2020年12月31日木曜日

次回・1月3日降誕節第2主日礼拝のご案内。

次週2021年1月3日(日)は降誕節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「いつだって幸先詣」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として行われます。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。 
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
──ヨハネ福音書1章1-18節

2020年12月30日水曜日

今週の黙想文(創1:3)

神は言われた。「光あれ。」
こうして、光があった。
──創世記1章3節

† † †

旧約聖書が語る世界創生の始まりは、簡潔に語られた神様の言葉がこの世界を造り上げていったことを語っています。
世界のすべてがこうして造り上げられたあと、「第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。(2:2)」と聖書は記していますが、神様はその後にも働き続けておられるのです。

宗教改革者マルティン・ルターはこの旧約の言葉を今なお神は語り続けておられるがゆえに、今の世界に光が存在している、と語りました。
同様に、聖書のみ言葉は過去に一度語られただけではなく、今なお私たちに語り続けられているのです。

聖書が語っているのは、楽園追放をはじめとした繰り返される人間の罪の問題に対して、神は人間を愛し、救いへと導くための関わりを決して諦めてはおられないということです。
ですから、今日の私たちのために語り続けられている神様からの言葉に、耳を澄ましてみたいと思うのです。
今日も神はあなたが歩む道の先を明るく照らすために、語ってくださっています──「光あれ」。

(20201227週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年12月27日日曜日

降誕節第1主日礼拝 20201227

本日12月27日は降誕節第1主日の礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。


今年は何度か家庭礼拝となりましたが、こうして集う形での礼拝が守られることの恵みと喜びをかみしめた一年となりました。
み言葉に聞き、恵みを受けて日々導かれていることに感謝しつつ、来年も過ごしていければと祈っています。
この記事をご覧の方々においても、神様の導きと恵みに満ちた新年が迎えられますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書61章10節-62章3節〈旧p1162〉
ガラテヤの信徒への手紙4章4-7節〈新p347〉
ルカによる福音書2章22-40節〈新p103〉

*祈り*

いのちの贖い主なる神様。
あなたは私たちを神の似姿として造ってくださいました。しかし私たちは罪によってあなたの御心から離れ、あなたの働きと御業とに気付くことができなくなっています。
それでも主よ、あなたは私たちを救いへと招くために、み言葉を語り続けてくださっています。罪によって思い悩み、あなたを見出すことが出来ずに心迷う日々の中にあっても、そのすべてを救いへの導きとして整えてくださっているということを信じさせてください。
私たちのいのちはすべてあなたからいただいたものです。
主イエス・キリストが私たちの罪のために十字架へと捧げられたことをおぼえ、私たちのいのちもあなたにお捧げすることが出来ますように。
私たちの近くにあなたが救いへと導こうとする者があるなら、どうぞ私たちを用いてください。その交わりを通して、私たちの信仰がいっそう強められ、悔い改めをもって新しくされていきますように。
あなたからいただいたいのちを、日々の絶望と孤独のゆえに、自ら投げ捨ててしまう人々がいます。
どうか主よ、憐みと慰めをもって、彼らの魂が抱える悲しみに寄り添ってください。私たちも今まさに魂の痛みの中にいる人々のために祈ることが出来ますように。
そして手が届くところにいるのであれば、あなたの導きをもって、私たちをその人のところへと送り出してください。
今なお暗いニュースが世間を覆い、希望を見出すことが難しい世の中に見えます。傷つき悩む人々が多くいます。それは、2000年前も今も変わりません。
だからこそあなたは幼子イエス・キリストという希望の光を私たちへと送ってくださいました。私たちの信仰の中心にいつもあなたがおられて、私たち一人ひとりを恵みの喜びに満たしてください。
私たちのいのち、生涯のすべてをあなたに信頼してお委ねすることができますように。

2020年12月25日金曜日

次回27日・降誕節第1主日礼拝のご案内。

次週12月27日(日)は降誕節第1主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「救いとの出会い」

と題して、
10時半から松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として行います。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。
──ルカ福音書2章22-40節

2020年12月24日木曜日

クリスマスイヴ・キャンドルサービス(降誕祭前夜燭火礼拝)。20201224

本日12月24日は降誕祭前夜燭火礼拝(クリスマスイヴ・キャンドルサービス)でした。
まず長野教会は11時から、松本教会で17時と19時の2回、礼拝が守られました。
両教会においてクリスマスの喜びを分かち合う日となりました。

イヴ礼拝の式文も例年よりも短縮し、讃美歌も二節までとなりました。
イヴ礼拝を集う形で行えない教会もあるなか、皆様と共に祈りの時を守ることが出来たことを感謝したいと思います。
本日の礼拝動画は松本教会19時からのものです。
主に支えられつつ、新しい年に向けて歩みだしてまいりましょう。



**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ルカによる福音書2章1-20節

2020年12月23日水曜日

今週の黙想文(イザ9:1)

死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
──イザヤ書9章1節

† † †

イエス様がお生まれになったクリスマスがやってきます。
その出来事を預言した言葉や福音書の中で、キリストは光にたとえられています。
徴税人や罪びとたち、羊飼い、病にかかった人、夫を亡くした女性など、当時の社会において抑圧され、人々から見捨てられていた人々がいました。
このような人々の状況は今ではありえないと感じるかもしれませんが、この根本には人間関係の問題があるのです。
私たちもこの1年を振り返ると、自分勝手になり、自分の思いと立場を優先するあまりに、誰かに手を差し伸べることを躊躇ったり、傷つけてしまうことはなかったでしょうか。
誰かの立場になって考えること、その心に寄り添うことができなくなっていくとき、今日を生きる私たち一人ひとりの心もまた、「死の陰」に覆われてしまうのです。
だからこそキリストはあのクリスマスの日「平和の君(同9:5)」としてお生まれになりました。
私たちの人間関係における平和、そして私たち自身の心についての平和をもたらすために、キリストはみ言葉を語ってくださったのです。
クリスマスを祝いの時とする前に、この一年間の私たち自身を振り返ってみましょう。
私たちの心と関係のうちに平和が失われているなら、和解のために何ができるかを考えましょう。
私たちの心に与えられる最も深い喜びが、その問いの先には見つかるはずです。
どのようなことがあろうともあなたと共にいて、支えるために、キリストはお生まれになったのです。

(20201220週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年12月21日月曜日

次回24日・クリスマスイヴ礼拝の御案内。

次週12月24日(木)は主の降誕(クリスマスイヴ)の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「世界で一番長い夜に」

と題して、
松本教会では17時からと19時から、長野教会では11時から礼拝を行います。
ご都合の良い時間にどうぞお越しください。


† † †

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
──ルカ福音書2章1-20節

2020年12月20日日曜日

待降節第4主日(クリスマス主日)礼拝 20201220

本日12月20日は待降節第4(クリスマス)主日の礼拝でした。
松本教会は10時半から、長野教会は14時半から、両教会主日礼拝として守られました。


長野県では雪模様。特に長野教会のほうは積もり始めていました。



次は24日(木)クリスマスイヴ礼拝です。
長野教会11時から、松本教会17時と19時から礼拝を行います。
どうぞご自由にお越しください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
サムエル記下7章1-11,16節〈旧p490〉
ローマの信徒への手紙16章25-27節〈新p298〉
ルカによる福音書1章26-38節〈新p100〉

