2021年4月29日木曜日

次回5月2日・復活節第5主日礼拝のご案内

次週2021年5月2日(日)は復活節第5主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「新しい枝を伸ばすために」

と題して、10時半より、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として行われます。
どうぞご自由にお越しください。牧師は松本教会におります。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。

──ヨハネ福音書15章1-8節

2021年4月28日水曜日

今週の黙想文(列上19:7)

起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ。
──列王記上19章7節


† † †

預言者エリヤは、当時バアルの神々を信仰するようになっていたイスラエルの人々とその預言者たちを打ち負かしましたが、いっそう命を狙われることになりました。
私たちの日々の中にも、一難去ってまた一難という言葉のように、努力しても思い通りの結果にならずに気落ちしてしまうことがあります。
私たちの人生の歩みも、時にこのエリヤのように報われない、辛く長い旅のように思われるかもしれません。
しかしその時、神がエリヤにかけた言葉は、もっと頑張りなさいとか、信仰を強く保ちなさいという言葉ではありませんでした。
「起きて食べよ」です。
私たちが心も体も疲れ切っているとき、まず何が必要なのかを神様はご存知であるのです。
そして、今一番必要なものを与えてくださるのです。
神が指示されるのは私たちの心の問題、信仰の歩みについてだけではありません。
私たちに今一番必要なものは何かを、神様にこそ聞いてまいりましょう。

(20210425週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年4月25日日曜日

復活節第4主日礼拝。 20210425

本日25日は、復活節第4主日礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られました。


お昼を過ぎて礼拝堂の電気を消すと、ガラスになっている十字架と、礼拝堂横の窓から差し込んだ陽が重なって床にも十字が切られているように見えました。
「横の棒は私たち、縦の棒はイエス様。横に広がる私たちの間に、イエス様は天から一番低いところまで降りてきてくださったんだ」といつか教えられたことを思い出しました。

善い羊飼いとしていつまでも私たちを導くために生まれてくださったキリストを信じつつ、ひとりひとりのいのちに目を向け、心をかける、そのような交わりを保ってまいりたいと思います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録4章5-12節〈新p219〉
ヨハネの手紙 一 3章16-24節〈新p444〉
ヨハネによる福音書10章11-18節〈新p186〉

説教題「その愛が生まれた理由」

*祈り*

ひとりひとりのいのちを愛したもう主なる神様。
あなたは私たちの罪とその現実をよくご存知です。
世において、誰もが自分のことで精いっぱいになっています。
再びの緊急事態宣言が出される中、補償もなく苦しい生活を強いられている人々、余裕をなくし、怒りと悲しみを叫んでいる人々がいます。
また、入管法の改正案が出される中、難民申請がいっそう通らなくなり、命の危険がある母国へと強制送還されそうになっている人々がいます。
病にかかっても十分な治療を受けられず、母国から遠いこの国で、家族にも会えずに亡くなられた方もおられます。

主よ、あなたはキリストを良き羊飼いとしてわたしたちの元へと送り出してくださいました。
それは、苦しみの中にあるひとりひとりを、愛によって救い出してくださるためでした。
さらにはそうして救い出された一人ひとりを、愛に満ちたいのちの交わりへと送り出してくださいます。

あなたが愛をもって私の命を救ってくださったように、わたしたちが関わりあうひとりひとりのうちにも、あなたが愛されたいのちを見出すことが出来ますように。
そして私たちのうちにあなたの愛を満たしてください。
どうかひとつでも多くのいのちを救うために、祈りを合わせ、私たちを誰かとの関わりへと押し出してください。
主よ、関わりあうことを避けるようにと呼びかける時代が続いています。
しかし私たちの心まで、誰かから遠ざけることがありませんように。
誰かを愛する心をもって寄り添い、喜びも悲しみも深く知り、愛をもって支えあう関係へと、私たちを導いてください。
今日ここに集うことのできなかった方々、病の中におられる方々のためにも祈りを合わせます。
あなたが御言葉による導きをお与えください。
慰めと癒し、恵みと感謝に満たし、私たちがどこにあっても決して一人ではないことを、思い起こさせてくださいますように。

