2023年12月31日日曜日

降誕節第1主日礼拝。

本日12月31日は降誕節第1主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として
両教会10時半より礼拝が守られました。

今年最後の礼拝が、今年最後の日・大晦日になる年も珍しいですね。
一年の振り返りを喜びと恵みで満たしてくださる神様に感謝しつつ、新しい年の歩みも神様に委ねていくことができますように。

*最新の説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストよりご視聴いただけます。*

***


*今週の祈り*

すべての終わりを整えてくださる神様。
あなたは今年一年、私たちの歩みを整え、導き、守ってくださいました。
私たちが聖書のみ言葉からあなたのメッセージを聞き取る時、そこには必ずあなたの愛と憐みがあり、私たちの心を整えてくださいます。
主よ、あなたへの信仰のうちに私たちの歩みが今年一年支えられたことに感謝いたします。
私たちが安らいでいるときにも迷い苦しみの中にある時にも、あなたは変わらず私たちとともにあって、支えてくださいました。

今年一年も、世界中で、また私たち一人一人においても、様々なことが起こりました。
喜ばしいことも悲しいこともありました。
そのすべてを、あなたからの恵みと慰めの時として振り返ります。
変わりゆくわたしたちにあなたはいつも寄り添ってくださり、今日の私たちにふさわしい導きとみ言葉とを語ってくださるお方です。

私たち一人一人の救いのために、幼子イエス・キリストをこの世に送ってくださり、そのみ言葉をもって私たちの光となられた主よ。
どうかあなたが、私たち一人一人の歩む道を照らし、迷うことがないようにしてください。
世界中で、心が暗闇の中に沈み、誰にも助けを求めることができず悩んでいる人、自暴自棄になり、あるいは自分勝手になって、他の誰かの平和を奪ってしまう人がいます。
そのような人々の心に、導きの光を灯してください。

疲れ果てた心をねぎらい、傷つき苦しんでいる者には癒しを与えてください。
迷う者には共に歩んでくれる友を与え、重荷を抱えている人にはそれを分かち合うことのできる人を与えてください。
あなたはわたしたちのあらゆる関わりを導き、私たちに寄り添い支えて下さるお方です。
そのことを信じながら、新しい年の歩みのすべてをあなたにゆだねていくことができますように。






2023年12月28日木曜日

次回31日・降誕節第1主日礼拝のご案内。

次週2023年12月31日(日)は降誕節第1主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「今年一年、お疲れ様」

と題して、
10時半より、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

──ルカ福音書2章22-40節

2023年12月27日水曜日

今週の黙想文(マタイ1:16)

ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。
このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
──マタイによる福音書1章16節


† † †

マタイ福音書がその冒頭に「系図」を置いているのは、マタイが旧約聖書を読むユダヤ人たちを読者として考えていたからでした。
旧約聖書にはメシア(救い主)はダビデの子孫から出る、と預言されていましたから、イエス・キリストはダビデの系図に連なっているという正当性から語ろうとしたのです。
しかし、よく見ると系図として成り立っていないのが面白いところです。
系図はヤコブ、ヨセフときて、次は「このヨセフからメシアと呼ばれるイエスが…」となるのが自然なはずですが、実際には夫ヨセフと婚約関係にあったマリアに、神様の聖霊がマリアに宿り、イエスが生まれることになりました。
人間の系図に神様が入り込んでくるという驚くべき出来事こそクリスマスなのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とヨハネは語ります。
クリスマスの出来事は、いつだって些細なことですれ違い、憎みあい、傷つけあってしまう人々を、その悲しみに決して留めてはおかれないという御心から、起こされたものだったのです。
いたるところで平和が失われている今日この時に、キリストがお生まれになったことの意味を、心にとめてまいりたいと思います。
(20231224週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年12月24日日曜日

主の降誕(クリスマス)主日礼拝。

本日12月24日は主の降誕(クリスマス)主日の礼拝でした。

松本教会は10時半より主日礼拝として、
長野教会は15時より聖餐礼拝として
両教会の礼拝が守られました。


数日前の予報では雪が積もるだろうか…という感じでしたが、当日は大変良い天気で両教会の礼拝が守られ、良かったです。

松本教会ではコロナ禍以降数年ぶりに持ち寄り料理による祝会も開くことができました。
また、長野教会にも久しぶりの方が多く来られ、聖餐の恵みとともに守られたこと、感謝します。
キリストの光は暗闇の中にこそ輝いている、そのことをおぼえつつ、私たちも自分自身を振り返りたいと思います。
平和が失われているこの世界の中で、一人一人が平和の礎として歩んでいくことができるようにと、祈りましょう。

*最新の説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストよりご視聴できます。*

***


*今週の祈り*

平和の主なる神様。
あなたがイエス・キリストをこの世に遣わされた時、世はあなたを受け入れなかったと聖書は語ります。
それは、何千年経とうとも変わることのない、私たちの罪の現実です。
私たちの心にはいつもどこかに、自分さえ良ければよいという心が潜んでいます。
私たちが余裕をなくすとき、自分勝手になり、他の誰かをないがしろにしたり、尊ぶことができなくなってしまう心が、誰の心にもあります。
神様、あなたはそれを、私たちの罪と呼ばれました。
そして、その罪に私たちが向き合い、悔い改めていくことができるように、先んじてキリストの十字架によって、その罪を赦してくださいました。
神様、この世において失われた平和が取り戻されるために、この世に生きる一人ひとりの心に平和の灯を燃やしてください。
罪に支配され、平和を失わせている人のために、祈りを合わせることができるようにしてください。

神様、あなたがイエス・キリストとしてこの世にお生まれになったのは、私たちのうちにまことの平和をもたらしてくださるためでした。
それは、誰一人ないがしろにされることなく、すべての人があなたの御心と愛によって関わり合い、生きることができる平和な世界です。それをあなたは天の国と呼ばれます。
どうか天の国を、この世に来たらせてください。
いつの時代においても、キリストの言葉に耳を傾け、私たちの罪をあなたに赦され、平和を分かち合う者として、私たちを立たせてくださいますように。
世界中で起こり続ける戦争、私たちの身近に起こる悲惨な事件が、一つでも少なくなり、あなたから与えられた命の尊厳を踏みにじられる人が、一人でも少なくなりますように。

あなたがクリスマスのあの日、この世に来てくださったことを思い起こし、感謝いたします。
あなたはいつもみ言葉をもって私たちの歩みを振り返らせ、歩む先を示し、導いてくださるお方です。
どうか私たちに必要な時々において、あなたのみ言葉とその意味を示してください。
私たちの心に、平和の灯をともしつづけることができるように、あなたがともにいて、守ってくださいますように。






2023年12月20日水曜日

長野教会2023年度・クリスマス礼拝のご案内。

長野教会・12月のクリスマス礼拝のお知らせです。



★クリスマス礼拝★
12月25日(日) 15時00分~16時00分

どうぞどなたでもお越しください。
お待ちしています。

==お問い合わせ==
日本福音ルーテル長野教会
(上松4-29-7 ℡026-241-4006)

†会場の長野教会はこちら†
長野駅からアルピコ交通で「湯谷南」下車、徒歩2分です。


松本教会クリスマス礼拝・こどもクリスマスのご案内。

松本教会、12月のクリスマスイベントのお知らせです!



★こどもクリスマス★
12月23日(土)13時~15時
 キャンドルサービスや、
ポンポンでつくるクリスマスツリークラフトなどもあります!
参加費無料(礼拝での自由献金はあります)!
要申し込み・20日(水)までにご連絡ください。


★クリスマス礼拝★
12月24日(日)10時30分11時30分
今年はイヴが日曜日!
ロウソクの灯火に照らされながら
イエス・キリストの誕生をお祝いしましょう
※暗幕とカーテンで暗くします。


問い合わせ、お申し込みは以下にお願いいたします。

==問い合わせ・申し込み==
日本福音ルーテル松本教会
(宮渕1-4-9 ℡0263-33-5242)


†会場の松本教会はこちらです†


今週の黙想文(マタイ19:22)

青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。
──マタイによる福音書19章22節


† † †

ある青年がキリストに「永遠の生命を得るには」と尋ねています。
キリストは律法を守るようにと返しますが、青年はもっと詳しく聞きたがります。
そして満足そうに「そういうことはみな守ってきました」と言うのです。
しかしキリストが彼の豊富な財産を「貧しい人にすべて施し、律法を実行しなさい」というと、彼は悲しみながら帰っていきました。
このような問答からわかることは、彼は自分が神様の救いにふさわしい人間であることを認めてほしかったのでしょう。
しかし神様の救いとは、自分ひとりの救いだけを考える人にではなく、関わりあう隣人と自分の持っているものを分け合う人に与えられるものだとキリストは言われます。
誰かとの口論が終わらない時、お互いが自分の主張をぶつけ合うだけになっていることがあります。
「自分が良いか悪いか」ではなく「相手は何を求めているのか」に目を向けなければ、その争いは解決には向かっていきません。
神様が望まれている天の国の関係も同じだとキリストは言われます。
神様の救いを勝ち取るものではなく、分かち合うためにあることを心しつつ、悔い改めをもってみ言葉に聞いてまいりましょう。

(20231217週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年12月17日日曜日

待降節第3主日礼拝。

本日12月17日は待降節第3主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より守られました。

いよいよ今週からは12月らしい厳しい寒さが始まりそうです。
牧師も車のタイヤをスタッドレスに換えなければと観念しています。
急激な気候の変化の多い時代ですが、どうぞお体には気を付けてお過ごしください。

来週はいよいよクリスマス!
今年は24日が日曜日のため、イヴ礼拝のキャンドルサービスと、日曜日のクリスマス礼拝を一つにし、クリスマスキャンドルサービスとします。
松本教会は10時半より、長野教会は15時より行われます。
午前中にクリスマス礼拝が行われる松本教会は暗幕を張って暗くしますので、明るいうちですが是非教会に足をお運びください。
皆様のお越しをお待ちしております。