*祈り*

私たちの父なる神様。
あなたは母マリアを通して、御子イエス・キリストをこの世に遣わしてくださいました。
あなたがその御業を為すために、マリアの信仰を通して働かれたことをおぼえ、感謝いたします。
あなたは多くのことを、信仰者を通して成し遂げられます。
そのすべてを私たちが知ることはできませんが、あなたは初めから変わることなく、愛と慈しみに満ちて働いてくださっています。
私たちが絶えず悔い改めを通してあなたの御心に沿った働きが出来ますように。
マリアがそうであったように、苦難の中にあってなおその先にある希望を信じて過ごすことが出来るようにしてください。
あなたから与えられている恵みによって力づけられ、喜びに満ちてあなたに仕えることが出来ますように。

この一年間、新型コロナウイルスが世界中で蔓延する中、私たちのうちにある罪が明らかになったように思います。
あらゆるところで愛と余裕が失われ、人と人とが争いあうことも起きました。
これまで会えていた人々と会えなくなってしまったり、寂しさと悲しみに暮れる日もありました。
しかし主よ、あなたはそれを通して、私たちに心と心で関わりあうことの大切さを気づかせてくださいました。
あらゆる人々が関係を避けようとする人々に、キリストであるあなたは自ら寄り添っていかれました。
わたしたちもまた、そのようなあなたの愛に立ち、関わりあうことが出来ますように。
あなたへの信仰を通して、すべてをあなたに委ねるとき、あなたは私たちに大きな喜びと平安を与えてくださいます。
目の前に蔓延るあらゆる不安と戸惑いを超えて、目に見えない大切なものに心を向けさせてください。
今日ここに集うことのできなかった人々にもそれぞれに、あなたがクリスマスの福音を響かせてください。
あなたに御名によって一つとされていることを絶えず思い起こし、あなたの子どもとされた私たち一人一人が、感謝と愛、赦しと慈しみをもって、互いに関わりあっていくことが出来ますように。

2020年12月18日金曜日

次回20日・待降節第4(クリスマス)主日礼拝の御案内

次週12月20日(日)は待降節第4(クリスマス)主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「不安と戸惑いを超えて」

と題して、
松本教会では10時半から、長野教会では14時半から礼拝を行います。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

──ルカ福音書1章26-38節

2020年12月16日水曜日

今週の黙想文(IIコリ5:17)

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、
新しく創造された者なのです。
──コリントの信徒への手紙 二 5章17節


† † †


クリスマスの出来事は、神ご自身が私たちと同じ人としてお生まれになった出来事です。
それは、私たちを神様が創世の初めに意図した姿へと新しく生まれさせるために、まず神ご自身が私たちと同じところまで降りてきてくださったという事なのです。

神が意図された私たちの新しい姿はキリストの姿に顕されています。
キリストの言葉を通して、私たちは人々への愛と和解に生きることが望まれているのです。
私たちがそう願うように、互いに傷つけあったり、仲違いをすることを神様も望まれてはいません。
しかしそのような現実は、私たちの努力では抵抗できないからこそ、いたるところに起こっています。
だからこそキリストは十字架の死への道を歩まれました。
私たちはその十字架を見上げるとき、悔い改め、新しく歩み始めることができるのです。

そして、そのような救いの初めに、クリスマスの日が備えられました。
クリスマスは、私たちが再び和解と愛に生きようとするための、新しい一日なのです。

(20201213週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年12月13日日曜日

待降節第3主日礼拝。 20201213

本日12月13日は待降節第3主日の礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。




いよいよクリスマスが近づき、天気も冬模様になってきました。
長野で新型コロナウイルスに感染する人も増えてきています。
どうぞ皆様の体調が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の動画となります。
(奏楽は松本教会からskypeで送られてきています。)

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書61章1-4節,8-11節〈旧p1162〉
テサロニケの信徒への手紙 一 5章16-24節〈新p379〉
ヨハネによる福音書1章6-8節,19-28節〈新p163〉

*祈り*

救い主なる父なる神様。 
あなたはヨハネとキリストを通して、私たちの本当の姿を明らかにされます。 
私たちは自分の力に頼り、時に自分の思いを優先することがあります。誰かを支配したり、従わせようとしたりする人もいます。そのような罪によって、私たちの関わりは傷つけられ、絶たれてしまうことがあります。 
そして、このコロナ禍においてはいっそう多く、私たちの人と人との関わりから、配慮や愛が失われつつあるように思います。孤独と寂しさ、苦しみを誰かと分かち合うこともできず、自ら命を絶ってしまう人々も大勢います。 
離れることが思いやりとされる今日の世界の中で、主よ、あなたはどんなときにも私たちと共にいてくださるために、この世に来られました。 
その福音が一人でも多くの人のいのちをつなぎ止め、癒し、慰めてください。 
そして私たちがそのような苦しみと悲しみの中にある人々のために、祈ることが出来ますように。 

一日一日、私たちの手に負えないほどの速度で、新型コロナウイルスの感染が拡大しています。 感染された方々への癒しをお与えください。現場で働く医療従事者の労苦をあなたが顧み、彼らを愛のわざに立たせてください。そしてこの苦しい状況の中で堪えられずにあなたの御許へと召された一人ひとりの魂を、どうかあなたがその御手で包み、慰めに満たしてください。 
わたしたちが絶えずあなたから与えられた赦しと愛に生き、悲しみの中にある人々のために祈り、そして手が届くのであれば、躊躇いなくその手を差し伸べることが出来ますように。 
あなたがいつも私たちと共におられて、力づけてください。 

2020年12月11日金曜日

松本教会クリスマス礼拝の御案内。

松本教会、12月のクリスマスイベントのお知らせです!




★こどもクリスマス★
12月19日(土)11時~12時
サンタさんって、いったいなにもの?
 キャンドルサービスのほかにも、
クラフトづくりやプレゼントもあります!
参加費:無料!
※12月17日(木)締め切り・要申込

★クリスマス礼拝★
12月20日(日)10時30分~12時

★クリスマスイヴ礼拝★
12月24日(火)
17時~18時/19時~20時
(ご都合のよい方にお越しください)

こどもクリスマスにご参加の方は、要予約です
問い合わせ、お申し込みは以下にお願いいたします。

==問い合わせ・申し込み==
日本福音ルーテル松本教会まで
(宮渕1-4-9 ℡0263-33-5242)


†会場の松本教会はこちらです†


長野教会クリスマス礼拝の御案内。

長野教会・12月のクリスマス礼拝のお知らせです。




★クリスマス礼拝★
12月20日 14時30分~15時30分

★クリスマスイヴ礼拝★
12月24日 11時~12時

どうぞどなたでもお越しください。
お待ちしています。

==お問い合わせ==
日本福音ルーテル長野教会
(上松4-29-7 ℡026-241-4006)

