠の主なる神様。
あなたは私たち一人ひとりを救いへと招かれ、永遠の命をお与えになる為に、ご自分の御子をも十字架にかけられました。
それは、わたしたちが深い罪の中にあって自分の力により頼んで生きる存在であるからです。
主よ、キリストが問いかけられたように、私たちがいつも自分の力により頼み、その結果多くの重荷を背負ったり、苦しい日々の歩みをしてしまうことに気付かせてください。
あなたに造られた時から、私たちが互いに助け合う存在、関わりあう存在として造られたことを、聖書のみ言葉から思い起こさせてください。
私たちの救いは私たちの力によってではなく、また御子イエスの力によってでもなく、一人ひとりに働かれるあなたの働きによって与えられるものです。
私たちが救いを求める時、まず心を静め、祈りの時を持ち、あなたの御言葉に耳を澄ませることが出来ますように。
悔い改めの心を与え、あなたから与えられている大きな赦しを思い起こすことが出来ますように。
私たちの救いは既にあなたから与えられていること、私たちをいつもあなたの御心に適う者として生かそうとしてくださっている、あなたの憐れみと愛で私たちを満たしてください。

全国的に新型コロナウイルスの罹患者がますます増加し、長野県では全県に警戒レベル5と医療非常事態宣言が出されています。
関東の方では入院することが出来ずに亡くなる方もおられると聞きます。
主よ、どうか病の床にある人々に慰めと癒しをお与えください。
そして健康を守られている一人ひとりが、そのような人々を一人でも増やすことがないように、互いに心を配り、助け合うことができるようにしてください。
日々の働きの中で疲れを覚えている方、不安の中にある方がいます。
あなたとの静かな祈りの時を通して、一時の安らぎの時をお与えください。
目の前のこと、今日生きることに心を支配されてしまう私たちをあなたが御言葉によって解放し、永遠のいのちの福音に生かしてくださいますように。
私たちの歩みの全てをあなたの御心に委ねます。

2021年8月19日木曜日

次回22日・聖霊降臨後第13主日礼拝の御案内。

次週2021年8月22日(日)は聖霊降臨後第13主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「招かれて、赦されて、生かされる」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

礼拝を自粛される方のため、当日は当ブログにて礼拝のライブ配信も行います。
礼拝後は音声等を改善した礼拝動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。 生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。 これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」 これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。
ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」 イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。 それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。 命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。 しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。 そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」 このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。 そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。 シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。 あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

──ヨハネ福音書6章56-69節

2021年8月18日水曜日

今週の黙想文(ロマ8:10)

キリストがあなたがたの内におられるならば、
体は罪によって死んでいても、
“霊”は義によって命となっています。
──ローマの信徒への手紙8章10節


† † †

日本語で「霊」と聞くと、魂のように「形はなくとも一人ひとりを個人としているもの」というイメージが強いと思います。
しかし聖書が捉える「霊」は息吹や風とも訳されるように、ただ個人の魂を指すだけではなく「他と関わり動かす力」という意味も持つ言葉です。
「キリストの霊があなたがた内に宿っているなら(11節)」と言う時、生きたキリストが私たちと霊的な関わりにおいて、救いの方向へ背中を押してくださっていると捉えるとわかりやすいかもしれません。
私たちの中に神様から吹き入れられた「息吹/霊(創2:7)」は、キリストを信じる時、キリストの十字架によって与えられた義によって永遠の命を与えられます。
目に見える私たちの体は滅んでも、キリストの義に結び付けられた霊は滅ぶことがなくなるのです。
「見ないのに信じる人は、幸いである。(ヨハネ20:29)」と復活の主がトマスに言われた通り、目に見えない救いを信仰によって受け取る時、私たちの地上の歩みを超えた先に、永遠の命と再会の喜びを私たちに与えようと、復活のキリストが待っておられるのです。

(20210815週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年8月15日日曜日

聖霊降臨後第12主日礼拝。20210815

本日8月15日は聖霊降臨後第12主日の礼拝でした。
松本教会は主日礼拝、長野教会は家庭礼拝として守られました。


手前の端末はライブ配信用のカメラです。

降り続く大雨により、教会に来ることのできない方が多くおられましたが、松本教会では少人数での礼拝が守られました。
県内で新型コロナウイルス陽性者が毎日100名を超えています。
教会では、礼拝を自粛される方のため、松本市・長野市の警戒レベルが4以下になるまで礼拝のライブ配信を再開いたします。

