2022年12月29日木曜日

次回2023年1月1日・元旦礼拝のご案内

次週2023年1月1日(日)は元旦・降誕節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「『はい』と『よし』の一年へ」

と題して、
松本教会では主日礼拝として14時から
長野教会では家庭礼拝として、行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

──マタイによる福音書2章13-23節

2022年12月28日水曜日

今週の黙想文(使20:35)

受けるよりは与える方が幸いである
──使徒言行録20章35節


† † †

キリストは多くの言葉を語られましたが、福音書だけではなく、パウロによって伝えられているキリストの言葉もあります。
その一つが、今日のキリストの言葉です。「受けるよりは」とキリストは言いますが、意外と「受けるより『も』与える方が…」と覚えている人もいるのではないでしょうか。
キリストは、受けることと与えることは二者択一のものではなく、受けることなしに与えることはできないことを教えているのです。
私たちが与える幸いを受ける前に、私たちが日々の中で受けている様々な幸いに目を向けるところから始めてみましょう。
私たちの幸いを願い、私たちのためを思って動いてくれている人々が必ずいるからです。
その筆頭が神様であり、クリスマスに与えられたイエス・キリストの誕生と御言葉との出会いこそが、あなたを誰かに幸いを与える者へと変えていくのです。

(20221225週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年12月25日日曜日

クリスマスイヴ・クリスマス主日礼拝【礼拝動画】

12月24日は、クリスマスイヴ・キャンドルサービス、
そして本日25日は、クリスマス主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
イヴ礼拝は松本教会は18時から、長野教会は10時半から守られました。

また、24日16時からはこどもクリスマスも行われました。


子どもたちと共に、クリスマスツリーの飾りの意味について学び、オーナメントのクラフトづくりを楽しみました。
そして、翌日25日のクリスマス礼拝は、松本教会が10時半から、長野教会が15時半から、両教会聖餐礼拝として守られました。




24日の長野市は朝から大雪で、2時間近く雪かきに追われました。
幸いにもその日だけで、翌日クリスマスには止んでいたのでホッと胸をなでおろしました。
今年は雪の多い冬になりそうですね。足元に気を付けてお過ごしください。

今日で今年の礼拝は最後でした。次回は2023年1月1日(日)の元旦礼拝となります。
長野教会は各自家庭礼拝となり、礼拝堂は開いておりません。
松本教会は14時からの礼拝となります
どうぞお時間にお間違えの無いよう、お越しください。
よいお年をお迎えください!


**24日・25日の礼拝動画**

24日・クリスマスイヴ・キャンドルサービス



25日・クリスマス主日礼拝


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は松本教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**
<24日>
ルカによる福音書2章1-20節
<25日>
イザヤ書52書7-10節〈旧p1148〉
ヘブライ人への手紙1章1-4節〈新p401〉
ヨハネによる福音書1章1-14節〈新p163〉


<24日>
説教「それでも、あなたと共に」
<25日>
説教「暗闇の中の光として」

*祈り*

神の言葉であり、救いの光であり、永遠の命の与え主なる神様。
今年も一年最期の主日を迎え、共にあなたのみ言葉に聞くことが出来ることを感謝いたします。
この一年の歩み、私たちの信仰生活を振り返り、あなたに心を向けます。
そこには多くの大変さがありました。
一人ひとりが悩める重荷を抱えることがあり、様々な事情によって大変なことを乗り越えなければならないときがありました。
教会が閉じた時もあり、また施設から出れずに教会に足を運ぶことが出来ない方もいらっしゃいました。
共に信仰の旅路を歩んだ兄弟姉妹を天へと見送り、ご家族の方々と共に寂しさと悲しみに暮れることもありました。
しかし主よ、あなたはそのような私たちといつもともにあって、み言葉を通して励まし、支え、悔い改めさせ、立たせてくださいました。
そして今日、幼子の誕生のみ言葉を通して、わたしたちがあなたを求めようとしていないときにさえ、救いと導きの光として、み言葉をもって呼びかけておられることを教えておられます。
どうかわたしたちのこれからの歩みが、あなたのみ言葉と共にあって、あなたへの深い理解のゆえに、より一層あなたが私たちの隣において、共に働き、いつでも希望を失うことのない確かな光として私たちの心を照らしてくださいますように。
私たち一人ひとりの状況だけではなく、私たちを取り囲む日本と世界の状況のなかにあっても、大きな混乱の中にあります。
先行きの見えない未来に、取り除くことのできない不安が募ることもあります。
そのような暗闇の中にある私たちと、そして未だキリストに出会っていない一人ひとりのもとに、あなたが新しいいのちと光を携えて、み言葉としての出会いを与えてくださいますように。
そして、私たち一人ひとりと共に、この一年の最後まで、歩みとおすことが出来ますように。