†会場の長野教会はこちら†
長野駅からアルピコ交通で「湯谷南」下車、徒歩2分です。


次回13日・待降節第3主日礼拝の御案内。

次週12月13日(日)は待降節第3主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたは声」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。

──ヨハネ福音書1章6-8,19-28節

2020年12月9日水曜日

今週の黙想文(使4:32)

信じた人々の群れは心も思いも一つにし、
一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、
すべてを共有していた。
──使徒言行録4章32節

† † †

初代教会の在り方が教えているのは、信仰者は自分の持ち物を全てを手放さなければならないということではありません。
直後の箇所でアナニアとサフィラが畑を売った財産をごまかし、一部のみ共同体に捧げて罰されたのは、全てを捧げなかったからではなく、あたかも心から捧げているように見せかけて嘘をついたからです。
ペトロは彼らに畑を売ることを強制したわけではありません。
それと同じように、この教会の姿が私たちに勧めているのは「心を込めて自分のものを誰かと分かち合うこと」です。
分かち合うためには私たちが相手が求めているものに耳を澄ませ、心を配る必要があります。
そこには他者への愛に満ちた深い関係性が前提となっているのです。
私たちの心と体に起こる全てのことを分かち合ってくださるために、神様は自ら肉をまとい、イエス・キリストとしてお生まれになりました。
そのクリスマスの出来事を胸に留め、喜びも苦難においても助け合い、支えあい、分かち合う私たち、教会でありたいと思います。

(20201206週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年12月7日月曜日

牧師エッセイ(12月)

先月末、信州農業公園「チロルの森」に行ってきました。
馬や羊などの動物たちと触れ合えるコーナーや、アーチェリーなど一風変わった体験もできました。
アーチェリー体験で10本の矢を渡されたのですが、なかなか思ったように当たりません。
的外れなところに矢が刺さるのを見て、「次はもう少し上を狙って」「もっと強く引き絞って」…と試行錯誤をしつつ、最終的に2、3本は的の外周に当てることが出来ました。
一回一回打ち方を修正しても、必ずしも思い通りには飛んでいかないのを見て、聖書の語る「罪と悔い改め」に似ているなと感じました。

「罪」という言葉はもともと「的外れ」という意味を持っています。
だからこそ私たちは絶えず自分の心とふるまいを振り返り、神様の心の中心に狙いを合わせていく「悔い改め」を繰り返していくのです。

キリストの誕生、クリスマスがやってきます。
神様はただ的として当たるの待っておられるだけではありません。キリストという最高のインストラクターを付けてくださいました。
キリストはその御言葉をもって、私たちの心の矢を神様の方向へと向け、その手を支えてくださるのです。

2020年12月6日日曜日

待降節第2主日礼拝。20201206

本日12月6日は待降節第2主日の礼拝でした。
松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として守られました。
松本教会ではツリーを立てました。


夜、外から見ると、礼拝堂の十字架と一緒にツリーのデコレーションが輝いて見えます。


このツリーの根元を組み立てるのに皆で試行錯誤していました(3年目3回目)。
来年こそはサッと組み立てられるようになりたいですね。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の主日礼拝の動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書40章1-11節〈旧p1123〉
ペトロの手紙 二 3章8-15a節〈新p439〉
マルコによる福音書1章1-8節〈新p61〉

*祈り*

永遠の支配者にして愛に満ちたもう父なる神様。
あなたは私たちに御言葉を語ってくださいました。そしてその御言葉を通して、あなたのご計画の一端を示されました。そしてその限られたものを通して、あなたは私たちに信仰と愛をお与えになります。
あなたから与えられた信仰を通して、あなたのみ心に少しでも近づくことが出来ますように。キリストを通して示してくださった愛の姿に倣い、たえず罪を悔い改めながら歩むことが出来ますように。

あなたは私たちの必要を満たし、十分なものをお与えになります。
それでも私たちの目に映る現実にはまるであなたがおられないと感じるようなさびしさと絶望を垣間見ることがあります。強大な罪の力によって、多くの人々が惑わされ、傷つけあい、あなたの御心に生きることが出来なくなっています。
そのような私たちに、あなたは絶えず御言葉を語ってくださっています。
時を超え、なお今のわたしたちを救う御言葉として響き続ける福音に私たちがたえず耳を澄まし、またそのような現実の中にあってあなたの愛に生きる者として立たせてください。
罪に屈することなく、いつでもあなたを良心の避けどころとして、キリストを証する者として立たせてください。

新型コロナウイルス第三波が拡大しつづける中にあっても、一人ひとりがあなたの慈しみと愛に満ちて、配慮をもって関わりあうことが出来ますように。
病の中にある感染者の方々には癒しを、医療従事者の方々には休息と平安をお与えください。
私たちは祈りつづけます。その祈りを通して、私たちを一つにしてください。いつでもあなたが私たちと共におられるという信仰を通して、今日ここに来ることのできなかった方々の上にも、慰めが与えられますように。

2020年12月4日金曜日

次回12月6日・待降節第2主日礼拝のご案内。

次週12月6日(日)は待降節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「福音の初め」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

神の子イエス・キリストの福音の初め。 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

──マルコ福音書1章1-8節

2020年12月2日水曜日

いのち学 2020年度最終回。

11月30日(月)は松本教会で19時から、いのち学 最終回が行われました。




今回のサブタイトルは「現代生命科学~疾病から学ぶこと~」でした。
最終回ということで、過去3回の内容を振り返りつつ、わたしたちの身体といのちについて考えました。

免疫の働きなどを見ていくと、私たちの免疫作用、体の構造そのものが奇跡的なつくりになっていることを思い知らされます。
神様が私たちを「神の似姿」として造られたという聖書の記述を、科学的な視点からも見出すことができるのは驚くべきことだと感じたひと時でした。

来年度はまだ未定ですが、もし機会がありましたらまた是非お越しください。

今週の黙想文(2ペトロ3:9b)

一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、
あなたがたのために忍耐しておられるのです。
──ペトロの手紙 Ⅱ 3章9節b

† † †

教会の暦は待降節に入りました。
クリスマスを待ち望むこの季節の日課では、クリスマスというよりも悔い改めが強調されているように思います。
なぜならキリストの誕生を待ち望む季節であると同時に、来るべき終末の時、再臨のキリストを待ち望む時を私たちは過ごしているからです。
キリストが天に昇られてから、終末はすぐにでも起こると考えられていました。
しかし現実には2000年以上の時が経っても来ていません。
キリストの弟子ペトロはこの終末の遅延を、神の愛と忍耐の表れとして説明しています。
それは、既に悔い改めた自分のための救いだけではなく、未だ神様の言葉を聞いたことのない人々の救いにも心を配るようにという呼びかけでもあるのだと思います。
「悔い改める」とは簡単に言えば「神様に心を向けて歩き出す」という意味の言葉です。
私たちの手を他の誰かにも差し伸べ、一緒に神様へと心を向けて歩み出していく、そのような待降節を過ごしてまいりましょう。