*最新の説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストよりご視聴できます。*

***


*今週の祈り*

み言葉であり、声である主なる神様。
あなたは世界の始まりから、呼びかける声として、私たちに関わってきてくださいました。
しかし旧約聖書が証しているように、私たちは、いつしかあなたの声に耳を閉ざし、自らの心にばかり耳を傾ける、そのような罪深さを抱えています。
だからこそあなたは、上から語り掛けられるのではなく、私たちの隣に立って、同じ目線で語ってくださるお方として、その姿を表してくださいました。
それは私たちに対する深い憐れみと愛のゆえであり、罪深い私たちに、それでも悔い改めてほしい、罪に陥り、知らぬうちに自分勝手になり、傷つけあわないでほしいという御心のゆえでありました。
主よ、キリストの誕生を備えるこの時に、改めて私たちはあなたに心を向け、み言葉に耳を傾けます。
あなたが語ってくださった全ての言葉は、あなたが私たちのために、今日語り掛けてくださっている生きたみ言葉であることを、信じさせてください。
私たちの心が私たち自身の願いや思いばかりでなく、あなたならどのように考え、どのように言葉をかけ、どのように歩むかを、私たちが考えていくことができますように。
その助けとして、あなたのみ言葉を、私たちに最も近しい友としての言葉として、親しんでいくことができますように。

どうかあなたがイエス・キリストを通して示された御心が、一人でも多くの人に示されますように。
世界のすべての人々に向けて願っておられる愛と赦しの世界が、少しでも広がっていくように、まず私たちが、キリストを真の友とし、キリストの言葉に支えられながら生きていくことができるように、強めてください。
私たちのすべての歩みが、あなたの御心にかなうものとなりますよう、私たちの信仰を強め、絶えずみ言葉に聞く歩みへと押し出してくださいますように。






2023年12月14日木曜日

次回17日・待降節第3主日礼拝のご案内。

次週2023年12月17日(日)は待降節第3主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「神は声」

と題して、
10時半より、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。

──ヨハネ福音書1章6-8,19-28節

2023年12月13日水曜日

今週の黙想文(ネヘミヤ9:2)

イスラエルの血筋の者は異民族との関係を一切断ち、
進み出て、自分たちの罪科と先祖の罪悪を告白した。
──ネヘミヤ記9章2節


† † †

ネヘミヤ記では、捕囚の民がエルサレムへと帰ってきています。
しかし神殿は打ち壊され、食べ物もなく、大変な状況でした。
しかし人々はこの惨状の原因が、自分たちの犯した罪の故であったことをよくわかっていました。
それゆえ人々は何よりも城壁と神殿の再建に力を注いだのです。
そうして人々が最初にしたことは「異民族との関係を一切断ち」、神様に悔い改めの祈りを捧げることでした。
ここに私たちの祈りの大切な要素があります。聖書が教える祈りとは本来、私たちが望めばいつだって、神様は二人きりになって聞いてくださるものであるということです。
私たちの心の底には、誰にも言えないたくさんの思いがあるかもしれません。言葉にしても仕方がないと飲み込んだ思いも、神様は二人きりで、吐き出させてくださいます。
そのような祈りこそ、私たちを希望に目を向けさせ、明日へと生かしていく支えになるのです。

(20231210週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年12月10日日曜日

待降節第2主日礼拝。

本日12月10日は待降節第2主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として
両教会10時半より守られました。

12月というのに暖かい日が続いていますね。
乾燥がひどく、インフルエンザも流行っていると聞きます。
また、暖かいのは今週までのようです。
本格的な冬に向けて、またキリストの誕生をお祝いするクリスマスにむけて、備えの時を過ごしてまいりましょう。

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***

*今週の祈り*

私たちの導きの主なる神様。
あなたのみ言葉は、ありとあらゆる人々にとって必要なものとして記されています。
私たちが若くても年老いても、元気でも病の中にあっても、順調な時も苦難の中にあっても、あなたのみ言葉はその時々に私たちに必要な気付きを与えてくれるものとして、いつも私たちに呼びかけています。
主よ、どうか私たちが聖書を開くとき、その時々において、私たちと出会ってください。
初めて出会った時のように、私たちにみ言葉を語ってくださり、私たちの心に、恵みと平安、悔い改めと赦し、慰めと導きをお与えください。
あなたがいつも私たちの隣におられ、導いてくださっていることを忘れがちな私たちですが、私たちが望めばいつでもあなたは私たちとかかわりを持ってくださいます。
祈りの言葉のすべてを受け止め、私たち自身を省みるようにと押し出し、気付きと新しい道を示してくださるお方です。
どうか私たちがあなたを必要とするとき、私たちの周りに起こるあらゆる出来事と、み言葉とをもって、御心のうちに応えてくださいますように。
私たちがあなたの応えを信仰をもって受け取っていくことができますように。
そしてあなたの御心を正しく受け取るために、イエス・キリストご自身の姿を何度でもみ言葉から追っていくことができますように、私たちの日々のうちに祈りの時を保ってください。
クリスマスが近づいていく中で、あなたがこの世にお生まれになったという希望に満ちた出来事が、全ての人の心を明るく照らす光として近づいてきますように。
心に孤独や不安を抱えている人、疲れている人、信仰が弱くなっていると感じている人に、どうかあなたが出会い直してくださり、慰め深いみ言葉をもって、その心を癒してください。
そしてあなたを信じる私たちを通して、かかわりあう誰かの心に、あなたの光を灯すことができるよう、用いてください。






2023年12月7日木曜日

次回10日・待降節第2主日の礼拝案内。

次週2023年12月10日(日)は待降節第2主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「ここから始まるあなたの物語」

と題して、
10時半より、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として行われます。

どうぞご自由にお越しください。

信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

神の子イエス・キリストの福音の初め。 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」


──マルコ福音書1章1-8節

2023年12月6日水曜日

今週の黙想文(ルカ1:38)

マリアは言った。
「わたしは主のはしためです。
お言葉どおり、この身に成りますように。」
──ルカによる福音書1章38節


† † †

私たちは自分の予想を超えた出来事が起きた時、それを誰かに分かち合いたいと願います。
しかし実際には、私たちは相手に自分の思いをぶつけるばかりで、相手の思いを受け取るということが難しい関わり合いになってしまうことも多いのではないでしょうか。
軽井沢教会の釣り広告に、このような文章がありました。
「大切なのは、伝え合うことではなく受け取り合うこと。分かったふりをせず、初めましてのような気持ちで、もう一度相手の気持ちに向き合ってみませんか。」
私たちは関わりあう相手に、また神様に対しても、このような気持ちで向き合いたいものだと思います。
マリアが天使からイエスの受胎を告げられた時、不安で仕方がなかったはずです。
もっと言いたいこともたくさんあったはずです。
でも、まずは神様の思いを受け取っていったのです。
神様は私たちの祈りと願いをいつも受け取ってくださっています。
なればこそ、私たちもまた神様の思いを受け取ってまいりたいと思います。
そこにこそ、神様が導いてくださる道が、開かれていくのです。

(20231203週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年12月3日日曜日

待降節第1主日礼拝。

本日12月3日は待降節第1主日の礼拝でした。

松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より守られました。

松本教会では2日にアドベントバザーが行われました。
例年のリース作りや今年はミニランチなどを提供し、賑わいました。
また、アドベントを感じていただく試みとして、クリスマスツリーを来場者の方にも飾っていただく体験もいたしました。
楽しんでいただいたみたいで何よりです。

外から松本教会のクリスマスツリーの
イルミネーションが見れます



*今週の祈り*

救いの主なる神様。
あなたは私たちのもとへ、イエス・キリストを遣わしてくださいました。
それは、あなたの御心が私たちに解き明かされ、あなたの救いの約束が確かに私たちに届けられるようにと願ってのことでした。
あなたのみ言葉は天地が滅びても決して滅びないほどに永遠であり、揺らぐことがありません。
み言葉は必ず実現すると約束してくださったキリストの言葉を信じ、委ね、私たちの信仰の支えとしてください。
私たちの信仰はもろく、弱く、揺らぎやすいものです。
だからこそあなたのみ言葉を私たちの中心に据え、あなたにいつも心を向け続ける、そのような信仰の歩みに立たせてください。
クリスマスを待ち望む待降節が始まりました。
あなたがこの世にお生まれになる時、既にあなたは全ての人の救いをご計画のうちに入れておられました。
それがどれだけの痛みと悲しみを追うことになるのかを、私たちは聖書のイエス・キリストの生涯から聞いてきました。
そのうえで、御子の誕生を、感謝と喜びをもって迎えることができるように、私たちが一層み言葉に聞き、キリストがこの世に来られるクリスマスと、終末の時を、待ち望むことができますように。

主よ、あなたが立てられたこの教会を祝福してください。
毎週の礼拝をもって、あなたのみ言葉を必要とする人々を招き、悔い改めと赦しをもって信仰を与えてください。
私たち一人一人の信仰の旅路の中で、あなたが共にあって導き、あなたの揺らぐことのない救いの約束に依って立ち続けることができるように、御心に委ねる信仰を保たせてください。
終末の時、あなたが全てを裁いてくださいます。
どうか私たちが誰かを裁きたいと願ってしまう時には、あなたに裁きをお委ねし、私たちを用いて、より良い戒めの言葉をもって、互いに悔い改めの時を分かち合うことができますように。
あなたに全てを委ねます。




***


2023年11月29日水曜日

今週の黙想文(マタイ7:3)

あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
──マタイによる福音書7章3節


† † †

キリストは「人を裁くな」と教えられます。
その理由は「あなたがたも裁かれないようにするため」というのです。
誰が正しく、誰が悪いのかということを本当に裁くことのできるのは神様だけであるからです。
人間関係の中で裁きあう心が生まれる時、お互いに自分をかえりみる必要があることをキリストは教えるのです。
「人を指さしてはいけないよ」と教えられたことがありました。
ある先生がその理由として「人に指さすと、中指、薬指、小指は自分のほうを向いているのだから、三倍になって返ってくるから」だと教えてくれました。
私たちの日常には自分の思い通りにならないことや、腹が立つことはたくさん起こります。
しかし自分のことを省みず、自分以外の人々に「あなたたちが悪い」と指をさすとき、それによって、もっとうまくいかなくなっていくのです。
うまくいかないと感じる時、他の誰かを裁き、指さす一本の指よりも、自分に向けられた三本の指によって、三倍の悔い改めへと心を向けてまいりたいものです。

(20231126週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年11月26日日曜日

聖霊降臨後最終主日礼拝。

本日11月26日は聖霊降臨後最終主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として
両教会10時半より守られました。


いよいよ教会の暦も今週で締めくくり、来週からは新しい暦になります。
教会暦の始まりはクリスマスを待ち望む待降節(アドベント)。
長野教会では来週に向けて、クリスマスツリーの準備をしました。