2022年12月22日木曜日

【再掲】松本教会2022年クリスマス礼拝・こどもクリスマスのご案内。

松本教会、12月のクリスマスイベントのお知らせです!
※注意※こどもクリスマスは日付が変更されました!



★こどもクリスマス★
12月17日(土)10時~12時
12月24日(土)16時~17時30分
※日時が変更されました※
 キャンドルサービスのほかにも、
光るオーナメント作りやプレゼントもあります!
参加費無料(礼拝での自由献金はあります)


★クリスマス・イヴ礼拝★
12月24日(土)18時~19時
ロウソクの灯火に照らされながら
イエス・キリストの誕生をお祝いしましょう



★クリスマス礼拝★
12月25日(日)10時30分11時30分

問い合わせ、お申し込みは以下にお願いいたします。

==問い合わせ・申し込み==
日本福音ルーテル松本教会
(宮渕1-4-9 ℡0263-33-5242)


†会場の松本教会はこちらです†


【再掲】長野教会・2022年クリスマス礼拝のご案内。

長野教会・12月のクリスマス礼拝のお知らせです。


★クリスマスイヴ礼拝★
12月24日(土) 10時30分~11時30分

★クリスマス礼拝★
12月25日(日) 15時30分~16時30分



どうぞどなたでもお越しください。
お待ちしています。

==お問い合わせ==
日本福音ルーテル長野教会
(上松4-29-7 ℡026-241-4006)

†会場の長野教会はこちら†
長野駅からアルピコ交通で「湯谷南」下車、徒歩2分です。


2022年12月18日日曜日

待降節第4主日礼拝。【礼拝動画】

本日12月18日は、待降節第4主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、松本教会は通信礼拝として、長野教会は信徒礼拝として守られました。
諸事情により今週まで、礼拝動画は録音のみとなります。
皆様のご健康が守られますように祈っています。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※画像は松本教会の礼拝堂となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書7章10-16節〈旧p1071〉
ローマの信徒への手紙1章1-7節〈新p273〉
マタイによる福音書1章18-25節〈新p1〉


説教「あなたにも頼みたい」

*祈り*

私たちの導き主なる神様。
あなたの救いのご計画は、旧約聖書の時代、キリストがお生まれになる前から、定められていました。
その救いを成し遂げるために、主よ、あなたは多くの人々を立てられました。
しかし、神によって立たされた人々は、その言葉を聞かれることなく退けられ、傷つき、命を奪われることばかりであったと聖書は語ります。
そのような罪の現実は、今なお私たちのうちにあって、今なお人と人とが傷つけあうこと、あなたの御心に生きることのできない世界が、私たちの目の前にあります。
主よ、それでもあなたが私たち一人ひとりの救いを諦めてはおられないことを、信仰者一人ひとりがここにあって、み言葉を聞いていることを通して証してください。
これまで教会を支えてきた多くの方々が、次々にあなたの御許へと召されています。
その方々の信仰を通してあなたが御業のためにお一人お一人を用いてくださったことをおぼえます。
そしてそのつながりの中で今日私たち一人ひとりもまた、あなたの愛へと押し出されていることを、心に刻みます。

祈ることをわたしたちに教えて下さい。
キリストが御心に適った生涯を歩み続ける中で、絶えず祈りのうちにあったことを、福音書は教えています。
わたしたちもまた、祈りをもって自らの信仰を悔い改め、祈りをもって誰かの慰めと励ましを願い、祈りをもって、あなたと共に生きる恵みと喜びへと導いてください。
そしてどうか、孤独と悲しみの暗闇の中にある人々の心に、御子による救いの光が灯されるように、私たちを分かち合い祈り合う者として、送り出してください。
私たち一人ひとりが、喜びをもって主を待ち望み、主に仕え、主の歩んだ道をたどり、あなたの御心に適って用いられる生涯の歩みを、これからも続けることが出来ますように。