(20201129週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年11月29日日曜日

待降節第1主日礼拝。20201129

本日11月29日は待降節第1主日の礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。


教会の暦が新しくなり、クリスマスを待ち望む待降節が始まりました。
聖壇にはアドベントクランツ、1つ目のろうそくに火がともっています。
新型コロナウイルスの感染拡大が広がる不安の中にありますが、どうぞ皆様の心と身体の健康が守られますように祈っています。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書63章19b-64章8節〈旧p1166〉
コリントの信徒への手紙I 1章 3-9節〈新p299〉
マルコによる福音書13章24-37節〈新p89〉

*祈り*
赦しに満ちたもう主なる神様。
待降節に入り、クリスマスを待ち望む季節となりました。
主よ、あなたは約2000年前のクリスマスの日、この世に御子を御遣わしになりました。それは、国を超えて、時代を超えて、全ての人々の罪を十字架の上で赦してくださるためでした。さらには終末の時、あなたが天地創造の初めから用意してくださっている天の国へと私たちを招き入れてくださるためでした。
そのような果てしない愛と、大きな恵みによって与えられた救いを、私たちが心から受け取り、喜びと愛に満ち溢れることが出来ますように。

あなたはたくさんの御言葉を私たちに語ってくださいました。そして今なお天において生きておられる主よ、御言葉を通して私たちの魂を日々新しくしてください。
あなたの生涯のうちに語られた御言葉だけではなく、あなたによって立てられた信仰者の言葉を通して、私たちが互いに信仰を分かち合い、それを通してより一層救いの喜びに満たされますように。
あなたはいつも、私たちを新たな関わりへと導いてくださいます。
私たちが出会うあらゆる人々のうちにあなたの姿を見い出し、それゆえに愛をもって関わっていくことが出来ますように。

全国、また長野県においても新型コロナウイルスの感染が拡大しています。
持病のため、施設にお住いのため、長らく教会に集うことのできない方々がいます。
どうかそのような状況の中にいる人々一人ひとりに、あなたが共にいてください。
御言葉を聞く機会を与え、慰めと力とをお与えください。
あなたの御名によってひとつとされていることを共に信じ、再び交わりのときが与えられるようにと願います。
どうかこの苦難と忍耐の時を乗り越えるために、あなたを信じ、この教会に連なる一人ひとりを、守り導いてください。

2020年11月27日金曜日

いのち学2020 最終回の御案内

11月30日(月)19時より、松本教会にて
「いのち学~現代の生命科学~」最終回が行われます!



直前のお知らせになり申し訳ありません!
いのち学、第4回・最終回です。
今回のサブタイトルは「現代生命科学~疾病から学ぶこと~」です。
新型コロナウイルスが今なお猛威を振るう中、私たちはどのようにその現実を受け止めていけばよいのでしょうか。
わたしたちを取り囲むこの世界について、また生命科学としての「命」について、
そしてその枠を超えたわたしたちの「いのち」について──。
信州大学特任教授の谷口俊一郎先生を講師として、共に考える時を持ってみませんか?


前回までの3回の講義をもう一度復習しつつ、まとめの最終回となります。
今回からの参加でも大丈夫です!
参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。軽食(市販品を別途販売)もあります。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方、2週間以内に感染者多発地域に訪問があった方は、ご参加をご遠慮ください。
万が一の場合に備え、受付にてご連絡先をお聞きします。ご了承ください。

11月30日(月)の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

次回29日・待降節第1主日礼拝のご案内。

次週11月29日(日)は待降節第1主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「滅ぶことなく、滅ぼすことのない言葉」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」

──マルコによる福音書13章24-37節

2020年11月25日水曜日

今週の黙想文(黙22:17)

“霊”と花嫁とが言う。
「来てください。」
──ヨハネの黙示録22章17節

† † †

ヨハネの黙示録は、弟子ヨハネが示された終末の出来事を記したとされるものです。
神様が支配される新しい国が天から降りてきて、人々に「命の木の実」を食べさせると語られます。
創世記の初めにも語られている通り、神様は私たちを神と共に生きる者として造られました。
その世界を再び来たらせるために、これらのことを語り続けておられるのです。
しかし神様はこれらの救いを私たちに押し付けてはおられません。
「来てください」と呼びかける以上のことはされないのです。
そこに、神様が私たちとどのような関係でありたいのかという心が見えてくるのではないでしょうか。
神と共に生きるということは単なる主従、服従させる側とさせられる側ではありません。
キリストは「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。(ヨハネ15:15)」と言われました。
対等な関係として、配慮と尊重に満ちた愛の関わりあいのために、神様は私たちに呼びかけ続けておられます。
そして「これを聞く者も言うがよい、『来てください』と。(黙22:17)」と続けられているように、その言葉を聞いた私たちもまた他の人々に神様の愛に満ちた呼びかけをしてまいりたいのです。
天の国はそこにやってくるのです。

(20201122週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年11月22日日曜日

聖霊降臨後最終主日礼拝。20201122

本日11月22日は聖霊降臨後最終主日の礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。


松本教会も聖壇に長野教会の様子が映し出されます

礼拝後には来週から始まる待降節(アドベント)に向けて、ツリーやアドベントクランツの準備をしました。



**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エゼキエル書34章11-16&20-24節〈旧p1352〉
エフェソの信徒への手紙1章15-23節〈新p352〉
マタイによる福音書25章31-46節 〈新p50〉

*祈り*
いのちの与え主なる神様。
あなたは天地創造の始まりに、ありとあらゆるもののいのちを御造りになりました。
しかしそのなかで私たち人間だけが罪を犯し、あなたの御心の中に生きれなくなっています。それでも主よ、あなたが天地創造の始まりから私たちのために天の国を備えてくださっている幸いに感謝いたします。
私たちは互いに支えあうように、関わりあう存在として造られました。
しかし主よ、罪のゆえに私たちは互いの関係を壊してしまうことがあります。自分勝手な思いから他者との関わりを躊躇い、自分の力だけを過信してしまうことがあります。
どうかそのような私たちを悔い改めさせてください。わたしたちが常に他者との関わりの中に押し出されていることをおぼえ、その関係の中に、いつでもあなたを見ることが出来るようにしてください。

新型コロナウイルスの感染拡大が再び起こってきています。
以前のように顔と顔を合わせて関わりあうことがさらに難しくなっていく日々の中で、どうぞあなたが私たちの関わりを取り持ち、保ってください。
あなたが御言葉とその心をもって私たちに関わってくださったことを私たちが思い起こし、その喜びのゆえに、私たちも心と言葉を用いて、関わりを大切にすることができますように。
主よ、あなたはいつでも私たちと共におられ、私たちの祈りを聞き届けてくださいます。
どうか一日でも早くこの苦難と忍耐の時が過ぎ去りますように。
私たち一人ひとりの心と体の健康を守ってくださいますように。
特に今日ここに集うことのできなかった方々、長く教会に来ることのできない方々にこそあなたが寄り添い、またわたしたちを用いて、ひとりひとりをこの教会へと繋げてくださいますように。

2020年11月20日金曜日

次回22日・聖霊降臨後最終主日礼拝の御案内。

次回11月22日(日)は聖霊降臨後最終主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「情けは人の為ならず」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