*今週の祈り*

私たちの主、父なる神様。
あなたは私たちを子として愛する親のように、私たち一人ひとりを見守っておられます。
あなたは罪ある私たちをあなたの力をもって縛り上げ、想いの通りに動かそうとはなさいません。
私たちに御心に従う自由を与えてくださいました。
それは、あなたが私たちに委ねられたいのちを尊重してくださっているからです。
わたしたちの目の前の世界では、あなたが形作られたいのちが、おろそかにされ、傷つけられ、無為に奪われていく、そのような現実が広がっています。
各国で起こる戦争だけでなく、人が人を支配すること、共感と寄り添いが失われることによって起こる人と人との断絶があります。
そのすべては、あなたの愛を見失っているからです。
主よ、あなたは聖書のすべてのみ言葉において、私たちへの果てしない愛を示してくださいました。
その形は私たち人間と同じく多様な形で表されています。
時には怒り、厳しい裁きの言葉もまた、キリストの口から語られています。
わたしたちもまた、愛ゆえに語られたみ言葉として、あなたの言葉を受け取っていくことができますように。
文字通り形だけ、表面だけの勧めとしてみ言葉を聞くのではなく、私たちの心を満たし、私たちを御心に適った生き方へ押し出す力として、あなたの愛と心を受け取っていくことができますように。
あなたがイエス・キリストとしてこのように来られたように、私たちが誰よりもまずあなたを最も近い存在として、かかわりあうことができますように。
主よ、あなたがこの世に与えられたいのちには、必ずあなたの愛が注がれ、この世に生きる意味をお与えになります。
どのような命であっても、あなたに望まれなければ生まれてくることはできません。
主よ、今日もわたしたちがあなたからの命を与えられたことを感謝をもって受け取り、あなたの御心と愛に生かしてください。
私たちには予想もできないあらゆる困難と、すぐには解決できない苦しみの中に立ち続けなければならない、そのような試練が与えられた時においても、あなたがキリストとして寄り添ってくださっている、その慰めのうちに私たちを支えてください。



***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年11月23日木曜日

次回26日・聖霊降臨後最終主日礼拝のご案内。

次週2023年11月26日(日)は聖霊降臨後最終主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「世界の終わりはハッピーエンドがいい」

と題して、
両教会10時半より、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

──マタイ福音書25章31-46節

2023年11月22日水曜日

今週の黙想文(2コリ23:13)

わたしたちは限度を越えては誇らず、
神が割り当ててくださった範囲内で…誇るのです
──コリントの信徒への手紙 二 23章13節


† † †

実際にはともかく、私たちは謙遜や謙虚が美徳と思われる国に生きています。
これは一般的にキリスト教の教えと重なる部分かもしれません。
しかし一方で、私たちは自分がやることをやった時には、それを誰かに認めてもらいたくなりますし、誇りたくなるものです。
パウロもまた自分の内に、誇りたい気持ちと、誇りたい気持ちを前面に出しすぎるとそれが傲慢に変わりかねない罪があることを知っていたのかもしれません。
そこでパウロは誇っても良い範囲を「神が割り当ててくださった範囲内で」と定めています。
「あれもこれもわたしがやったのだ」と誇るのではなく、「主がわたしにさせてくださった」と誇ることをパウロは勧めているのです。
「私が」ではなく「神様が」を主語に誇ることが大切なことで、こうすることで私たちの誇りは傲慢ではなく感謝へと向かっていくからです。

(20231119週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年11月19日日曜日

聖霊降臨後第25主日礼拝・ルターナイツinまつもと開催

本日11月19日は聖霊降臨後第25主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より守られました。

本日松本教会はこども祝福式礼拝として守られました。
教会に連なる子どもたちが、神様の導きと守りの内にこれからもすくすくと成長できるようにと祈りました。


また、本日は18時半よりルターナイツinまつもとが行われました。
原田靖子氏の奏でるオルガンの音色が、夜の教会一杯に響き渡りました。
たくさんのご来場、ありがとうございました。

*今週の祈り*

いのちの与え主なる神様。
あなたは私たちに、愛を分かち合うためのいのちとして、わたしたちにいのちをお与えになりました。
私たちのいのちは、あなたによって作られたその瞬間から、関わり合いへと押し出されています。
それは、あなたがおっしゃったとおり、生きているものはひとりでは生きられないからです。
世界の終わりにおいて、あなたが裁く神として我々のもとにやってこられると聖書は語り、誤った教えを語る人々によって、それを誤解した形で受け取っている人々も多くいます。
あなたからの罰におびえ、かりそめの安心を与えられ、あなたのいのちが地中深くに埋められている人々がいるかもしれません。
しかしあなたは愛の神であられます。
それを、イエス・キリストという一人の人の姿を取って、私たちに目に見える形で証してくださいました。
どうかそのキリストの姿を私たちがいつも思い起こし、その姿に倣って生きていくことができますように。
わたしたち自身が傷つき、余裕をなくし、疲れ果てているとき、隣人への愛に立ち上がれないときには、あなたご自身がキリストの姿をとって、私たち一人一人の痛みに寄り添ってくださっていることを思い起こさせてください。
私たちを癒し、慰め、励まし、もう一度奮い立たせてくださいますように。
私たちをどうか関わり合う人への愛で満たし、愛に満ちた関わりを通して、お互いに一層深い喜びに与っていくことができるよう、導いてください。
主よ、今日はこども祝福式礼拝として守っています。
あなたがこの世に新しくいのちを与えられた子どもたち一人一人を、今日まで守り導いてくださったこと、そして今日祝福を与えるために、招いてくださったことを感謝いたします。
今日ここに集うことのできなかった一人一人においても、どうかあなたが御手を差し伸べ、その心を感謝と愛とで満たしてください。
私たちには大きすぎるほどのいのちの輝きを糧として、あなたの御心にかなった関わり合いのために、どうか私たちのすべてを用いてくださいますように。



***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年11月17日金曜日

アドベントバザー2023のお知らせ

今年の松本教会のバザーは
「アドベントバザー」です!




今年は豊作だった教会のあんず、おいしいあんずジャムにしました!
他にもクラフト製作や数量限定「ワンプレートランチ」等、
ちょっとホッとできる憩いの場としても教会を開放しております。
クリスマスを待ち望むアドベント、体験しに来てくださいね。


※教会の駐車場に車をお停めいただけます。
※よろしければマイバッグをご持参ください


12月2日(土)11時~14時に、
松本教会にてお待ちしております!


†会場の松本教会はこちらです†

2023年11月16日木曜日

次回19日・聖霊降臨後第25主日礼拝のご案内。

次週2023年11月19日(日)は聖霊降臨後第25主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「いのちに込められた想い」

と題して、
10時半より、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

──マタイ福音書25章14-30節

2023年11月12日日曜日

聖霊降臨後第24主日礼拝。

本日11月12日は聖霊降臨後第24主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として
両教会10時半より守られました。

先週までは長袖だと汗ばむほどでしたが、今日は本格的な冬がやってきたようでした。
知らぬ間に冬がやってくるように、知らぬ間に天の国もすぐそこまでやってきているのかもしれません。
キリストのみ言葉に支えられつつ過ごしたいと思います。


*今週の祈り*

私たちの支え主なる神様。
あなたは私たち一人一人に、信仰をお与えくださいます。
あなたのみ言葉は私たちが必要な時にその意味を示してくださり、その時々に必要なものとして響いてまいります。
それは、あなたが私たち一人一人を心から愛し、救いへとたどり着くことができるように、その旅路を整えてくださっているからです。
だからこそ、あなたのみ言葉には、あなたの御心が示されています。
主よ、どうかあなたのみ言葉が、これからも歩みのその時々にあって、私たちに届きますように。
あなたによって信仰を与えられた者が、あなたが再び来られる終末の日にいたるまで、信仰のともし火を燃やし続け、またその油を十分に備え、保つことができますように。
そしてそのことを、週末の裁きに対する恐れによってではなく、むしろあなたと共にある喜びを繰り返し思い起こすことによって、保っていくことができますように。
主よ、どうか私たちをその信仰の交わりによって新しくしてください。
あなたのみ言葉を求める者にそれが届き、一人でも多くの人が、あなたのみ言葉によって救いの喜びに与ることができますように。
すべての人があなたの御心に叶う生き方へと変えられていく、その天の国をこの世に来たらせてください。
そのために、一人でも多くの人々にみ言葉が届き、信仰に目覚め、またその福音を宣べ伝えるための働きに立たせてくださいますように。

今日、様々な事情から来ることのできなかった方々のために祈ります。
病を抱えている方、ほかの働きを与えられている方がおられます。
もしかしたら、長い信仰生活の中で、いつしか眠り込んでしまって、信仰のともし火が消えてしまっている方がいるかもしれません。
あなたはすべての人に、愛と赦しをもってそのまなざしを注いでおられます。
どうか主よ、あなたの導きのうちに、一人一人に、あなたのみ言葉に触れる機会を与えてください。
あなたのみ言葉によって、一人一人の信仰が支えられる、そのような喜びの時を与え、またそのような経験を思い起こさせてください。
主よ、あなたが私たちと共にあって、どのような時にも、あなたが支えてくださいますように。


***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年11月9日木曜日

次回12日・聖霊降臨後第24主日礼拝のご案内。

次週2023年11月12日(日)は聖霊降臨後第24主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「あなたを支える神の言葉は」

と題して、
両教会10時半より、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

──マタイ福音書25章1-13節

2023年11月8日水曜日

今週の黙想文(マルコ1:1)

神の子イエス・キリストの福音の初め。
──マルコによる福音書1章1節


† † †

福音書の中で最も古いものはマルコ福音書と言われています。
つまり、イエスの生涯と御言葉を伝えるために初めて書かれた書ということです。
これまでイエスの生涯を描いた書はなかったのですから、マルコはどのような言葉でそれを描き始めても良かったはずでした。
マルコは福音書の全編にわたって「イエスとは何者なのか」という人々の問いを隠し続ける描き方をしています。
そしてマルコ福音書のラストは、復活のイエスを証しする空の墓を見て「正気を失っていた」婦人たちの姿で閉じられています。
なんとも尻切れトンボのようなラストに見えますが、これこそがマルコ福音書の一番の魅力であり、一番最初の言葉に戻ってきて初めて意味を成す終わり方となっているのです。
マルコ福音書のラストとこの初めの言葉をもって、キリストはマルコ福音書の読者に迫ってくるようではありませんか。
今、イエス・キリストの全てを知ったあなたにとって、それが福音とされていく「初め」が、ここに始まっているのだと。

(20231105週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年11月6日月曜日

牧師エッセイ(2023年11月)