2021年4月22日木曜日

次回25日・復活節第4主日礼拝のご案内。

次週2021年4月25日(日)は復活節第4主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「その愛が生まれた理由」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として行われます。
どうぞご自由にお越しください。牧師は長野教会におります。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。 だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

──ヨハネ福音書10章11-18節

2021年4月21日水曜日

今週の黙想文(詩23:1)

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない
──詩編23篇1節


† † †

詩編23編は詩編の中で最も親しまれてきた祈りの一つです。
自らを羊に、神様を羊飼いにたとえたこの祈りは、私たちの心を慰め、平安に満たしてくれます。

羊という動物は方向感覚が鈍く、また周りが駆け出す方向に考えなしに従って走り出してしまう動物であるそうです。
一人であろうと群れであろうと、放っておけば簡単に迷ってしまう生き物なのです。
23編の祈り手はこのような自らの「欠け」を知っているからこそ、羊飼いである神様の導きに全幅の信頼を置いているのです。

神様の導きは私たちから苦難を取り除いてはくれません。
しかし神様の導きの上でそれらが起こる時、意味ある試練として受け取ることが出来るようになるのです。
「命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。(6節)」とあるように、
地上のいのちの歩みの中で起こる全てのことを、神様からの恵みと慈しみの結果として受け取ってまいりたいものです。
(20210418週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年4月18日日曜日

復活節第3主日礼拝 20210418

本日4月18日は復活節第3主日の礼拝でした。
松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として守られました。


新型コロナウイルスのワクチン接種案内が高齢者向けに届きつつあるそうですが、本格的に摂取が始まるのは連休後と聞き、少し心配しています。
連休に向けて施設に隔離される方もおられ、予防のためとはいえ寂しく思います。
皆様一人ひとりの健康が守られ、一日でも早い収束が与えられますように祈ります。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録3章12-19節〈新p218〉
ヨハネの手紙 一 3章1-7節〈新p443〉
ルカによる福音書24章36b-48節〈新p161〉

説教題「そして、証人とされる」

*祈り*

復活の主なる神様。
あなたの復活を喜びたたえます。あなたは私たちに聖霊を吹き込み、復活のいのちに生かしてくださるだけでなく、心の目を開かせ、御言葉を悟らせてくださいます。
私たちが心に響く御言葉と出会う喜びを、あなたとの出会いとして受け止め、私たちに信仰を増し加えてください。
あなたが私たちのために語ってくださった御言葉をいつも私たちの心の中に刻み込み、御言葉によって生かしてくださいますように。

熊本の震災から5年が経ちました。
復旧が進むところもあれば、そうでないところもあると聞いています。
今も避難所での生活をされている方々が500人以上もおられると聞きます。
それ以上に多くの人々があの日、住んでいたところを失い、不安と恐怖に満たされた出来事であったと思います。
その心の傷が癒されるためにまだまだ時間が必要な人もいるかもしれません。
主よ、私たちに降りかかるあらゆる災いから遠ざけてください。
もし逃れられない時にはどうか私たちの逃れ場となり、盾となり、私たちを守り導いてください。
慰めと励まし、寄り添いと癒しの御言葉をもって、生きたあなたの働きが、御言葉と出会う一人ひとりの心を支えてくださいますように。
そして今、新型コロナウイルスという大きな災いの中を私たちは過ごしています。
病と苦しみのなかにある人々、そのいのちをつなぐために命をかけて働いておられる人々がいます。
私たち一人ひとりがその方々のために祈り続けることができますように。
どうか私たちをあなたの御言葉によって立ててください。
あなたが全ての人々のために用意された救いの御言葉を、私たちを通して証してくださいますように。
あなたがそうされたように、誰に対しても心を配り、愛に満ちて関わりあう、そのような関係へと私たちを導いてください。
あなたが祈られたように「あなたがたに平和があるように」と、私たちも祈りつづけることが出来ますように。

2021年4月15日木曜日

次回18日・復活節第3主日礼拝の御案内。

次週2021年4月18日(日)は復活節第3主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「そして、証人とされる」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として行われます。
どうぞご自由にお越しください。牧師は松本教会におります。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、 あなたがたはこれらのことの証人となる。

──ルカ福音書24章36b-48節

2021年4月11日日曜日

復活節第2主日礼拝。20210411

本日4月11日は復活節第2主日の礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。
復活のキリストによって一人ひとりが赦され、赦しあう関係へと生かされていく恵みをみ言葉から分かち合いました。