──マタイ福音書25章31-46節

2020年11月18日水曜日

今週の黙想文(ローマ13:10)

愛は隣人に悪を行いません。
──ローマの信徒への手紙13章10節

† † † 

聖書の教えは私たちに悪を避けるようにと教えていますが、私たちはそれを「○○してはならない」「○○すべきだ」という言葉で守ろうとすると、途端に窮屈な気持ちになって、うまく守れなくなるのではないでしょうか。
キリストが生きた時代、ファリサイ派の人々も「してはならない」「すべき」という思いに囚われるあまり、結果として隣人への愛を忘れてしまいました。
宗教改革者ルターも「私たちは(神の前において)悪い木だから、悪い実しかつけない」と言ったように、私たちが神様の目に悪とされることに目を向け、それを避けようとすればするほど、より一層深い罪に陥ってしまうことがあるのです。
そこでキリストやパウロは、愛に焦点を合わせました。
罪を避けようとするのではなく、罪を持つ存在として互いを愛と赦しをもって受け止め、互いに何度も悔い改めながら愛を見据えて歩む道こそが、罪を抱えながら悪を避ける道となっていくのです。
愛の視点、「○○しよう」と思う心で、み言葉を受け取ってみませんか。

(20201115週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年11月15日日曜日

聖霊降臨後第24主日礼拝 ・教会ミニバザー 20201114・15

本日11月15日は聖霊降臨後第24主日の礼拝でした。
松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として守られました。

昨日14日は松本教会で教会ミニバザーが行われました。

今年は干し柿用の渋柿が
教会の庭に大量になりました。恵み!
お買い上げありがとうございました。

教会前の駐車場・露店形式でバザーを行いました

松本教会では昨日のバザーに続き、快晴であたたかい日になりました。
バザーを準備してくださった教会員の皆様、お越しの皆様に感謝いたします。
また、バザーでいちじくジャムを購入された方へお知らせがございます。
教会か牧師までご連絡ください。

ZOOMは資料も画面共有できるのはうれしいですね

礼拝後は東教区での教会全体の会議、全役員協議会に参加しました。
会議ツールZOOMを使った会議が教会にも普及し始め、このような開催は東京までが遠い甲信地区としては感染対策とあわせて大変ありがたい限りです。

教会の暦も来週で終わりです。
11月末からは教会の暦では新しい年度と季節、待降節となります。
愛と平和の主としてお生まれになるキリストをおぼえ、待ち望む季節へと踏み出してまいりましょう。

**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
ゼファニア書1章 7&12-18節〈旧p1470〉
テサロニケの信徒への手紙I 5章1-11節〈新p378〉


マタイによる福音書25章14-30節〈新p49〉



*本日の主日説教「あなたに預けられたいのち」(礼拝中録音)*



*祈り*

いのちの与え主なる父なる神様。
私たちに与えられた賜物のひとつひとつを思い起こし、あなたに感謝いたします。
私たちが今日まであなたに守られて歩みを続けられたこと、必要なときに必要な人々と出会いを与え、関わりの中で教え、働きを与えてくださったことをおぼえて感謝いたします。
わたしたちの歩みのすべてをあなたはご覧になり、今日まで導いてくださいました。わたしたちのいのちは私たち自身に委ねられています。
その日々の中に起こるあらゆることを通して、あなたの愛と憐み、恵みと大きな赦しを聞き取ることが出来ますように。そのようなあなたの招きを通して、私たちの関係のうちに、天の国をもたらしてください。

新型コロナウイルスに感染する人々が再び長野においても増えてきました。
正しい恐れと対策をもって、この病が人と人との間を引き裂くものではなく、配慮しあい、助けあう機会を与えるものとしてください。あなたから与えられた一人ひとりのいのちがどうかあなたの御心のうちに守られますように。
あらゆる病の中にあって苦しんでいる人々には癒しをお与えください。また治療にあたる医療従事者の方々を守り、その疲れをいやしてください。
関わりを絶たれ、寂しさを感じる人々と共にあなたがおられ、あなたの御名と信仰によって私たちが一つであることを思い起こさせてください。
どうか主よ、わたしたちに日々祈ることを教えてください。絶えず私たちがあなたの御心を訪ね求め、私たちに委ねられている賜物をもって、慰めと力、喜びと愛をもって、互いに心を通わせ合う、そのような関係性を保ってくださいますように。



2020年11月13日金曜日

次回15日・聖霊降臨後第24主日礼拝のご案内。

次週11月15日(日)は聖霊降臨後第24主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたに預けられたいのち」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
──マタイ福音書25章14-30節

2020年11月11日水曜日

今週の黙想文(箴言8:35a)

わたしを見いだす者は命を見いだす
──箴言8章35節a

† † †

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。(ヨハネ1:1-2)」このようなヨハネ福音書の冒頭は、旧約聖書の創世物語の再録として読まれることがあります。
つまり「言」であるキリストは、この世にお生まれになる前、創世の一番初めから天におられた、という捉え方です。これを「先在のキリストと言います。
さて、箴言は父「わたし」から子に語られる教訓集の形を取って語られていますが、「わたし」の他に「主」と呼ばれる存在が登場します。
しかし、「わたし」は主なる神でないにも関わらず「わたしに聞き従え(32節)」と呼びかけます。そして「わたし」を見出す者はいのちを見出し、見失う者は魂を損なうとすら言われるのです。
わたしとはいったい誰か、という問いに明確な答えはありませんが、これを先在のキリストとして読むこともできるかもしれません。
箴言には日々の中における一般的にも思える戒めが多く語られていますが、それはすべて「主を恐れること」という信仰へと結び付けられています。
私たちが日々のあらゆることの中にキリストを見出し、キリストの言葉に従い、キリストが導き与えてくださるいのちを、旧約聖書からも見出してまいりましょう。

(20201108週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年11月8日日曜日

聖霊降臨後第23主日礼拝。20201108

本日11月8日は聖霊降臨後第23主日の礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。


長野教会の桜の木も秋の彩りを見せていました。
いよいよ冬がやってきます。灯油の備えと共に、天の国の備えにも心を注いでまいりたいと思います。

**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
アモス書5章18-24節〈旧p1435〉
テサロニケの信徒への手紙I 4章13-18節〈新p377〉


マタイによる福音書25章1-13節〈新p49〉



*本日の主日説教「油、それで足りますか」(礼拝中録音)*



*祈り*

私たちの救い、光の源である主よ。 
日々のあらゆることの中にあなたの働きを見出すことは、私たちにとって難しいことです。
私たちの目にはまるであなたの思いとはかけ離れたような現実があらわれることもあります。
しかし主よ、そのすべてがどうかあなたのみ心のうちにあり、それを通して私たち一人ひとりを導いてくださっているということを信じさせてください。
私たちが経験するあらゆる試練においても、どうかあなたが私たちにとって必要なものとして備えてくださっている信仰の試練として、受け取ることが出来ますように。
私たちの抱えるあらゆる不安、死の恐怖に対しても、あなたが十字架の死と復活を通して、もはや嘆き悲しむことのないものとしてくださっている、その福音を受け取らせてください。
天の国がいつ来るかは誰にも分りませんが、どうか主よ、あなたが私たちを救ってくださるというその幸いを心に留めつつ、その思いに私たちも応えることが出来ますように。
悔い改めをもって御言葉を聞き、わたしたちを御心に適ったよきわざのために用いてくださいますように。