最近、1歳半の娘のマイブームはお散歩です。
公園まで足を延ばしたり、教会の周りやスロープをぐるぐると歩き回るだけで楽しいようです。
まだまだ走り回るまではいきませんが、5センチくらいの段差があると、まずじっとその段差を見つめて、意を決するように片足を出して降りるようにしていました。
娘にとっては何もかも初めてですから、小さな段差一つでも、全力をもって向き合い、挑戦し、乗り越えています。
それを見て、私たちはいつ頃から「初めて」を避けるようになるのかな、とふと思いました。

人は成長と共に、経験と知識を得て、人との関わりや振る舞いにおいても大人として見られていきますが、その反面、「初めて」のことに対して恥を感じたり、失敗への恐れを抱えて、できる限り避けたいと願うことも増えていくようにも感じます。
しかし、本来「初めて」の一歩とは、私たちが生きる上で絶えず出会うものです。
老いや病といった、全ての人にとって避けられない「初めて」も多くあります。

イエス・キリストの生涯は、人との関わり、そこに起こる様々な喜びと争い、痛みと苦しみ、迷いと慰めに満ちています。
そしてついには死の悲しみさえも、神様は私たちと同じものを経験してくださったのです。
それが、イエス・キリストという神が人となられたことの意味でした。
そして、地上の命における歩みだけでなく、その先に約束されている永遠の命においても、神様はいつだってその慈しみをもって私たちを支えてくださるお方なのです。

「足がよろめく」とわたしが言ったとき、
主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。
           ──詩編94編18節

 私たちがこれから歩む道において出会っていくあらゆる「初めて」に対しても、神様のお支えをいただきながら、全力をもって向き合い続ける生涯の歩みへと踏み出してまいりたいものです。


2023年11月5日日曜日

全聖徒主日礼拝。

本日11月5日は全聖徒主日の礼拝でした。

松本教会では巡回説教者の松田繫雄牧師により、
長野教会では野口和音牧師により、
両教会10時半より主日礼拝として守られました。

両教会それぞれに、召天者の方々を思い起こしつつ、お一人お一人の魂が天での平安を与えられていることを覚えて礼拝が守られました。
また、松本教会の礼拝奉仕をしてくださった松田先生は、元松本教会の牧師としてご奉仕されていたこともあり、よき交わりの時も保たれたようでよかったです。

長野教会では1年前に召天された信徒の記念会を行いました。
寂しさもありつつも、その方のお人柄と信仰に励まされるときとなりました。


*今週の祈り*

いのちの与え主なる神様。
あなたの御許に召され、今なお天において生きておられる方々を思い起こします。
あなたはあなたを信じてその生涯を歩み通された方々一人一人を、最期の時まで守ってくださいました。
そして、地上の歩みを終えた一人一人をあなたの御許へと招き、天の国における平安と慰めに満たしてくださっています。
主よ、あなたを心から求め、あなたのみ言葉に耳を傾ける者すべてに、あなたの幸いと救いとをもたらしてください。
信仰の先達者である召天者の方々の背中を思い起こしつつ、私たちもまたあなたのみ言葉によって信じるものとなり、慰めと励ましを受けて、明日からの日々を幸いな歩みと信じて踏み出していくことができますように。
あなたがいつも私たちと共にあって、支えてください。
あらゆる困難が立ちはだかるとき、悲しみと寂しさに見舞われるとき、どうしようもなく立ち止まってしまったとき、そこにあなたがおられることを思い起こさせてください。
私たちのすべての歩みを、あなたの御心にゆだねます。


***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年11月2日木曜日

次回11月5日・全聖徒主日礼拝のご案内。

次週2023年11月5日(日)は全聖徒主日の礼拝です。

松本教会は
松田繫雄牧師の説教
「心の清い人々は、幸い」

長野教会は
野口和音牧師の説教
「幸いの神を見る心」

と題して、
両教会10時半より、主日礼拝として行われます。


全聖徒主日礼拝とは、天に召された方々を覚えるための礼拝として、毎年11月第1週に守られています。
どうぞご自由にお越しください。

信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

──マタイによる福音書5章1-12節

2023年11月1日水曜日

今週の黙想文(ルカ12:26)

こんなごく小さな事さえできないのに、
なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。
──ルカによる福音書12章26節


† † †

私たちの人生から全く思い悩むことがなくなるということはあるのでしょうか。
今悩みを抱えている人は、その悩みが解決することを切に望んでいることでしょう。
しかしキリストはあらゆる悩みが解決したとしても「何を食べようか、何を着ようか」といった根源的な思い悩みは、私たちの生涯に付きまとうものだと語られます。
悩みを解決したとしても、その解決方法が正しかったのかという悩みもまた生まれるかもしれません。
そのような私たちにキリストは「思い悩むな」と言われます。
どうしてそんなことができるでしょうか。
ブッダの教えを解説した本に、ブッダが悩まないのは何故か?という問いがありました。
その答えは「智慧」によって、正しい答えを持っているからだというのです。
キリストは「あなたがたの父は、……あなたがたに必要なことをご存じである。」と仰ってくださいました。
私たちにとって「智慧」とはキリストです。
キリストが教える神様が私たちのすべてを配慮してくださると信じるからこそ、その祈りをもって、今目の前にある思い悩みに、「では、どうすればよいだろうか」と立ち向かっていくことが出来るのです。

(20231029週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年10月30日月曜日

宗教改革主日礼拝。

本日10月29日は宗教改革主日の礼拝でした。

松本教会は10時半から主日礼拝として、
長野教会は15時から聖餐礼拝として、
守られました。

マルティン・ルターが起こした宗教改革をおぼえて礼拝の時を持ちました。
来週は全聖徒主日。召天者の方々を思い起こす礼拝となります。
どうぞご自由にお越しください。共に祈りましょう。


*今週の祈り*

私たちの主、永遠の導き主なる神様。
あなたは私たちの罪をご存じです。
聖書においても、私たちが知る歴史においても、あなたのみ言葉を聞き、あなたの御言葉を信じて生きている人々でさえ、あなたの御心から離れ、人の欲のままにあなたの御名を用いてしまう人々がいること、その変わることのない罪が今なお私たち一人一人の中にあることを、おぼえます。
そのようなわたしたちを、あなたはそれでも見捨てることなく、今日まで導いてくださいました。そこに、私たちはあなたの憐れみと赦しを見出します。
当時のルターが語った鋭い悔い改めへの呼びかけは、あなたのその深い赦しと愛に基づいています。
私たちが互いに裁き合うためではなく、共に神様の御心にかなった働きを保っていくことができるように、私たちがあなたの御心を尋ね求め、働きのうちに常にそれを精査する、そのような悔い改めへと立たせてくださいますように。
あなたがイエス・キリストを通してその愛と御心を語ってくださったその場所が、この地球上で最もあなたの愛から離れた場所になっていることを、私たちはニュースで知ります。
しかしそれは遠いどこかの現実ではなく、私たち一人一人においても起こりうる、あなたへの背信であることを、心に留めたいと思います。
私たちが私たちのために願い、為そうとする理由としてあなたを引き合いに出すのではなく、まずあなたの御心と委ねられている働きを求め、み言葉に聞き、そこから求められている働きへと送り出されていくことができるようにしてください。
いつでもあなたを私たちの信仰の柱とし、私たちが罪から引き離されていることを確認しながら、信仰生活を歩んでいくことができますように。


***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年10月26日木曜日

次回29日・宗教改革主日礼拝のご案内。

次週2023年10月29日(日)は宗教改革主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「救いはお金じゃ買えないよ」

と題して、
松本教会は10時半から、
長野教会は15時から
両教会主日礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。耳のある者は聞きなさい。今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」

──マタイ福音書11章12–19節

2023年10月25日水曜日

今週の黙想文(ルカ22:62)

主は振り向いてペトロを見つめられた。
ペトロは、……外に出て、激しく泣いた。
──ルカによる福音書22章62節


† † †

ペトロがキリストを裏切る言葉を三度も繰り返してしまった時、キリストが彼を見つめられたとルカ福音書は記しています。
その時、彼はきっと、3つの意味で泣いたのです。
一つは自分が「死ぬまで離れない」と熱く誓ったはずの主がたった一人で十字架へと引かれていく惨めさによって。
一つはその惨めさの中に送り出したのは自分の裏切りであったことの後悔によって。
そして最後に、彼は思い出したのです。
ペトロが裏切る予告を告げた後、キリストはこのように言われました。
「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」
このようなキリストの深い赦しと憐れみを思い起こしたからこそ、弱いペトロは涙と共に悔い改めへと導かれていきました。
神様は私たちに、自分の弱さと向き合わせようとされる時があります。
しかしその時に、確かに私たちを支えてくださり、悔い改めを通して、より深い強さへと立たせてくださるのです。

(20231022週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年10月24日火曜日

【再掲】いのち学第2回のお知らせ

  10月30日(月)19時より、松本教会にて

「いのち学~がん研究者の学び・いのちの不思議・科学の視点~」第2回が行われます!



2023年度、いのち学、第2回です。
今年度のサブタイトルは「~がん研究者の学び・いのちの不思議・科学の視点~」です。
がん研究の先端医療を紹介しつつ、科学だけではとらえきれない「人のいのち」について、共に考える時を持ってみませんか?