終戦記念日でもある今日、あらゆる過去の争いを思い起こし、悔い改めをもってキリストのみ言葉に聞きたいと思います。
特に戦争の悲劇を二度と繰り返すことがないように、祈りましょう。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**讃美歌**
317(1,3)、253(1,4)、263(1,4)、337(1,3)

**本日の使徒書・福音書**
箴言9章1-6節〈旧p1002〉
エフェソの信徒への手紙5章15-20節〈新p358〉
ヨハネによる福音書6章51-58節〈新p176〉

説教「いのちのパン」

*祈り*

命の与え主なる神様。 あなたはご自分の御子イエス・キリストを通して御言葉を語ってくださり、十字架にその御子を捧げてまで、私たちの救いを成し遂げてくださいました。
それは私たちに対する全き愛と恵みによるものです。
あなたが私たちの救いのために心を尽くしてくださっていることを、御言葉だけでなく、聖餐においても深い感謝をもって受け取ることが出来ますように。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」とキリストは語ってくださいました。
その通りに、御言葉と聖餐とをもって、私たちの魂をキリストと一体としてください。
私たちのうちにいつもキリストが生きておられ、主のみ心に私たちを生かすものとしてそのみ言葉を聞くことが出来ますように。
あなたが私たちに語ってくださった全ての御言葉を心に刻み、悔い改めと愛をもって関わりあう道を示してください。

ここ長野でも、毎日の新型コロナウイルスの陽性者が100人を超えるようになってきました。
それだけではなく、様々な病の床に伏している人々がいます。
どうか病の苦しみの中にある一人ひとりに、主よ、あなたが寄り添ってください。
私たちのうちに生きておられるキリストと共に、一日も早く癒しが与えられるようにと祈ります。
また、このような中で仕事を続けておられる方々の健康を守ってください。
彼らの働きを省み、疲れた心に平安をお与えください。
先週から全国で降り続く大雨による被害が、これ以上広がりませんように。
今日もそれぞれの場所で祈りを合わせている兄弟姉妹がいます。
拭い去れない不安と、言葉にならない呻きから私たちを救い出してくださることを信じ、祈りを合わせます。
私たちの祈りを聞き届けてください。

2021年8月12日木曜日

次回15日・聖霊降臨後第12主日礼拝の御案内。

次週2021年8月15日(日)は聖霊降臨後第12主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「まことのパン」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、10時半から礼拝が行われます。
牧師は松本教会におります。
長野教会は今週会堂での礼拝は中止となりました。
どうぞご自由にお越しください。

また、15日(日)は10時半より礼拝のライブ配信を当ブログにて行います。
礼拝参加を自粛される方は、ライブ配信にてご参加いただければ幸いです。

礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。 イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。 生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。 これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

──ヨハネ福音書6章51-58節

2021年8月11日水曜日

今週の黙想文(マタイ9:12)

医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
──マタイ福音書9章12節


† † †

年を取れば取るほど病気が悩ましく思うとよく聞きますが、老若男女、誰一人逃れることのできない病があります。
「罪」という病です。
「罪が支払う報酬は死です(ロマ6:23)」と言われているように、罪から出る苦しみの中で最も深いものは、誰かの命が喪われてしまうことです。
しかしキリストが信仰を通してお与えになる永遠のいのちは、地上のいのちの終わりが通過点となり、永遠の御国において再び会うことが出来るという福音です。
私たちは「新しく生まれさせ(テトス3:5)」られます。
そこで何よりも大切なことは、十字架のキリストが信仰を通して罪が引き起こすあらゆる苦しみを拭い去ってくださるという福音なのです。
パウロは「自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして捧げなさい」とロマ書12章においてキリスト者に勧めています。
信仰の歩みは、この永遠のいのちの福音を信じ、自分のいのちの全てを神様の御心のままに委ねますと祈ることから始まるのです。
魂の医者であるキリストの言葉を深く心に留めつつ、信仰の旅路を歩み続けてまいりましょう。
(20210808週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年8月8日日曜日