長野県でも再び新型コロナウイルスが流行し始めているように思います。
感染によって苦しんでいる人々や、窮地に立たされている人々に、どうか主よ、癒しと助けを与えてください。
私たちひとりひとりに、赦しと愛をもって関わることが出来る、そのような心をお与えください。
天に召された方がたもいらっしゃいます。
どうか主よ、慰めをもってその魂を救い上げ、遺された遺族の方々の心を守ってください。どうか心無い言葉によって傷つけあうことがありませんように。

2020年11月6日金曜日

14日・松本教会ミニバザー開催のお知らせ

11月14日(土)のみ!13時から15時半まで、教会ミニバザーが開催されます。



感染対策のため、販売はすべて教会前の庭にて行います。
小雨決行! 雨天であれば中止です。
おいしいお野菜や教会お手製のジャム、その他物品販売があります。
教会内では販売はありませんが、一息つけるスペースとして開放もされていますよ。
短い時間ではありますが、どうぞお気軽にお越しください。



次回8日・聖霊降臨後第23主日礼拝のご案内。

次週11月8日(日)は聖霊降臨後第23主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「油、それで足りますか」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

──マタイ福音書25章1-13節

2020年11月4日水曜日

今週の黙想文(フィリピ1:21)

わたしにとって、
生きるとはキリストであり、
死ぬことは利益なのです。
──フィリピの信徒への手紙 1章21節

†††

パウロは牢獄に監禁されながらフィリピの教会に向けてこのように言います。
一刻も早く天に召されてキリストのもとへと行きたいと願う反面、この世ではフィリピの人々とキリストに結ばれているという喜びを分かち合うことができると続けています。
私たちが日々の中で神様の働きを見出したときに受ける喜びと救いがありますが、それは天の国において受ける救いの喜びと同様のものです。
パウロはここで、天に召されて永遠の命を受けることの救いと喜びは、キリストによって結ばれている喜びを隣人と分かち合うことの中にも見出すことができると語っているのです。
永遠の命とは、神様の喜びと愛に満たされた関わりのなかに永遠に生かされていくことなのです。

(20201101週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年11月2日月曜日

牧師エッセイ(11月)

北海道の天売島(てうりとう)は世界有数の海鳥(ウミネコなど)の生息地で、「海鳥の聖地」と呼ばれています。
しかしノラ猫の増加によって、貴重な海鳥が捕食され激減するという問題が起こった、という記事を読みました。
そこで島をあげて取り組まれたのが「『人と海鳥と猫が共生する天売島』連絡会」です。
島の全てのノラ猫を対象に去勢・避妊手術を徹底し、飼い猫の完全室内飼い指導や、130頭のノラ猫の保護と105匹の譲渡(里親探し)が行われました。
近年ではノラ猫はほぼゼロになったそうです。

驚くべきことにこの働きをリードし続けたのは「北海道海鳥センター」の人々でした。
彼らにとって猫は海鳥を捕食する害獣です。単に殺処分を依頼することもできたはずでした。
「敵」ともいえる猫一匹一匹のいのちに寄り添い、共生するための働きの中には、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44)」とキリストが語った愛を見えてくるような気がします。

神様は私たちがどのような存在であっても赦し、そのいのちを尊いものとしてくださっています。
私たちもその神様への信仰のゆえに、他のいのちに寄り添う愛をもって誰かと関わってまいりたいと思います。

2020年11月1日日曜日

全聖徒主日礼拝 20201101

本日11月1日は全聖徒主日の礼拝でした。
長野教会・松本教会共に主日礼拝として守られました。
教会につながり天に召された方々をおぼえて祈りを合わせました。


15時から、1年前に召天された方の納骨式を行いました。
美しく色づいた紅葉の景色に慰められつつ、召天者のご家族の方々と共に祈りの時を持てました。
天の御許において、平安がありますように。

**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
ヨハネの黙示録7章9-17節〈新p460〉
ヨハネの手紙I 3章1-3節〈新p443〉



マタイによる福音書5章1-12節〈新p6〉



*本日の主日説教「天国行きの手紙を書こう」(礼拝中録音)*




2020年10月30日金曜日

次回11月1日・全聖徒主日礼拝のご案内。

次週11月1日(日)は全聖徒主日の礼拝です。

長野教会は勝部哲牧師の説教
「八つの幸い」

松本教会は野口和音牧師の説教
「天国行きの手紙を書こう」

と題して、10時半より
両教会主日礼拝として守られます。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

──マタイによる福音書5章1-12節

2020年10月28日水曜日

今週の黙想文(ローマ1:17)

「正しい者は信仰によって生きる」
──ローマの信徒への手紙1章17節

† † †

聖書に親しむほど、私たちは御言葉に正しく生きることの難しさを知るのだと思います。
それゆえ神様の前で逃れようもなく「罪人」であるという事実を自覚することになるのです。
その苦しみを、宗教改革者のルターでさえ抱えていました。
しかしルターは今日の箇所に救いを見出したのです。

罪人である私たちを救うためにキリストは十字架にかかられました。
それは、私たちが神に正しくない者であっても、キリストの十字架によって罪の赦しが与えられているという福音です。
そのことをただ信じることによって、どんなに罪深い人であっても「生きる」と神様は語られるのです。
ただ生きるのではありません。
神の前に正しい者とされ、キリストが「私を信じる者は死んでも生きる(ヨハネ11:25)」と言ってくださったように永遠のいのちに「生きる」ことになるのです。
神様はあなたを「生かす」ために罪人であることを明らかにされますが、その痛みは天の国への招きなのです。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。(マタイ5:3)」。
「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」と言ったルターの言葉の通りに、御言葉に込められた恵みを、信仰を通して受け取ってまいりましょう。

(20201025週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年10月26日月曜日

ルターナイツinまつもと 2020年10月

長野教会から松本教会に戻って、18時半からルターナイツinまつもとでした。



本日のゲストは「kentabugs(ケンタバグズ)」さんたちでした!
3人バンドの2人が元そば打ち屋さんだそうです。
披露していただいたオリジナル曲はどれもクオリティ高く、心地よい諧調に流れるようなボーカルが乗せられた素敵な曲ばかりでした。



今回の牧師の讃美歌ウラ話は、つい先日話題になった連続テレビ小説「エール」90話の「うるわしの白百合」でした。
薬師丸ひろ子さんの提案により急遽讃美歌を歌うこととなったというあのシーン。
薬師丸ひろ子さんはいったいいつ、どこで讃美歌に親しんだ時があったのだろうか?
なぜ「うるわしの白百合」が選ばれ、心を打つものとなったのか?を考えてみました。


いよいよ11月、だんだんと冷え込んでまいりました。
体調には気をつけてお過ごしください。
11月14日(水)13時~15時に教会ではミニバザーを予定しています。
短い時間ではありますが、日用品などありますのでよければお越しください。