参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。
また、ZOOM参加も可能です。
お時間になりましたら、下記URLよりお入りください。

***
トピック: いのち学第2回
時刻: 2023年10月30日 07:00 PM 大阪、札幌、東京

参加 Zoom ミーティング
https://zoom.us/j/97081004103?pwd=NXlRd3VCeXRabU54dkVhSU56N0YwUT09

ミーティング ID: 970 8100 4103
パスコード: 534482
***

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。

当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

聖霊降臨後第21主日礼拝。

本日10月22日は聖霊降臨後第21主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として、
両教会10時半より守られました。

急に朝晩が冷え込み、乾燥からか、牧師もノドをやられました。
この時期は油断なりませんね。
特に今年は冷え込むのが例年より早いような気がしています。
暖房と御言葉によって、心も体も温かく保ちつつ過ごしたいものです。


*今週の祈り*

赦しと憐れみの主なる神様。
あなたはイエス・キリストを通して、果てしない赦しと憐れみをお示しになられます。
あなたへの篤い信仰によって、かえって躓きになる現実があることを、今日の御言葉を通して示されました。
そのうちにあって、最も大事なことは、私たちの心がいつもあなたから離れることがないようにするということを教えられました。
私たちは目に見えるものに心が引きずられる弱さを抱えていることを、あなたはご存じでした。
しかしそれでも、あなたを強く信じるあまりに、他の宗教に触れる時、その目に見える振る舞いによって揺さぶられたり、流されているように感じることがあるかもしれません。
しかし主よ、あなたは私たちの心を見通しておられます。
私たちが他の宗教の場に立たされたとしても、その場において相応しい振る舞いをし、そこにいる人々の信仰と思いを妨げることなく、むしろ寄り添うことによって、キリストが教えられた寄り添いと愛に立っていくことができますように。
そして私たちの心は、あなたにこそ向けつづけていくことができるように、どうかあなたが私たちの信仰を支えてください。
多くの宗教が、他の宗教の教えは正しくないと批判し、宗教と他の宗教が争いあうことが長く続いてきました。
しかし主よ、どの宗教においても、誰かを救うために存在するということに心を寄せます。
私たちの人生の中におこるあらゆる苦しみに対して、それぞれに答えと、慰めと、それでもこの世を歩んでいくための支えを与えるものこそ、それぞれの宗教が表す神様の姿であることを思います。
主よ、あなたはご自分が私たちと同じ人間となり、同じ苦しみを背負って生き抜いてくださったことに、その慰めと支えを受け取ります。
そして復活によって、私たちのいのちが永遠の命へとつなげられていく福音を与えてくださいました。
その福音は、何によっても揺らぐことはありません。
あなたが示してくださったその救いの福音を、他者を否定し非難するためのものとしてではなく、救いを分かち合い、慰めと喜びに満たされて生きるためのものとして、保っていくことができますように、私たちの信仰を整えてください。


***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年10月21日土曜日

次回22日・聖霊降臨後第21主日礼拝のご案内。

次週2023年10月22日(日)は聖霊降臨後第21主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「クリスチャンは神社で祈れるか」

と題して、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

──マタイ福音書22章15-22節

2023年10月18日水曜日

今週の黙想文(フィリピ3:9)

キリストの内にいる者と認められるためです。
──フィリピの信徒への手紙3章9節


† † †

子育てをしていると、言葉にできない大きな愛しさを感じる時が多くあります。
その一つとして、娘が絵本を読むとき、必ず私があぐらを組んだ足の上にすっぽり座って読むのです。
イエス・キリストは弟子たちに祈りを教える際、「天の父よ」という言葉から始めるように教えました。
この言葉は幼児語で「パパ/おとうちゃん」という意味の言葉が使われています。
そのように、神様と私たちキリスト者との関係は、子を愛する親と、親に心からその身を預ける子の関係から説明することができると言うのです。
パウロは今日の箇所で「キリストの内にいる者」という表現をしています。
わたしの内にキリストがいる、という表現はよく言いますが、逆も然りであると言うのです。
神様は父と子の間に起こる大きな愛をもって、私たちを自分の懐にすっぽりと包み込んでくださろうとしておられるお方なのです。

(202310週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年10月15日日曜日

聖霊降臨後第20主日礼拝。

本日10月15日は聖霊降臨後第20主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として、
両教会10時半より守られました。

「最近は暖房をつけましたよ」、「もう毛布だけでは夜は寒いですね」と言葉を交わす季節がやってきました。
秋が過ぎ去るのもあっという間ですね。
心も体も、神様によって守られて過ごしてまいりましょう。
礼拝ではパレスチナとイスラエルとの戦争に心を痛めつつ、祈りを一つにしました。


*今週の祈り*

全ての人に天の国の門を開きたもう主なる神様。
あなたはキリストを通して、憐れみ深く果てしない赦しをもって私たちを救いへと導こうとしておられる神様の御心を表してくださいました。
私たちが神様の御心に相応しくかなうその時に天の国の門が開かれるのではなく、私たちがキリストを信じ、御国の門をくぐることができる約束を与えられるからこそ、私たちもまた赦しを受けたものとして歩むことができるようになることを、あなたは教えてくださいました。
主よ、どうか御国をこの地上に来たらせてください。私たちの信仰によってキリストをまとわせ、一人でも多くの人を御国へと招き入れるための働きのために用いてください。
そのために、私たちの弱さも罪も、またキリストによって与えられる強さも愛も、そのすべてをもって、あなたの福音を証しするものとしてくださいますように。

主よ、あなたがかつて全世界の人々に福音を告げ知らせたイスラエルの地が、戦争の最中にあります。
宗教と神の名を用いて他の人々を傷つけ、その命を奪うことを良しとする人々がいます。
あなたが聖書において私たちに語ってくださったみ言葉の中に、そのような愛に欠けたふるまいを良しとする教えはどこにもありません。
あなたは憐れみと赦しの神であり、同時に正義と裁きの神としておられます。
主よ、どうか今、戦火の中にあって不安を抱え、逃げまどい、苦しんでいる人々を支えてください。
既にあなたの御許に召された人々の魂を、悲しみの中にある人々を、慰めの御手をもって包み込んでください。
そしてこのような戦いを生み出している人々を正義によって裁き、どうか悔い改めへと導いてください。
全ての人が、あなたの御子イエス・キリストが示された赦しと平和の真理を悟り、自らを省み、一刻も早くあなたの御心に適った道へと歩みだすことができますように。
あなたが福音を告げ知らせた地が、どうか世界で最も罪深い場所としてではなく、聖書が語っているあの日のように、最も御国に近い場所として整えられますように。
そしてどうか、この世に天の国をもたらしてください。


***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年10月12日木曜日

次回15日・聖霊降臨後第20主日礼拝のご案内。

次週2023年10月15日(日)は聖霊降臨後第20主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「選ぶ神から迎える神へ」

と題して、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

イエスは、また、たとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

──マタイ福音書22章1-14節

2023年10月11日水曜日

今週の黙想文(2コリ1:4)

神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、
わたしたちも……人々を慰めることができます。
──コリントの信徒への手紙 Ⅱ 1章4節


† † †

パウロの伝道旅行の際、苦難や迫害もまた多く起こり、しばしば生きる望みさえも失うことがあったようです。
そのようなパウロを支え、不思議と死の危険から救い出したのは「死者を復活させてくださる神」への信仰でした。
それゆえコリント教会に向けた手紙の中で、パウロは神様とは「慰めを豊かにくださる神」であると語っています。
この「慰め」の原語は「側に招く」という意味の言葉です。
あらゆる人の苦しみを経験され、復活の命を与えられた十字架のキリストは、福音書の中で人々と関わる時には、いつも人々を「側に招く」言葉をかけられています。
それによって彼らは慰めを得て、キリストの弟子とされていきました。
わたしたちもまた、様々な困難の中にある時にこそ、キリストが私たちを側に招いてくださり、慰めのうちに保ってくださっていることを、み言葉から聞いてまいりたいと思います。

(20231008週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年10月8日日曜日

聖霊降臨後第19主日礼拝。

本日10月8日は聖霊降臨後第19主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として、
両教会10時半より守られました。

朝から大変寒く、長野教会では思わず礼拝堂の灯油ヒーターを付けました。
あっという間に冬の足音が聞こえてくるようです。
季節の変わり目、乾燥も強まる季節です。
体調に気をつけつつ、聖書の言葉に耳を傾ける日々が守られますように。


*今週の祈り*

赦しの主なる神様。
あなたの赦しは、私たち人間の歴史と共にあります。
人はその歩みの中で、幾度となくあなたを誤解し、あなたから心を離し、時には邪に利用して生きてきました。
そのような罪を、私たちもまた抱えて生きています。
罪を罪として気付かないという罪もまた、私たちのうちにあることを告白いたします。
主よ、それでもわたしたちのすべてを赦してくださるために、あなたはご自分の御子を遣わし、十字架にかけてくださいました。
それは私たちの人知を越えた果てしない愛と憐れみによって成し遂げられた救いです。
そして驚くべきことは、その果てしない愛が、私たち一人一人のために向けられているということです。
主よ、どうかあなたの愛によって私たちの罪を包み込んでください。
この身が天に召されるまで罪を犯すことから逃れることのできない私たちを赦し、一つでも多くの罪を悔い改めることができますように。
そしてどうか、そのような悔い改めをもって私たちをキリスト者として整えてください。

この世は憎しみと報復に満ちています。
祭司長たちがキリストのたとえ話からあなたを誤解し、憎しみと報復、怒りと裁きの神として捉えたことは、私たち人間の本質を現しています。
神であるあなたでさえ、愛を失った姿でしか捉えられないこの世だからこそ、聖書のみ言葉に触れる私たち一人一人が、あなたの愛を正しくとらえ、それに甘んじることなく、悔い改めのうちに生かされることができますように。
そして主日を迎えるたびに、聖書のみ言葉に耳を傾け、祈りの時を持つたびに、あなたの果てしない愛に触れることができるように、どうか私たちの信仰を豊かに開いてください。
あなたから愛を受けた私たちが、罪の痛みが満ちるこの世において、誰かの痛みを包み込み、寄り添いをもって分かち合い、癒しと慰めをもって共に生きる隣人として遣わされますように。
今日様々な事情によって教会に集うことのできなかった方々、病の中にある方、疲れを覚えている方、悩みを抱えている方々の上に、どうか主よ、あなたの愛と癒しとが伝わっていくように、導いてください。
そして私たちをも、御業の為に清めて用いてください。


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*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年10月5日木曜日

次回8日・聖霊降臨後第19主日礼拝のご案内。

次週2023年10月8日(日)は聖霊降臨後第19主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「それでもあなたを愛しているから」

と題して、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

◆「ぶどう園と農夫」のたとえ
「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。

──マタイ福音書21章33-46節

2023年10月4日水曜日

今週の黙想文(エフェソ4:29)

ただ、聞く人に恵みが与えられるように、
その人を造り上げるのに役立つ言葉を、
必要に応じて語りなさい。
──エフェソの信徒への手紙4章29節


† † †

パウロはエフェソの教会の人々に向けて、キリストに結ばれ、新しい命に生きるための具体的な指針を教えています。
その内容は様々なことに及んでいますが、その一つとして、「その人を造り上げるのに役立つ言葉」を語るようにと告げています。
一言でいえばその人をキリスト者として教えはぐくむ──教育するための言葉をかける、ということです。