2022年12月15日木曜日

次回18日・待降節第4主日礼拝のご案内。

次週2022年12月18日(日)は待降節第4主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたにも頼みたい」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

──マタイによる福音書1章18-25節

2022年12月14日水曜日

今週の黙想文(エレ17:10)

心を探り、そのはらわたを究めるのは
主なるわたしである。
──エレミヤ書17章10節


† † †

人の心に寄り添うことの大事さを聖書は私たちに教えますが、なかなか難しいものだと思います。
生きてきた背景も経験も価値観も一人ひとりが違うからです。
誰しも、他者の心を全て理解できる力を持ってはいないのです。
だからこそ、私たちの力の限界は、とにかく相手のことを知り、その心を想像する他ないでしょう。
しかしエレミヤの預言を通して、神様だけは私たちの心のすべてをご存知であると言われます。人間の力によってのみ誰かに寄り添おうとするのではなく、全てをご存知である神様にこそ、祈りをもって聞いてみることが大切であると聖書は語るのです。
なぜなら、私たちの心と誰かの心を結び合わせ、近くしてくださるのは、他ならぬ神様の導きであるからです。
キリストが単なる模範としてだけでなく、共に生きるものとして、今日も私たちの心に寄り添い、導いてくださっていることを覚えつつ、祈りをもってその背中に従う者でありたいと思います。

(20221211週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年12月11日日曜日

待降節第3主日礼拝。【礼拝動画】

本日12月11日は、待降節第3主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
松本教会は通信礼拝として、長野教会は家庭礼拝として守られました。
諸事情により礼拝動画は録音のみとなります。
皆様のご健康が守られますように祈っています。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※画像は長野教会の礼拝堂となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書35章1-10節〈旧p1116〉
ヤコブの手紙5章7-10節〈新p426〉
マタイによる福音書11章2-11節〈新p19〉


説教「機械仕掛けの神様なんて必要ない」

*祈り*

この世の救い主なる神様。
あなたは全ての人々をお救いになるために、御子イエス・キリストをこの世へと送られました。
そして、復活のキリストが天へと召されたあとも、一人でも多くの人々があなたのみ言葉に耳を傾けることができるよう、今日もまたみ言葉を通して呼びかけ続けておられます。
あなたが立てた洗礼者ヨハネは、その偉大な働きを担いながら、無残な最期を遂げました。
神の御子キリストもまた、あなたの御力を委ねられながらも十字架の死と苦しみを受けられました。
ここに、私たちとあなたとの関係が示されています。
あなたは私たち一人ひとりの苦しみをただ取り除かれるのではなく、そのように祈る私たちの願いをただかなえられるということはありません。
それは、私たちにとってふさわしい道と、救いが備えられ、私たちの願いとは別に、あなたが確かに導いておられるからです。
祈りが聞き届けられないように感じるときにこそ、ヨハネがキリストの言葉を受けたように、私たちの歩みに生きる神様の働きを思い起こさせてください。
私たち一人ひとりを通して神様がより大きな救いの御業を起こそうとしておられることに、心を向けることが出来ますように。
主よ、あなたはキリストを通して、私たちの死が滅びではなく、新しい復活のいのちへとつなげられていることを示してくださいました。
信じる者が一人も滅ぶことのないようにと願っておられるあなたの御心に感謝します。
どうか主よ、あなたのみ言葉に触れることなく、また洗礼を受けることなく天に召された方々に、あなたが救いの御手を延ばし、天上において悔い改めのみ言葉を語ってください。
またこの地上において、共に生きた人々との別れに寂しさと悲しみを抱えている私たち一人ひとりにも、どうかあなたが慰めをもって支えてください。
私たちがあなたを動かすのではなく、あなたが私たちを御心のままに救いへと押し出してくださいますように。
どのような現実の中にあってなお、あなたに支えられ、すべてが私たちの救いにつなげられていることを信じ、祈ります。
私たちの心も、身体も、すべてをお救いください。