2020年10月25日日曜日

宗教改革主日礼拝 20201025

本日10月25日は宗教改革主日の礼拝でした。
長野教会では主日礼拝として、松本教会では通信礼拝として守られました。



宗教改革者ルターの礼拝改革を思い起こしつつ、み言葉を分かち合いました。
礼拝後は長野教会での月1回の新式文の学び。
今日の学びは「招きと懺悔」についてと、聖餐の部の「アグヌス・デイ」と「ヌンク・ディミティス」の典礼歌の練習です。
ヌンク・ディミティスはかなりメロディアスな旋律なので、これから練習を重ねていきたいという所感でした。

**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
エレミヤ書31章31-34節〈旧p1237〉
ローマの信徒への手紙3章19-28節〈新p277〉



マタイによる福音書11章12–19節〈新p20〉



*本日の主日説教「救いはゴールではなくスタート」(礼拝中録音)*



*祈り*

恵みと赦しの主なる神様。
主よ、あなたは私たちの罪を心に留めることはないと言ってくださいました。
しかしなおも私たちは罪に囚われています。
せっかくあなたの導きによって出会った誰かを傷つけ、その関係性を壊してしまうことがあります。あるいは相手を赦すことが出来ないがために、自らその罪を犯してしまいそうになることもあります。
どうか主よ、あなたが私たち一人ひとりを違う存在としてお造りになったこと、それぞれに個性と賜物をお与えになり、誰もがあなたにとって尊ばれるべき存在とされていることを、受け止めさせてください。
そのように私たちが誰かに対して思う時には、そのような罪深い私たち自身が神様から赦され、愛されているということに立ち返ることが出来ますように。
いつでも私たちが悔い改めをもって自分自身を振り返り、あなたの愛と御心から離れることのないように、気づきをお与えください。
私たちを通して天の国を広げようとしておられる、その尊い働きを担うために、私たち自身が誰かとの関係性を愛に満たすことが出来るように、あなたが私たち一人ひとりを整えてください。
信仰を通してあなたの救いを受け取っていく、その恵みを私たちのスタートラインとして、救いと愛のわざへと送り出してください。

あなたこそ私たちの救い主であります。
いつでもあなたが私たちを通して働いてくださるために、私たち自身の悔い改めから、この一週間、一日一日を始めることが出来ますように。

2020年10月23日金曜日

次回25日・宗教改革主日礼拝のご案内。

次週10月25日(日)は宗教改革主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「救いはゴールではなくスタート」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。耳のある者は聞きなさい。今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」

──マタイ福音書11章12–19節

2020年10月21日水曜日

今週の黙想文(詩90:12)

生涯の日を正しく数えるように教えてください。
──詩編90篇12節

† † †

わたしたちのいのちが本来神様のものであるということを、誰もが忘れています。
私たちのいのちが危機に脅かされるとき、あるいは終わりが近づいて初めてはっきりと知る、ということがほとんどかもしれません。
私たちが自分の力で思い通りにできないものは全て、神様から与えられ、神様に返さなければならないものなのです。
私たちの周りに、神様から与えられたものはいったいどれくらいあるのでしょうか。
その数は、私たちが神様から与えられたことを気付けた恵みの数に等しいのです。
そして誰もが見つけることが出来る恵みの最たるものが、私たち自身のいのちと、今日という一日なのではないでしょうか。
私たちに与えられているあらゆる恵みを数えること、それは、私たちに与えられた今日という日を神様のために生きようとすることから始まります。
すべてを神様からの恵みとして受け取る時、私たちは謙虚さと赦しとに満ちて、それを他者と分かち合うことへと踏み出すことが出来るのです。
終わりの日に、主の愛に正しく生きることのできた日として数えられるよう、祈りをもって今日を始めましょう。

(20201018週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年10月18日日曜日

聖霊降臨後第20主日礼拝。20201018

本日10月18日は聖霊降臨後第20主日の礼拝でした。
長野教会では信徒礼拝として、松本教会では主日礼拝として守られました。
今日は朝から随分冷え込み、ついに礼拝堂の暖房を付けました。
これから冬、密にならないように気を付けつつ礼拝を続けてまいりたいと思います。

松本教会でも礼拝後すぐあとに、ルーテル教会の新式文の学びを始めました。
とりあえずは聖餐の部から、親しんでいきたいと思います。
クリスマスには聖餐が出来ればいいなと願いつつ。

**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
イザヤ書45章1-7節〈旧p1135〉
テサロニケの信徒への手紙 I 1章1-10節〈新p374〉



マタイによる福音書22章15-22節〈新p43〉



*本日の主日説教「それっていったい誰のもの?」(礼拝中録音)*



*祈り*

赦しと愛に満ちたもう主なる神様。
あなたはキリストの十字架を通して私たちの罪を赦してくださいました。
それは、たとえ私たちがあなたの御心に背き、あなたから離れて生きるその時においてなお、私たちを見捨てることなく愛してくださっているということです。
私たちが罪の中においてなお、あなたの恵みに満たされていることに気付かせてください。

主よ、あなたは私たちに命を与え、今日まで守り導いてくださいました。私たちはここでその恵みを数えます。
そして今日、ここにあなたの御名によって集められた人々と共に、その喜びを分かち合わせてください。私たちが誰かとの関わりの中に生かされていることを通して、より一層私たちの愛と信仰とを育んでくださっていることをおぼえ、感謝いたします。
あなたの恵みと救いとを分かち合う者として私たちを立て、送り出してください。
この時代の中で孤立し、寂しさの中にいる人々、怒りと憎しみでしか関わりを持つことのできない人々をあなたが省み、平安へと満たしてください。
少数ではあるものの、長野県においても新型コロナウイルスの感染者は未だおさまっておりません。天に召された方もおられます。
どうか主よ、あなたが癒しと慰めをもって、その一人ひとりに御手を差し伸べてください。残された方々が心無い言葉をかけられることがありませんように。

主よ、私たちはあなたから与えられる愛をしばしば忘れ、あなたが備えてくださった道を、あたかも自分の力で歩んでいるように思う時があります。
どうかそのようなときにこそあなたの御言葉を思い起こし、悔い改めを通して、あなたが共にいてくださることを思い起こさせてください。
私たちは決して一人ではなく、すべてがあなたの導きの中にあることを信じさせてください。

2020年10月16日金曜日

次回18日・聖霊降臨後第20主日礼拝のご案内。

次週10月18日(日)は聖霊降臨後第20主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「それっていったい誰のもの?」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

──マタイ福音書22章15-22節

2020年10月14日水曜日

今週の黙想文(ルカ15:6)

『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』
──ルカ福音書15章6節

† † †

キリストのもとに徴税人や罪びとたちがやってきたことに、ファリサイ派の人々は不平を言い出しました。
するとキリストは失われた羊についてのたとえを通して、心を分かち合うことの難しさを語られました。
近年では特に一人ひとりの孤立が問題とされています。
私たちは他者との関わりから離れれば離れるほど利己的になり、自分の思いを優先するようになるからです。
ですから、他の人の心を想像することや、慮ることを忘れてしまわないようにとキリストはたとえを語られたのです。
直前で「聞く耳のある者は聞きなさい。(14:35)」と言われているように、キリストの言葉に耳を傾ける信仰のゆえに、私たちは互いに心を分かち合う関係に生きてまいりたいと思います。

(20201011週報記載)


……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年10月13日火曜日

ルターナイツinまつもとの御案内(10月25日)

10月25日(日)の18時30分から、
松本教会にてルターナイツ in まつもとが行われます!