人に何かを教えることは難しいことです。
なぜなら教える側がそのことについて熟知し、かつその教えを少なからず実践できていなければ説得力がないからです。
わざを通して信仰を測ることを禁じたルターでさえ、信仰からよきわざが生まれることを否定してはいません。
その意味で信仰と私たちの目に見えるふるまいは結びついています。
パウロが薦めている通り、教会が信仰の相互教育の場でもあるとするなら、私たちもまた、誰かに「恵みが与えられ」、関わる人をキリスト者として「造り上げる」ための関わりができるようにと、まず自分自身の信仰とそのふるまいについて、神様の御前で振り返ることから始めたいと思います。

(20231001週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年10月2日月曜日

聖霊降臨後第18主日礼拝。

10月1日は聖霊降臨後第18主日の礼拝でした。

松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として、
両教会10時半より守られました。

すっかり季節も秋らしくなりましたね。
牧師も夏季休暇をいただき、しっかりお休みが取れました。
心機一転、頑張っていきたいと思います。


松本教会では敬老祝賀会が行われました。
今日までお一人お一人の歩みが神様に守られたことを感謝しつつ、
これからの日々においても神様が共にあって守ってくださるように。

*今週の祈り*

悔い改めの主なる神様。
あなたは何千年もの時を超えて朽ちることのないみ言葉を私たちに届けようとしておられます。
私たちの罪は寸分も変わることなく、私たちをあなたの御心から引き離し、自分の正しさにこだわり、あなたの名をもって正当化しようとします。かつてのキリスト教会もまた、繰り返しその過ちを犯してきました。
たくさんの人を傷つけ、あるいは救えないまま、通り過ぎてきました。
そしてそれは、キリスト者である私たち一人一人においても今なお起こりうることです。
主よ、どうかあなたのみ言葉に絶えず聞くことができるように、私たちの信仰の耳を開いてください。
過ごした一週間を振り返り、意見がぶつかったことや、正しさを押し付けてしまったことがないか、反省することができますように。
そしてもしそのようなことがあったなら、どうか赦してください。
私たちが同じ過ちを繰り返すことがないように、あなたの愛に立つことを改めて教えてください。そしてそのために、キリストの姿を私たちの心に焼き付けてください。

わたしたちがあなたの御心のままに、今日まで命を守られてきたことを感謝いたします。
あなたが備えてくださる道は、決して平坦な道ばかりではありません。
迷い、悩み、大変なことがたくさん起こります。
しかし主よ、どのような試練の中にあってなお、あなたが絶えず支えてくださっていることを思い起こします。
私たちが耐え切れないときには助けを呼び求め、休むことの大事さを教えてくださった主を思い起こします。
祈りによって歩みを支えられ、死に至るまで従順であったキリストの背中を私たちも追いかけます。
主よ、どうかこれからも、私たちが歩む道のりを守り導いてください。
そしてそこで関わりを持つ全ての人に対して、私たち自身を通して、あなたの愛と憐れみを証しするものとして用いてください。


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*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年9月30日土曜日

次回10月1日・聖霊降臨後第18主日礼拝のご案内。

次週2023年10月1日(日)は聖霊降臨後第18主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「シカクいあなたをマルくする」

と題して、
松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

◆権威についての問答
イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。」彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々に言うだろう。『人からのものだ』と言えば、群衆が怖い。皆がヨハネを預言者と思っているから。」そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスも言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」

◆「二人の息子」のたとえ
「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

──マタイ福音書21章23-32節

2023年9月27日水曜日

今週の黙想文(詩32:10)

神に逆らう者は悩みが多く
主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
──詩編32篇10節


† † †

今は亡きApple社の創設者、故スティーブ・ジョブズはこのように語っています。
「毎朝、鏡の中の自分に問いかけてきた。『もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか?』と。NOと答える日が何日も続くようであれば、何かを変えなければならないということだ。」
この言葉は信仰者にとっても示唆を与えてくれます。
私たちもまた毎朝祈りのうちに、自分に問いかけることが必要なのではないでしょうか。
「昨日したこと、そして今日やろうとしていることは、本当に神様の御心に適うものだろうか?」
私たちがあらゆる悩みから抜け出すための唯一の方法は、神様に逆らわず、信頼をすることである、と詩編の祈り手は説いています。
自分が選び取りたい道ではなく神様が用意された道とはどのような道なのか、常に自分に問いかけ続け、自分自身のふるまいをキリストの姿に重ねていこうとすること。
そのような祈りから一日を始めたいものです。
(20230924週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年9月21日木曜日

次回24日・聖霊降臨後第17主日礼拝のご案内。

次週2023年9月24日(日)は聖霊降臨後第17主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「恵みの1デナリオン」

と題して、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

◆「ぶどう園の労働者」のたとえ 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

──マタイ福音書20章1-16節

2023年9月20日水曜日

今週の黙想文(ルカ7:14)

そして、近づいて棺に手を触れられると、
担いでいる人たちは立ち止まった。
──ルカによる福音書7章14節


† † †

死にたいと言った人への対応は「TALK」であるとTV番組で紹介されていました。
まず、心配していることを伝える(Tell)こと、
どうして死にたいのかを訪ねる(Ask)こと、
そのつらい気持ちを傾聴(Listen)すること、
そして安全な場所(必要な助け)を確保(Keep)すること、
だそうです。
聖書が語るキリストの姿は、これを体現しています。
一人息子を亡くした母親の葬列を見たキリストは憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言って、葬列の行進を止められます。
母親が喪主であることから、彼女はたった一人の家族を亡くしたことがわかります。
泣くことしかできない状況の中で、キリストは「泣くな」と言われます。
なぜならキリストこそが死の悲しみに深く傾聴し、死の行進を止め、その先で復活という新しい命をお与えになる方だったからです。
キリストは死の悲しみの只中にある一人一人に寄り添い「もう泣かなくともよい」という言葉をもって、私たちをいのちの希望へとつなぎとめてくださるのです。

(20230917週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年9月13日水曜日

次回17日・甲信地区一致礼拝のご案内。

次週2023年9月17日(日)は甲信地区一致礼拝(聖霊降臨後第16主日)の礼拝です。

松本教会・長野教会は
浅野直樹牧師の説教
「赦されているのなら」

と題して、
松本教会・長野教会は共に通信礼拝として、
甲信地区5教会がZOOMによりつなげられ、
それぞれの教会で10時半より礼拝が行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

──マタイ福音書18章21-35節

2023年9月7日木曜日

次回10日・聖霊降臨後第15主日礼拝のご案内。

次週2023年9月10日(日)は聖霊降臨後第15主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
鷲見達也牧師の説教
「真の兄弟へと」

と題して、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は通信礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、今週はYoutubeによる説教動画は更新されません。ご了承ください。

† † †

「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

──マタイ福音書18章15-20節

2023年9月6日水曜日

今週の黙想文(ヘブライ9:27)

また、人間にはただ一度死ぬことと、
その後に裁きを受けることが定まっているように…
──ヘブライ人への手紙9章27節


† † †

ある料理人が新しいレシピの作成に頭を悩ませていました。
知り合いの主婦にそのことを相談すると「あなたはなぜ料理を作るんだい?食べさせる人がいるからだろう」と言われてハッとしたという話があります。
料理は食べるために作るものであり、作って食べなければ本分が全うできないものだからです。
私たちの生についても同じことが言えるでしょう。
私たちの生涯は私たちがただそこに存在するためだけにあるのではありません。
何かそこに意味があるのです。
いずれ来る死という終わりがあるからこそ、私たちは限られた時間の中でどのように生きるべきかに目を向けさせられるのです。
キリストはその限られた時を、人々に神様の御心について語り、神様を信じて従う歩みに徹されました。
それは、信じる者への裁きが復活の命という形で報われることをお示しになるためでした。
私たちの生が明日終わるとしたら、今日私たちは神様のためにどのように生きるべきでしょうか?
(20230903週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年9月3日日曜日

聖霊降臨後第14主日礼拝。

本日9月3日は聖霊降臨後第14主日の礼拝でした。

松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として、
両教会10時半より守られました。

9月に入り、朝晩が冷えるようになってきました。
寒暖の差が激しい季節ですね。
体調を崩さないように気をつけてお過ごしください。
牧師も来週は休暇をいただきます。しっかりとリフレッシュしてきたいと思います。


*今週の祈り*

全ての人の救い主なる神様。
あなたは御子イエス・キリストを通して、あなたの御心と救いとを表してくださいました。
それは私たちの予想を超えた、全ての人への福音でした。
神様、あなたはいつも私たちの歩みを、救いのご計画の中に導いておられます。
今日御言葉を聞く私たちが、どうかそのことを心から信じることができますように。
私たちの目の前にある現実がどれほどあなたの救いから遠く、御心に反しているように見えたとしても、それでもあなたへの信仰のゆえに、あなたの御心を探し求めることを、私たちが諦めることがありませんように。

この世には信じられない悲しみがいくつもあります。
ああしておけばよかった、ああしなければよかったと、私たちは振り返って後悔することが多くあります。
そして未来の全てを見通すことのできるあなたに、その悲しみをぶつけることがあります。
私たちがあなたの御心ではなく自分の思いと願いに囚われているときにも、主よ、あなたは今日のキリストの言葉をもって、悔い改めを呼びかけておられます。
私たちを不信仰として断罪するのではなく、憐れみをもって寄り添ってくださり、私に従ってきなさいと、何度でも呼びかけてくださっています。
その先にある慰めと励まし、喜びと平安とを受けるようにと、招いてくださいます。
私たちがその招きに応え、振り返れば全てはあなたの御心であったと気付くことができ、また後悔に沈む私たち自身を、ゆるすことができますように。

心も体も疲弊しきっているこの時代、過ちを犯した人を徹底的に断罪することで、むなしく心を満たしている人々が多くいます。
主よ、あなたが与えられる永遠の平安と癒しとは、隣人を裁くのではなく赦すことから始まることを、教えてください。
あなたのみ言葉に耳を傾ける私たちから、その平安を一人でも多くの人々と分かち合うことができるように、どうか私たちを用いてください。
今日、様々な事情から教会に集うことのできなかった方々にも、あなたのみ言葉に聞く機会と祈りの時が与えられますように。
私たちの歩む道にあなたの姿が見当たらないと感じる時にさえ、あなたは私たちを導いておられることを信じ続ける、そのような信仰の歩みを、これからも支えてくださいますように。

***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*
※今週の動画は水曜日に更新されます




2023年9月1日金曜日

次回9月3日・聖霊降臨後第14主日礼拝のご案内

次週2023年9月3日(日)は聖霊降臨後第14主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「それでもあなたについていく」