聖霊降臨後第11主日礼拝。20210808

本日8月8日は、聖霊降臨後第11主日の礼拝でした。
松本教会では通臨礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。



松本教会とSkypeでつなぎ、松本教会のオルガンの奏楽に合わせて長野教会から牧師が司式をする礼拝が守られました。
松本教会には礼拝動画の風景がプロジェクターで映し出されています。
通信礼拝により、2教会が同時に祈りを守ることができています。

長野でも新型コロナウイルスの陽性者数が急激に増えています。
この記事をご覧の方も体調にはお気を付け下さい。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
列王記上19章4-8節〈旧p565〉
エフェソの信徒への手紙4章25節-5章2節〈新p357〉
ヨハネによる福音書6章35,41-51節〈新p175〉

説教「永遠のいのちに生かす、」

*祈り*

命の源である主なる神様。
「罪の報酬は死です」とパウロは言いました。
その通り、私たちは今日のパンを食べなければ死に至ってしまう弱い存在です。
しかしあなたはキリストを通して私たちを憐れみ、罪と死によって悲しむことがないように、永遠のいのちの約束を私たちにお与えになりました。
それは、あなたの全き恵みと慈しみによるものです。
私たちが今日のいのちを生きることに固執することなく、自分の力により頼んで生きることがないように悔い改めさせてください。
そして私たちが今日こうして御言葉に聴く機会が与えられていることが、あなたの恵みと導きによるものであることを、心から受け止めることが出来ますように。
あなたの御心は神秘に満ち、あなたの御経綸は私たちの想像をはるかに超えています。
目の前の出来事に捉われ、あなたへの信仰が迷うことの多い私たちをどうか赦してください。
キリストの御言葉をもって絶えず導いてくださり、あなたが私たちの地上の歩みの最期にお与えになる永遠のいのちにこそ、心を向けることができますように。

先週とは比較にならない速度で、新型コロナウイルスの陽性者数が全国で増加しています。
病床が足りずに自宅を病の床とされている人々もいます。
苦しみの淵に立たされ、今にも命が失われそうになっている人々がいます。
主よ、どうか一人ひとりに慰めをもって寄り添ってください。
私たちが互いに配慮しあい、助け合う存在として神様に造られたことを思い起こさせてください。
病の中にある人々を癒し、天に召されたいのちを救い上げてください。
あまりにも長い忍耐の時にあってなお、この苦難の時をあなたと共に乗り越えることが出来るよう、私たち一人ひとりの心を支えてください。

2021年8月5日木曜日

次回8日・聖霊降臨後第11主日礼拝の御案内。

次週2021年8月8日(日)は聖霊降臨後第11主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「永遠のいのちに生かす、」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、 こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」 イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。 わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。 預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。 父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。 はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。 わたしは命のパンである。 あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。 しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

──ヨハネ福音書6章35,41-51節

2021年8月4日水曜日

今週の黙想文(ネヘミヤ8:10)

主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。
──ネヘミヤ記8章10節


† † †

バビロン捕囚から解放され、イエスラエルの地に帰還した人々の喜びは計り知れません。
祭司エズラが律法を読み説くと、人々は感動の涙を流しています。
そこで人々はモーセの説教である申命記の言葉も聞き、悔い改めの思いに満たされたことでしょう。
今や彼らは解放されました。悔い改めが先にあったのではなく、先に与えられた解放の喜びを通して、人々は「主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕える(申11:13)」ように導かれたのです。

私たちは、神様の教えに従うことで幸せになれるのではありません。
罪人であるにも関わらず神様からの救いの恵みがある、その信仰を通して喜びが与えられる時、私たちは神様の言葉に従うことへと導かれていくのです。
人間の喜びは有限ですが、神様の喜びは絶えることがありません。
隠しておきたい弱さ、誰にも話せない負い目、あらゆる悩み苦しみを抱えるありのままのあなた自身をまず「愛し、心を尽くし、魂を尽くして」救い出そうとされる神様の姿が、キリストの十字架にはあらわされているのです。