今回のプログラムのゲストは、
中村健太さん、赤沼千史さん、安部亘さんによるバンド「kentabugs」!
「moondance」や「虹と傘」などの曲を披露していただきます。

今回も野口和音牧師のヴァイオリンと、”讃美歌のウラ話”もあるカモ?

参加費は軽食込みで500円、事前申し込みは不要です。
新型コロナウイルス感染予防のため、従来のような食事の時は持ちません。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方は、ご参加をご遠慮ください。
万一の場合のため、受付にて連絡先をお聞きします。ご了承ください。

皆様どうぞご参加ください。お待ちしています。

†会場の松本教会はこちらです†

2020年10月12日月曜日

いのち学の御案内(次回10月26日)

10月26日(月)19時より、松本教会にて
「いのち学~現代の生命科学~」が行われます!



いのち学、第3回となります!
9月に予定しておりましたが、10月に延期となりました!
今回のサブタイトルは「感染やがんにおける免疫制御」について。
新型コロナウイルスが今なお猛威を振るう中、私たちはどのようにその現実を受け止めていけばよいのでしょうか。
わたしたちを取り囲むこの世界について、また生命科学としての「命」について、
そしてその枠を超えたわたしたちの「いのち」について──。
信州大学特任教授の谷口俊一郎先生を講師として、共に考える時を持ってみませんか?

今回からの参加でも大丈夫です!
参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。軽食(市販品を別途販売)もあります。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方、2週間以内に感染者多発地域に訪問があった方は、ご参加をご遠慮ください。
万が一の場合に備え、受付にてご連絡先をお聞きします。ご了承ください。

10月26日(月)の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

2020年10月11日日曜日

聖霊降臨後第19主日礼拝。20201011

本日10月11日は聖霊降臨後第19主日の礼拝でした。
長野教会では主日礼拝として、松本教会では通信礼拝として守られました。


冷え冷えとした朝でしたが、日が昇るとすっかり暖かい日になりました。
そのおかげか今週も通信環境も良く、讃美歌のオルガン伴奏と共に、声を合わせて共に賛美をすることが出来ました。





長野教会に、新しい緑色の典礼布が届きました。
大変鮮やかで、光の角度によっては刺繍が違う色を見せる布で作っていただきました。


典礼布の緑は成長と希望の象徴です。長野教会の今後と信徒一人ひとりの信仰が、ますます伸びゆくものであるようにと祈りをあわせました。



**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
イザヤ書25章1-9節〈旧p1097〉
フィリピの信徒への手紙4章1-9節〈新p365〉



マタイによる福音書22章1-14節〈新p42〉



*本日の主日説教「喜んでキリストを着る」(礼拝中録音)*



*祈り*

私たちの導き主なる神様。
あなたは私たちの罪をご覧になられました。私たちの罪がどれほど深く、あなたの御心から遠く離れてしまうものであることを、あなたはご存知です。
しかしだからこそあなたがキリストの十字架を通して示してくださった愛の大きさを、私たちはみ言葉を通して聞きます。
あなたが私たちに悔い改めの扉をいつでも開いてくださっていることに、応えることが出来ますように。

私たちの現実において、あなたの言葉に従って生きることは誰しも難しく感じます。
しかしその中にあって全ての人々にあなたの救いが開かれているように、まず私たち自身から、天の国への道を歩ませてください。
キリストの姿を通して弟子たちやパウロが救いの福音を受け取って言ったように、悔い改めて歩む私たちの姿を通して、あなたが誰かの救いへの道を切り開いてください。
そしてなによりも、絶えず私たちが悔い改めをもって、あなたの御言葉を受け取ることが出来ますように。

昨日、甲信地区5教会での話し合いが持たれました。
コロナ禍において私たちが出来ることはあまりにも少ないように思えますが、このようなときだからこそ、あなたの御言葉に耳を澄まし、互いに励ましあい、このような中においてなお与えられているあなたの恵みにこそ目を止め、喜びをもって分かち合うことが出来ますように。どうぞわたしたちを力づけてください。

2020年10月9日金曜日

次回11日・聖霊降臨後第19主日礼拝のご案内。

次週10月11日(日)は聖霊降臨後第19主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「喜んでキリストを着る」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

イエスは、また、たとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

──マタイ福音書22章1-14節

2020年10月7日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ16:16)

しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、
またしばらくすると、わたしを見るようになる。
──ヨハネ福音書16章16節

† † †

キリストは十字架を前にして弟子たちに多くの言葉を残されました。
その全てはキリストの受難についてでしたが、キリストは決して、そのようなご自分を憐れんでほしくて語られたのではありません。
キリストが常に案じていたのは、十字架によって弟子たちがどれだけの悲しみを背負うかということでした。
だからこそキリストは弟子たちが最も深い悲しみと怖れの中にあるとき、そのただ中に現れてくださったのです。キリストはいつも私たちの悩み苦しみを知っておられます。
そして、キリストほどその苦しみを真底分かち合ってくださる方はいません。
キリストはご自分の血をもって、あなたの痛みの中へと踏み込んでくださる方だからです。
キリストの姿を見出すことのできない時にこそ、悲しみの底に沈み込むときにこそ、キリストの十字架は栄光に満ちて、そのみ言葉は復活するのです。
「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。(同20:20)」 


(20201004週報記載) 

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年10月5日月曜日

今月の牧師エッセイ(牧師のヒトコト)(2020年10月)

1年に一度の休暇をいただきました。
毎週繰り返している仕事が急に休みになると、恥ずかしながら何をしていいかわからなくなります。
ぼんやりと聖書を開いて福音書を読んでいましたら、宣教の働きへと派遣した弟子たちが帰ってきたときに言われた言葉に目が留まりました。

「イエスは、『さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい』と言われた。(マルコ6:31)」

キリストもまた弟子たちから離れ、独りで祈られる場面を福音書はしばしば伝えています。
神のみ心に等しいキリストですら、その働きの合間に祈りを通した神と二人きりの時間を持ち、いっそう深い交わりを必要とされたということなのかもしれません。
そして、キリストの働きを受け継ぎ担う弟子たち・私たちにとっては尚更必要なのことであるのでしょう。
ですから、キリストは弟子たちにもこのように言われたのだと思います。
振り返り、悔い改め、再びその働きを担うための力を神様からいただいていくための「休み」──それもまた、祈りであるのだと。

宗教改革者のルターも、私たちのあらゆる行い、生きることそのものを祈りと捉えました。
私たちも日々祈りのともしびを絶やさず、過ごしてまいりたいものです。