と題して、
松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」

──マタイ福音書16章21-28節

2023年8月30日水曜日

今週の黙想文(ルカ12:20)

「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。」
──ルカによる福音書12章20節


† † †

たとえ話の中で、ある金持ちの畑が豊作となりましたが、彼はその実りを独占し、倉にしまい込んで明日からの生活に安心を得ようとしています。
しかしその夜、彼は神様によって自分の命がその日で尽きることを告げられるのです。
「お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか。」という神様からの問いかけは、私たちが持っているもの、そのいのちがいったい誰のものなのかということを改めて考えさせられます。

たとえ話の彼は、「(私の)作物」「(私の)倉」「(私の)魂」という言葉を使っています。
神様から与えられたいのち、神様から与えられた恵みという視点を捨て去ったからこそ、神様からの死の宣告は悲劇的に聞こえてきます。
しかしすべては神様から与えられたものという視点で生きていたなら、彼のいのちがその夜に失われたとしても、豊かな恵みを他に分け与え、皆からの感謝と祝福のうちに人生を終えられた人となったはずなのです。

だからこそキリストは、私たちのいのちが神様の御前において豊かになるように導いておられます。
それは同時に、神様から与えられた「いのち」が関わりあう人さえ豊かにするために与えられているものなのだと、示すことになるのです。

(20230827週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年8月27日日曜日

聖霊降臨後第13主日礼拝。

本日8月27日は聖霊降臨後第13主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として、
両教会10時半より守られました。

今日も大変暑い日でした。牧師もすっかり夏バテ気味です。
来週はもう九月に入りますが、少しは暑さが落ち着けばと願ってやみません。
皆様の健康が神様によって守られますように。



*今週の祈り*

愛の働きを私たちに委ねたもう主なる神様。
主よ、あなたは愛そのものです。
イエス・キリストとしてこの世にお生まれになり、その歩みを通して、あなたはすべての人の主なる神としての愛をお示しになりました。
そしてその愛が、あなたから私たちへという一方向だけではなく、私たちから他の人々へと広がっていくことをお望みになりました。
そのために、欠けた器である私たちを、あなたの愛を示す器として用いてくださいます。

あなたは愛です。
しかしこの世は愛に飢えています。
愛を失い、他者を省みることのできない人々が、自分勝手になり、誰かを傷つけてしまう、そのような現実がそこかしこにあります。
しかし主よ、そのような現実は、あなたがキリストとしてこの世に来られた時からそこにあり、弟子たちもまたその罪の誘惑に勝つことが出来ませんでした。
だからこそあなたは、私たちが何度でも悔い改めることのできるしるしとして、キリストの十字架を私たちに示してくださいます。
すべての罪を十字架のキリストのゆえに赦してくださった、あなたの憐みと愛が、今日も私たちに注がれていることを思い起こします。

どうか私たちが、日々のその時々において、キリストのみ言葉を思い起こすことが出来ますように。
人々との関わりに疲れ果てたキリストは、一人山に登り、あなたとの祈りの時を持ちました。
そのように、私たちもまた短くともあなたに祈る時間を取ることが出来ますように。
キリストは宣教から帰ってきた弟子たちに休むようにと言われました。
私たちもまた、あなたの愛に満ちた働きを担うために、十分な休息を取ることもまた、あなたが求めておられることを思い起こすことが出来ますように。
そしてあなたが今日ペトロに告げられたように、私たちの働きが、キリストのように誰かに寄り添い、癒し、慰め、迷い苦しむ誰かを神様へとつなげる働きとして用いられますように。

今日教会に集うことのできなかった方々の上にも、あなたの導きがありますように。
また病の中にある人に、癒しと十分な休息をお与えください。
私たち一人ひとりがこの教会を支える柱として立たされていること、そのために私たちが出来る精いっぱいの働きを、あなたが御心の内に委ねてくださっていることをおぼえ、感謝してそれを担っていくことが出来ますように。

***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年8月24日木曜日

次回27日・聖霊降臨後第13主日礼拝のご案内。

次週2023年8月27日(日)は聖霊降臨後第13主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「教会の礎はあなた」

と題して、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

──マタイによる福音書16章13-20節

2023年8月23日水曜日

今週の黙想文(ガラ5:14)

律法全体は、
「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
──ガラテヤの信徒への手紙5章14節


† † †

次のような話があります。
目の不自由な人が夜遅く友人の家から帰ろうとします。
すると友人は灯りのついた提灯を渡します。
その人は「目の不自由な私には提灯はいりません」といいました。
すると、「あなたには提灯はいりませんが、あなたが持っていないと、目が見える人があなたに気がつかずぶつかって危険かもしれません」と教えてくれたという話です。
キリストは律法を「隣人を自分のように愛すること」と要約しました。
隣人を愛するためには、まず自分を愛することから始まると言います。
この自分への愛は、キリストが「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい」と言われたように、神様からの愛が前提となっています。
したがって、隣人を自分のように愛することとは、神様が私たちをどのように愛してくれているのかを知ることから踏み出していける愛の形なのです。
神様が私たち一人ひとりをどのような愛のまなざしで見つめておられるのか、その目線で隣人を見つめ、神様から受けた愛を分かち合うような関わりを持ってまいりたいものです。

(20230820週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年8月20日日曜日

聖霊降臨後第12主日礼拝。

本日8月20日は聖霊降臨後第12主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として、
両教会10時半より守られました。



松本教会の玄関の手すり付きスロープが新しく設置され、教会横の塀が新しくなりました!
特に手すり付きスロープの設置は、バリアフリー化という意味でもこれから必要な設備として設置できたことをうれしく思います。
どうぞご活用ください。

*今週の祈り*

祈りを聞き届けたもう主なる神様。
あなたは私たちの祈りをいつも聞いておられます。
私たちにとってどのような応答が一番良いかに、心を注いでくださっています。
あなたからの応答は私たちが願うようなものでないこともしばしばあります。
しかしそれをあなたの御心として受け取り、そこにどのような意味が込められているのかを、あなたへの信頼をもって聞き取っていくことが出来ますように。
主よ、あなたはわたしたちへの愛を欠かすことなく、私たちが御心に適う生き方へと導かれるようにと、様々な形を通して祈りに答えをくださいます。
すべてのことに意味があり、今私たちが抱える重荷や悩みが取り除かれなくとも、あなたによって支えられ、振り返って見れば必ずあなたからの導きがそこにあったと思い起こすことが出来るような道を示してくださいます。
私たちがあなたに祈りを捧げる時、私たちの中には切実な願いがあります。
たとえ私たちの目にはすぐにあなたの応答が見えなくとも、あなたが確かに応えてくださることを信じて祈り続けることが出来ますように。
また、祈りを通じて自らを省みる機会を与えられますように。
そしてキリストがそうであったように、私たちもまた誰かとの関わりのうちに、その人の歩む先に心を向けて、必要な言葉をかけていくことができますように。
世界には様々な人と人との分裂があります。
すれ違いや勘違いによって関係を損なってしまう人、自分の欲望を抑えられず事件を起こしてしまう人、また過労やストレスのゆえに自死を選んでしまう人がいます。
わたしたちの心はもろく、弱く、迷いやすいものです。
だからこそあなたという支えと導きがなければ、私たちは簡単にあなたの御心から外れてしまいそうになります。
主よ、私たちが歩むべき道と、愛と配慮に満ちた関わり合いとを示し、私たちがそれに倣っていくことができるように、共にいてください。
祈りをもって、私たちの思いを受け止めてください。
そしてどうか、傷ついた一人ひとりがあなたの憐みによって癒され、再びあなたの御心に立って歩んでいけるような励ましを与えてくださいますように。
そしてなによりも、私たちに絶えず祈ることを教えて下さいますように。

***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年8月17日木曜日

次回20日・聖霊降臨後第12主日礼拝のご案内。

次週2023年8月20日(日)は聖霊降臨後第12主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「彼女の祈りが届いた理由」

と題して、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

──マタイ福音書15章21-28節

2023年8月16日水曜日

今週の黙想文(使27:15)

船はそれに巻き込まれ、
風に逆らって進むことができなかったので、
わたしたちは流されるにまかせた。
──使徒言行録27章15節


† † †

仏教のお経に出てくる架空の鳥で「寒苦鳥」というものがいます。
この鳥の特徴は巣を造らず、ヒマラヤの寒い夜を、寒苦鳥の夫婦はお互い抱き合って震えて過ごすのです。
そして「明日は必ず巣を作ろう」と話しあいます。
しかし朝がきて太陽の光で温かくなると、そのことを忘れて「巣をつくるなんて無駄だ、すべては神様におまかせしよう」というのです。
仏教では愚かさを教える話ですが、神様に委ねるということの大事さも聞き取れます。
パウロをローマへと護送する船が嵐に遭っています。
パウロの忠告を聞かなかったことで、人々は流されるにまかせて難破するのです。
しかしパウロだけは神様に「まかせた」ことで御言葉を聞き、怖れ迷う人々を力づけることができました。
神様に委ねるということは、自分がやれることは全てやりつくした上で、神様を信じて「まかせる」ということなのです。

(20230813週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年8月13日日曜日

聖霊降臨後第11主日礼拝。

本日8月13日は聖霊降臨後第11主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として、
両教会10時半より守られました。

本日は長野教会での礼拝後、プチ修養会が行われました。
先日東京教会で行われた宣教フォーラム「五感に響く豊かな礼拝」の講義部分を皆で視聴し、よき学びの時となりました。