2022年12月8日木曜日

次回11日・待降節第3主日礼拝のご案内。

次週2022年12月11日(日)は待降節第3主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
デウス・エクス・マキナ             
「機械仕掛けの神なんて必要ない」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。

野口牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、 尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 わたしにつまずかない人は幸いである。」 ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。 では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。 では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。 はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。

──マタイによる福音書11章2-11節

2022年12月7日水曜日

今週の黙想文(1テサ5:25)

兄弟たち、わたしたちのためにも祈ってください。
──テサロニケの信徒への手紙 一 5章25節


† † †

テサロニケの教会にあてた手紙の締めくくりに、パウロは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい……」と勧め始めますが、その最後にテサロニケの人々がパウロのために祈ってくれるようにと願っています。
そして、「この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるように、わたしは主によって強く命じます。」と締めくくるのです。
パウロは、私たちの祈りが自分の求めのためだけでなく、他の誰かのための祈りとしても捧げられるべきであることを教えています。
まさにパウロとテサロニケの教会の人々との関わりにおいて、相互に祈り合うこともまた、まさに喜びと感謝、慰めと励ましをお互いに生むことになるものだからです。
隣人のために祈るには、その人のことを深く知ることから始まります。
私達が決して一人では生きていないように、ともに神様に生かされている一人ひとりとして関わり合うことから、私達の日々の祈りもまた豊かになるのです。

(2022/12/04週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年12月4日日曜日

待降節第2主日礼拝。【礼拝動画】

本日12月4日は、待降節第2主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として守られました。
松本教会では礼拝後にクリスマスツリー立てを行いました。
新型コロナウイルスが再び猛威を振るう中ではありますが、どうぞ皆様の健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書11章1-10節〈旧p1078〉
ローマの信徒への手紙15章4-13節〈新p295〉
マタイによる福音書3章1-12節〈新p3〉


説教「悔い改めは愛のため」

*祈り*

愛の主なる神様。
あなたが幼子イエス・キリストを私たちに御遣わしになったのは、キリストを十字架へと捧げ、私たちの全ての罪を赦してくださるためでした。
それは、私たち人間が自分の力ではどうしようもなく、自分のことしか考えることが出来ず、ついには他者を傷つけ、蔑み、その関係に破れを生んでしまう罪を抱えているからです。

主よ、長く続くコロナ禍と、何もかもが不安定な世の中にあって、自分一人のことで精いっぱいになり、他者を思いやることが出来ず、ついには他の誰かを傷つけてしまうという悲しいニュースが相次いで報道されています。
その根っこには、あなたがキリストにおいて示してくださった他者への共感と愛が失われています。
クリスマスが近づく季節にあって、どうかこの世の全ての人々が、キリストを通してあなたの福音と愛に与ることが出来ますように。
他者を省み、悲しみには慰めを、喜びには分かち合いを、苦しみには共感を起こすことができるよう、どうか幼子イエス・キリストを通してあなたが示してくださった福音に、一人でも多くの人々が触れることが出来ますように。

混乱する世界情勢と、自衛と牽制のためにと核やミサイルといった暴力を誇示する隣国の動きにつられるように、私たちの国も、「反撃能力」の保有へと進みつつあると聞きます。
主よ、あなたが力に対して力でねじ伏せようとするのではなく、むしろ赦しと祈りによってそれを乗り越えようとされたことが、キリストの十字架において表されていることをおぼえさせてください。
力をもって、どちらが強いか、どちらが上なのかと競い合うのではなく、神様の前にあって等しく平和を願われていることに、悔い改めをもって立ち返ることができるようにしてください。
そしてそれは、私たち一人ひとりが関わりあう人々との関係性の中においても、同じでありますように。

一人ひとりが心の平安を失いがちな今日にあって、今日の悔い改めの呼びかけをどうか私たちの心に刻んでください。
先んじて与えられたあなたの愛によって、私たちが共に祈りあい、支えあうことによって、この苦難の時を乗り越えることが出来ますように。





2022年12月1日木曜日

次回12月4日・待降節第2主日礼拝のご案内。

次週2022年12月4日(日)は待降節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「悔い改めは愛のため」

と題して、
松本教会では聖餐礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。

野口牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。 これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」 ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。 そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、 罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。 ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 悔い改めにふさわしい実を結べ。 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

──マタイによる福音書3章1-12節