新型コロナウイルス警戒レベルも長野市の方では高止まりしており、密にならないように最大限の注意を払いつつ、礼拝を継続しています。

皆様一人ひとりの健康が守られ、一日でも早い収束が与えられますように。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録4章32-35節〈新p220〉
ヨハネの手紙 一 1章1節-2章2節〈新p441〉
ヨハネによる福音書20章19-31節〈新p210〉

説教題「息を受ける」

*祈り*

恵みと赦しの主なる神様。
あなたは復活の主を通して、私たちを永遠のいのちへと招いておられます。
それはあなたの大いなる赦しと愛によって、私たちがあなたによって造られた本来の姿として命を受けるためです。
私たちの現実において平和は程遠く、私たちの心の中に心配が絶えることはありません。
時には誰かとの争いが起こること、傷つき傷つけられることが起こります。
主よ、そのような私たちであるからこそ、あなたは癒されることのない十字架の御傷を受け、なおも私たちの平和を祈ってくださいます。
わたしたちのいのちはすべてあなたから与えられたものです。
その命の息があなたによって引き取られるその時まで、私たちがあなたの御言葉に耳を傾け、あなたが吹き入れてくださる新しいいのちの歩みを、今日ここから始めることが出来ますように。
赦されていることに甘んじることなく、その恵みのゆえに、一層深い悔い改めと共に、誰かを許す心を、聖霊の力をもって保たせてください。

新型コロナウイルスの感染拡大が再び起こってきています。
感染力が強く、重症化を引き起こしやすい変異株も広まりつつあります。
どうか主よ、私たち一人ひとりがあなたから与えられたいのちを大切に保ち、それゆえに危険にさらすことのないように、愛と配慮に満ちた日々を送ることが出来ますように。
このような時だからこそ御言葉に聞くことができますように。
関わりを断ってしまうのではなく、むしろ一層誰かのために心を配り、祈りつづけることが出来ますように。
そして特に今日ここに集うことのできなかった方々、病を抱えている方々のために、あなたの癒しと心の平安が与えられますように。

2021年4月8日木曜日

次回11日・復活節第2主日礼拝の御案内。

次週2021年4月11日(日)は復活節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「息を受ける」

と題して、10時半より、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として行われます。
どうぞご自由にお越しください。牧師は長野教会におります。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

──ヨハネ福音書20章19-31節

2021年4月7日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ6:51)

わたしは、天から降って来た生きたパンである。
──ヨハネによる福音書6章51節


† † †

人は身体と魂とで出来ています。
しかし、私たちは身体を養う食事は忘れなくとも、魂を養う食事を怠ることが多くあります。
キリストは自らを、魂の飢えを満たすパンだと言われました。
それを受け取ることは、私たちがただみ言葉に聞くということだけに限りません。
私たちが食事ばかりをして一切動かずにいれば、太りすぎてしまって健康に良くないように、魂も同じなのです。
私たちはみ言葉を受けるだけではなく、悔い改めて新しく生きるように押し出されることによって、私たちの魂はいっそう豊かに満たされることになるのです。
ルターはドイツ語聖書翻訳の際、神の召命を修道士的な職業のみならず「Beruf(職業)」と結び付けました。
私たちが一般的な働きをしているときでさえ、それを神の召命として送り出されている働き、祈りの一つとして数えられると考えたのです。
あらゆる働きを神からのBerufとして心に留めて日々過ごすこと、これこそがキリストというパンによって生かされるということなのです。

(20210404週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年4月5日月曜日

牧師エッセイ(2021年4月)

令和元年、参院選広島選挙区をめぐる買収事件で公選法違反の罪に問われ、初公判から否認し続けていた河井克行議員でしたが、昨月末の裁判では主張が一転し、大部分の買収を素直に認めたことがニュースに取り上げられていました。
これまで買収を認めなかった理由を「支援者や妻の当選に泥を塗るのではないかと思い、潔白を主張してきた」と説明していましたが、家族同然ともいえる後援会関係者の証人尋問が続く中、拘置所で自問自答を繰り返していたのだそうです。
その時、20年来お世話になっていた神父から「自分の内面に誠実に向き合ってください」という電話を受けたことで、自らの罪を認める決意を固めたといいます。