礼拝堂に設置したスクリーンが役に立ちました。
通信礼拝時だけでなく、今後もこのような時にも活用されればと思います。

大変暑い日が続き、台風も迫ってきていますが、一人一人の生活が守られ、必要な助けが与えられますように祈りつつ、1週間を過ごしてまいりたいと思います。

*今週の祈り*

私たちを見つめておられる主なる神様。
あなたは天地創造の始めから、私たちの罪をご存じです。
あなたに心を向けることさえ難しい時がある、信仰の薄い私たちを、それでもあなたは愛と憐れみをもって、心を注いでくださっています。
荒れ狂うこの世の嵐のなかに歩むときにも、あなたのまなざしは途切れることなく、私たちがあなたに心を向けることを待ち望んでおられます。
どうか私たちが、そのようなあなたの憐れみと愛に満たされていることを、いつも思い起こすことができますように。
今日の日課の中で弟子たちがひどい嵐に遭ったように、台風の被害を各地が受けています。
台風6号が通過した沖縄・九州においても、多くの人々が避難し、中には家を失った人、天へと召された人もいたと聞きます。
主よ、どうか被害を受け、今なお苦難の中にある人々の上に、必要な助けをお与えください。
また、台風7号も関東に迫ってきています。
どうか被害が最小限に抑えられますように。
私たちが自分のことだけに精いっぱいになるのではなく、共に助け合い、支えあいつつ、日々迫りくる嵐を乗り越えていくことができますように。
主よ、あなたの御許に召された方がおられます。
この地上において、あなたへの信仰を示すことがなかったとしても、御国の門の前において、あなたへの招きを受けることができますように。
陰府にまで降り、全ての人々を御国の救いへと招いてくださるあなたの憐れみによって、全ての人が悔い改めをもって受け取ることができますように。
新しい命が与えられた家族がおられます。
主よ、新しい命の誕生という奇跡を与えてくださったことに感謝します。
どうかあなたが共にあって、その成長を守り導いてください。
そしてどうか、あなたのみ言葉に耳を傾け、その愛に生きる者として二人を立ててくださいますように。
今日教会に集うことのできなかった方々一人一人に、あなたの御手がのばされ、その心に平安が与えられますように。
十分な休息と癒しをもって、新しい一週間を歩みだすための力を、どうか私たち一人一人のうちに備えてくださいますように。

***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年8月10日木曜日

次回13日・聖霊降臨後第11主日の礼拝案内。

次週2023年8月13日(日)は聖霊降臨後第11主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「あなただけを見つめて」

と題して、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

──マタイによる福音書14章22-33節

2023年8月9日水曜日

今週の黙想文(箴11:12)

心ない者は友人を侮る。
英知ある人は沈黙を守る。
──箴言11章12節


† † †

箴言は旧約聖書の中で知恵文学と呼ばれています。
生きていく中で起こる問題や試練を乗り越えるために必要なのが聖書における知恵であり、その集積が箴言です。
「英知ある人は沈黙を守る」という言葉には、むやみに隣人や友人の欠点を口にせず、沈黙を守ることで得られる恵みがあるという意味が込められています。
しかしそれだけではありません。
ある本に真のリーダーの資質について「リーダーは口を閉ざす」ことが大事であると書かれていました。
その意味は、「人の意見を聞く」ということです。
人の話を聞くためには自分は沈黙しなければなりません。
キリストも教えを語られるとき、繰り返し「耳あるものは聞きなさい」と言われます。
私たちの耳が隣人へと開かれているか。
人の意見を引き出し、耳を傾けようとしているか。
まず「聞くという奉仕」に徹してこそ、私たちはキリストが教えられた愛、隣人の立場に寄り添い生きる愛に、踏み出していくことができるのです。
そしてそれこそが、神様が私たちに教えようとしておられる最も深い知恵であるのです。

(20230806週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年8月7日月曜日

牧師エッセイ(2023年8月)

「平和」という言葉は本来、私たちにとって失われてはならない言葉であると思います。
しかし近年ではこの「平和」という言葉が、色々なところで軽く扱われているように思います。
実際には平和とは思えない言動や行動をしていながら平和を標榜する、そのような例は世界中でいくつも挙げられるからです。
「平和」という言葉だけではありません。「正義」や「正しさ」、時には「あなたのためを思って」という善意さえ、その言葉とは逆の現実を生み出すことがあります。

聖書は神様が平和を望み、正義と善──愛に満ちた関わりに生きるようにと私たちに勧めています。
それに従って生きようと思うことは何も間違ってはいません。
しかし私たちのうちには、それを間違った形へと変えてしまおうとする罪もまたあることを、注意しなければならないのだと思います。
パウロも引用しているように、「彼らは隣人と平和を語りながら、その心には悪があるのです。(詩編28:3)」と聖書は人間の現実を叫んでいるからです。

私たちの平和、正しさは、御言葉に照らして、神の愛に照らして、自分のためではなく相手のための正しさに、平和をもたらす歩みに、立てているだろうか。
そのように私たちがいつも自分自身を振り返り、問い直し続けることでしか、罪から逃れるすべはありません。
だからこそキリストは、私たちが絶えず悔い改めることができるように、私たちの罪を十字架において背負ってくださったのです。
平和を覚える時、パウロの言葉を胸に刻みたいと思います。

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。…十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。(エフェソ2:14)」


アンソニー・ヴァン・ダイク
「十字架の聖フランチェスコ」

2023年8月6日日曜日

平和主日礼拝。

本日8月6日は平和主日の礼拝でした。

松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として、
両教会10時半より守られました。

本日は礼拝後、数年ぶりに教会学校のデイキャンプを行うことが出来ました。
礼拝では平和のことについて考え、平和をわかちあう言葉を届けるために、手作りのちぎり絵ポストカードを作りました。


水遊びも大賑わい!みんなでワイワイ楽しく遊ぶことが出来ました。
皆さんの毎日がこれからも神様に守られますように。


*今週の祈り*

世界の平和の主である神様。
あなたはこの世界を良いものとして創造されました。
しかし今なおこの世界はあなたの御心から離れ、世界と人々を傷つけ壊す力ばかりを貯めこんでいます。
特に今日は、日本で初めて、広島に原爆が落とされ、多くの人々が命を奪われたことを思い起こす日として、守られています。
今なおその苦しみを語り継いでいる人々がいます。
戦争が過去のものではなく、今なお起こりうる現実であり、一人一人がそれを受け止め、二度と繰り返すことのないように、考え歩んでいくことができますように。
平和のために、抑止力として必要だという理由で、国々が核兵器を用いている現実があります。
そのような中で、どうかあなたが真の平和を示してください。
恐怖や力の強さによってねじ伏せられるかりそめの平和ではない、人々が赦しあい、心から平安を分かち合うことのできる関係性を目指していくことができますように。
そのために、私たち一人一人を用いて、人々のうちに平和をもたらすものとして、立ててください。
私たち自身の心が平安であるかどうかを祈りの中に問いかけ、あなたによって平安に満たされますように。
私たちの言葉や行動が、誰かを傷つけてしまってはいないかということを思い起こし、悔い改めをもってあなたのみ言葉に立っていくことができますように。
そしてどうか、この教会が平和を証しする群れとして整えられますように。
主よ、今日様々な理由から、教会に来ることのできなかった人々がいます。
施設にお住まいの方、自宅で祈りを合わせておられる方、病と戦っておられる方がおられます。
どうかその一人一人の祈りを束ね、私たちの祈りと共に一つにしてください。
全ての祈りを通して、あなたから全ての人々へ、平安がもたらされますように。

***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*




2023年8月3日木曜日

次回8月6日・平和主日の礼拝のご案内。

次週2023年8月6日(日)は平和主日の礼拝です。

松本教会・長野教会は
野口和音牧師の説教
「愛の大槌で心を打ち直す」

と題して、
松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より行われます。


どうぞご自由にお越しください。
信徒の方で説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、松本教会・長野教会YouTubeチャンネルをご覧ください。

† † †

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

──ヨハネ福音書15章9-12節

2023年8月2日水曜日

今週の黙想文(マタイ8:8)

ただ、ひと言おっしゃってください。
そうすれば、わたしの僕はいやされます。
──マタイ福音書8章8節


† † †

キリストのもとに、ローマの百人隊長がやってきてこのように言いました。
ユダヤは当時ローマ帝国の支配下にありましたから、ユダヤ人たちと、ユダヤの治安を統治するローマの兵士たちは、お互いに良い関係ではなかったはずです。
そのような関係性の壁を超えて、敵国の兵士、しかも百人隊長という地位のある人がキリストの許へとやってきて、自分の部下を癒してほしいと懇願するのです。
その言葉には自らが地位と権力を振るう側であるからこそ、従う相手と、従う立場をわきまえている姿が現されています。
あるお寺の一言にこのようにありました。
「たった一言が、人の心を傷つける。たった一言が、人の心を温める」。
私たちもまた、この世においては様々な上下関係、人間関係のうちに生きています。
しかし等しく神様の子どもとされたわたしたちであるからこそ、私たちが誰かに言葉を投げかけるとき、それが誰かの心を温めるものでありたいと思います。

(20230730週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2023年7月30日日曜日

聖霊降臨後第9主日礼拝。

本日7月30日は聖霊降臨後第9主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として、
両教会10時半より守られました。

大変暑いですね。殺人級の夏日だという話です。
熱中症に気を付けて過ごしたいと思います。
松本教会で着々と入口のスロープと塀の工事が進んでいます。




*今週の祈り*

天の国の与え主なる神様。
あなたはキリストを信じる者に、天の国における救いを約束してくださいました。
それは、私たちからあらゆる罪の苦しみを取り除き、あなたの御心に適って生きることができるようになるという救いです。
主よ、私たち一人一人が、それぞれに重荷を抱えています。
誰かとの関係性を整えることと同時に、主よ、どうか私たち一人一人があなたによって癒され、平安のうちに安らぐことができますように。
主であるあなたと私たち一人ひとりとの関係性の中に、まず天の国を来たらせてください。
私たちのいのちが地上に生きながらあなたの御国の福音に満たされ、それを待ち望むものとして、私たちを整えてください。

あらゆるところで平和が乱されているこの世において、私たち一人一人があなたとの関係性の中で平和を保つことができますように。
日々のうちにあって、これまで出来ていたことができなくなってくること、老いや病、体や心の変化によって不安や苦しみ、重荷を抱えることがあります。
主よ、そのような私たちと共にあって、私たちに御手を差し伸べてください。
私たちが歩んでいる十字架の道に、あなたもまた立って歩んでおられることを、信じさせてください。
私たち一人一人の心がまずあなたによって慰められ、満たされることを通して、あなたの御心に適った歩みへと向かう力が与えられますように。
既に天へと召された一人一人の人が、あらゆる苦しみから解放されて、どうかあなたの御許で安らいでいることを信じます。
あなたがもたらしてくださる天の国が実現するその時まで、信仰の先達者の方々を心に留めつつ、私たちもまたそれぞれに悔い改めをもって、信仰を整えることができますように。
今日、教会に集うことのできなかった方々のために祈ります。
場所は違えども、祈りを一つにしている人々がおられます。
どうかあなたのみ言葉をもって慰め、一人一人の信仰を支えてください。
病の中で、その苦しみと不安の中にある人々に、どうかあなたが寄り添ってくださり、支えてくださいますように。
私たちの歩みの全てを整えてくださる神様に全てをゆだねつつ、明日からの日々が御心のままに守られますように。

***

*説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルよりご視聴できます。*