(20210801週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年8月3日火曜日

8月・祈り会「詩編に学ぶ~祈りと共に~」お休みのお知らせ

松本教会にて、毎月第3週目、
水曜日の14時~・19時~に行っている、
祈り会「詩編に学ぶ~祈りと共に~」は、
8月はお休みです。


次回は9月15日になります。


2021年8月2日月曜日

牧師エッセイ(2021年8月)

自分の得意なことや好きなことが、誰かの助けになると嬉しいものです。
この二者をインターネット上で繋げるサービスがあることを知って、なんて素晴らしいサービスなのだろうと感動しました。
自分が得意なことを登録したら、それを求めている人に無償で提供することによって、それを受け取った人がまた他の誰かに自分の得意なことを提供していく、感謝の循環で人々を繋げていくサービスだというのです。
このサービスの名前が「giv(ギブ)」であることに、深く思うところがありました。

「ギブ・アンド・テイク」は、直訳すると「差し出すことと受け取ること」、その相互的な関わりをあらわす言葉です。
「テイクアンドギブ」ではないところに意味があると思います。
誰かがまず差し出す(ギブ)ことから始まるからこそ、その関わりは次に繋がっていくものになるからです。

イエス・キリストもまた、そのような関係に神様を加えてこのように言われました。
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。(ヨハネ15:12)」。
キリストはその愛を象徴的にあらわすために、弟子たちの足を洗われました(同13章)。
感謝で繋がるために私たちが注意すべきことは、傲慢に陥らないようにすることです。
パウロが言うように「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え(フィリピ2:3)」て互いに関わるところに、キリストが命じられた、愛によってつながる関係への第一歩が始まるのです。


ティントレット 「弟子たちの足を洗うキリスト」


2021年8月1日日曜日

8月1日・平和主日の礼拝。 20210801

本日8月1日は、平和主日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会は家庭礼拝として行われました。

初めて聖書が訳されたとき「愛」が「御大切」と訳されたことをおぼえ、キリストが与えてくださる平和への道を、御言葉から聞きました。

集会室と礼拝堂の二室で分散しつつ、共に礼拝が守られたことを感謝いたします。
長野でも新型コロナウイルスの陽性者数が急激に増えています。
この記事をご覧の方もお体にはお気を付け下さい。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ミカ書4章1-5節〈旧p1452〉
エフェソの信徒への手紙2章13-18節〈新p354〉
ヨハネによる福音書15章9-12節〈新p198〉

説教「御大切に」

*祈り*

平和の主なる神様。
人の歴史は、争いの歴史とも言われます。
自分の正しさをもって相手の正しさをねじ伏せる、そのような戦いが歴史上繰り返されてきました。
その中で、多くの人々の命が失われ、悲しみにくれる人々がいました。
そして今もなお私たちのうちにある罪は争いを引き起こし、私たちの間にある人間関係を壊していきます。
主よ、だからこそあなたはイエス・キリストを私たちのもとへと遣わされました。
キリストの十字架によって敵意の壁を打ち砕き、愛をもって関わりあうことができる信仰を私たちにお与えになります。
どうか主よ、私たち一人ひとりが、あなたの御言葉に耳を傾けることが出来ますように。

オリンピックが開催され、活気だつ一方で、全国ではこれまでにないほど新型コロナウイルスの陽性者数が増えています。
ここ長野でも急激に増えつつあり、様々な思いを抱えて過ごしています。
誰しも心から平和を失ってしまう今日の現実の中にあって、御言葉を聞く私たちの心がいつでもあなたの愛に立ち返ることが出来ますように。
配慮と、尊重と、赦しをもって関わり合い、お互いを大切にする、そのようなまことの平和を、御言葉を聞く私たち一人ひとりを通してあなたが成し遂げてください。
そしてその愛に生きることのできない、疲れ果て、余裕をなくし、悩み苦しみの中にある人々のために、祈ることが出来ますように。
今日、苦難の中にある人、病の中に苦しんでいる人、明日の生活もままならない人、そして不慮の事故から命を失ってしまう人々がいます。
大変な中で懸命にこの状況を乗り越えようと働いている人々がいます。
その一人ひとりの魂にあなたが寄り添ってくださり、愛をもって包み込んでください。
私たちの隣人にそのような人がいたとしたら、支えあい、助け合うことができますように。
愛の源であるあなたの御言葉に立たされて、信仰を保ち、日々を過ごすことが出来ますように。