キリストが復活されたとき、手と脇腹には十字架の傷を残されたままでした。
それは人と同様に、共に痛みを分かち合われる神であることの証です。
誰でも、罪を認めるということは大変難しいことです。
ましてや自分のせいで身近な誰かが傷ついたりしたのだとしたら、尚更撤回しづらいことでしょう。
神はその過ちをなかったことにはされません。
痛みを共に分かち合いつつ、罪に向き合い認める勇気を与えるために「あなたがたに平和があるように」と祈られるのです。

罪を認めた克行議員は謝罪と共に、自分が多くの人々に支えられてきた感謝を述べていました。
私たちも復活のキリストと共に自分の内面に誠実に向き合いつつ、感謝に満ちた日々を歩んでまいりましょう。

2021年4月4日日曜日

復活祭(イースター)礼拝 20210404

本日4月4日は復活祭(イースター)の礼拝でした。
松本教会では10時半から、長野教会では15時から、久しぶりの聖餐礼拝として守られました。
両教会とも一年以上ぶりに聖餐の恵みに与ることができました。
松本教会には2名の方が新しく転籍されました。
お二人とも22年前の今日4月4日に洗礼を受けられたという記念日でもあり、神様の導きの喜びを分かち合いました。


また、長野教会での礼拝後、17時半より、先週召天された長野教会員の方の葬儀告別式が執り行われました。
老衰によるもので、安らかな最期だったそうです。その方の魂が主の御許において安らかに保たれますように祈りました。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録10章34-43節〈新p233〉
コリントの信徒への手紙一 15章1-11節〈新p320〉
マルコによる福音書16章1-8節〈新p97〉

説教題「またガリラヤで会おう」

*祈り*

私たちの救い主なる神様。
あなたは御子イエスキリストを十字架にかけられ、私たちの罪をすべて贖い、復活のいのちを与えられました。
それは、キリストのゆえに赦されたわたしたちにも、永遠のいのちを与えてくださるためでした。
私たちひとりひとりが、地上のいのちを歩む者です。
あなたのとの出会いを与えられた者として、日々あなたの御心を探し求める歩みへと誘ってください。
私たちの信仰は弱く、もろく、今にも消えゆくともしびのようです。私たちの信仰を支え、あらゆるところに働かれるあなたの御業と導きとを見出すことが出来ますように。
私たちがあなたを見失い、不安と恐怖の中に迷い込むときには、あなたと出会ったあの日のこと、あなたが私たちを赦し、救い出してくださった日のことを思い起こさせてください。

主よ、あなたの御言葉を聞くことが出来ず、罪の暗闇の中にある人々のために、どうか救いの道を整えてください。
新型コロナウイルスや、様々な病に苦しんでいる人々、生きる気力を失っている人々がいます。自殺者の数も増えていると聞きます。どうか復活の主よ、キリストがその御手をもってあらわされたように、その心と体とを癒してください。
そして天に召された方々の魂を平安に保ち、遺されたご家族の方々に深い慰めを与えてくださいますように。

私たちに与えられる一日一日が、あなたによって守られ、支えられ、恵みに満たされたものとして与えられています。
それは、永遠に生きておられる復活の主が私たちと共に歩んでくださっているからです。
生きて働かれる主の御許に召されるその時まで、どうか私たちを守り導いてください。
いつでもあなたに立ち返ることができる、大いなる赦しをもって私たちを包み込み、恵み豊かな日々へと生かしてくださいますように。
今日ここに集うことのできなかった方々のためにも、祈りを合わせます。
どうかお一人お一人の上に、復活のいのちの約束と喜びと共に、豊かな祝福が降り注ぎますように。
明日の見通しもままならない私たちですが、どうかあなたが私たちの明日を照らし出し、御国への道を共に歩んでくださいますように。

2021年4月1日木曜日

次回4月4日・復活祭(イースター)の礼拝のご案内。

次週2021年4月4日(日)は復活祭(イースター)の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「またガリラヤで会おう」

と題して、10時半より
松本教会では10時半から、長野教会では15時から、両教会聖餐礼拝として行われます。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †



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安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

──マルコ福音書16章1-8節