2020年6月29日月曜日

いのち学-現代の生命科学-

本日29日(月)は松本教会で19時からいのち学が行われました。


2020年度、いのち学始まりました。
感染予防対策のため従来の食事を自粛し、常時換気と椅子の数を減らしての再開です。



今回のサブタイトルは「ウィルスとの共存」。
新型コロナウイルス(COVID-19)の脅威の中に生きる私たちですが、ウィルス全般についての知識を深め、私たちがウィルスとどのように向き合っていくべきであるのかを考えることができました。

わたしたちの命が脅かされているように感じる、新型コロナウイルス。
しかし私たちよりもはるか昔から、ウィルスは存在し、私たちとは別の場所で、確かに共存をしてきたのです。
そしてこのパンデミックを通して、疑心暗鬼や差別や暴力など──私たちのうちにある別の問題もまた浮き彫りになってきました。
わたしたちの生物学的な命だけではない「いのち」にも問いを与えてくれているのかもしれません。

またどうぞ次回もお越しください。
次回は7月20日(月)19時~の予定です。

2020年6月28日日曜日

聖霊降臨後第4主日礼拝 家庭礼拝用 聖書朗読・説教音声


本日10時半より、松本教会・長野教会にて聖霊降臨後第4主日の礼拝が行われます。
礼拝堂に集うことへご不安のある方、またその他の事情のために集うことができない方のために、聖書朗読音声・説教音声を下記にアップいたします。
どうぞご家庭での祈りに用いていただければ幸いです。


**本日の使徒書・福音書朗読**
エレミヤ書28章5-9節〈旧p1229〉
ローマの信徒への手紙6章12-23節〈新p281〉



マタイによる福音書10章40-42節〈新p19〉



*本日の主日説教「伝染する神のいのち」*



*祈り*

宣教の主なる神様。
私たちの教会は危機的な状況の中にあります。しかし主よ、私たちが目に見えるものばかりではなく、目に見えないあなたのお働きにこそ堅く立ち、あなたを信じる信仰によって平安に満たされることができますように。
あなたの御言葉とゆるし、恵みと平安を求めている人々が大勢いることを、あなたはご存知です。新型コロナウイルスが今なお蔓延し続け、不安と罪が増すばかりに思える現実の中にこそ、わたしたちを信仰によって立たせ、宣教のために送り出してください。そして私たちの関わりの外にいる人々を、私たちのもとへと導いてください。
あなたは愛に満ちておられ、一人でも多くの人を救おうとしておられます。このような時だからこそ希望に満ち、より一層深い喜びと共にあなたの御言葉が響き渡りますように。私たち一人ひとりが絶えず悔い改めを通してあなたへの信仰を新たにされ、再び罪の縄目に縛られることがありませんように。

様々な理由から今日ここに集うことのできなかった方々のために祈ります。それぞれの場所であなたの御言葉に聞き、祈りを捧げておられる方々がいます。どうかその祈りを聞き届けてください。み言葉を通して慰めと励ましをお与えください。あなたに御名によってわたしたちは兄弟姉妹とされています。いつどこにいようともあなたがひとりひとりと共にあって寄り添い、宣教の器として立たせてくださいますように。
全てをあなたにお委ねいたします。
この祈りをあな尊き主イエスキリストの御名を通して御前にお捧げ致します。


本日の礼拝全体の録音は
(クリックすると再生されます)
※「ファイルのウィルススキャンを実行できません」と表示されたら、「このまま再生」を押すと再生できます。

2020年6月25日木曜日

次回28日・聖霊降臨後第4主日礼拝の御案内。

次週6月28日(日)は聖霊降臨後第4主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「伝染する神のいのち」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、当日10時より、当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声等を公開いたします。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
 
──マタイによる福音書10章40-42節

2020年6月24日水曜日

今週の黙想(出エジ31:8)

主はあなたを見放すことも、
見捨てられることもない。
恐れてはならない。
──出エジプト記31章8節

† † †

神様に示された約束の地に入る直前、モーセは人々にこのように語りました。
約束の地には先住の人々がおり、衝突は避けられません。
しかもここまで人々を率いてきたモーセはその土地に入れないのです。
だからこそ彼は力強く語るのです。
「主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。」だから「恐れてはならない」というのです。
今、誰もが見通しのつかない未来に不安と恐れを抱いているのではないでしょうか。
恐れは私たちから心の平安を奪っていきます。
しかしイスラエルの人々がその身を持って体感したように、
そしてイエス・キリストが体現されたように、
私たちがこれから歩む道を、神様はいつも先立って行き、整えてくださっているのです。
あらゆる不安と恐れ、困難の中にあろうとも、神様は私たちを決して見捨てることなどありません。
その御言葉にこそ信頼を置く時、不安と恐れの中にあってなお、私たちは平安を取り戻すことが出来るのです。

(20200621週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年6月23日火曜日

草刈りをしました。

教会員の方が除草剤をまきに来てくださったので、一緒に教会の庭の草刈りをしました。
毎年のご厚意に感謝いたします。

今年は早くから気温が上がり、伸びに伸びきっていた草木も剪定しました。
雑草にあんずが埋もれて落ちていたり、端にはラベンダーが薫っていたり。




また一つ一つの花々は昔教会員の方々が植えてくださったものだったという話を聞きました。
その中で薔薇が一輪、綺麗に咲いていました。
この一輪にも、どなたかの思い出があるのかもしれません。




2020年6月22日月曜日

あんず収穫。

教会の庭にあるあんずの樹から、今年も恵みをいただきました。


長野県全体で今年のあんずは大変な不作だそうですが、教会のあんずも例に漏れず……。

とはいえ、今年は全く取れないかな、と思っていたところだったので、むしろ少しでも収穫できたことが予想外でした。
まさに恵みですね。毎年神様ありがとう。

痛んでしまった部分は取り除いて冷凍しました。
昨年に続いて二度目なので、だんだん手際よく捌けるようになってきた気がします。
今年、バザーができるかわかりませんが、もし出来たら作ったジャムを今年も並べられればと思っています。
一日も早い新型コロナウイルスの終息を迎えられますように。

2020年6月21日日曜日

聖霊降臨後第3主日礼拝 家庭礼拝用 聖書朗読・説教音声

本日10時半より、松本教会・長野教会にて聖霊降臨後第3主日の礼拝が行われます。
礼拝堂に集うことへご不安のある方、またその他の事情のために集うことができない方のために、聖書朗読音声・説教音声を下記にアップいたします。
どうぞご家庭での祈りに用いていただければ幸いです。


**本日の使徒書・福音書朗読**
エレミヤ書20章7-13節〈旧p1214〉
ローマの信徒への手紙6章1b-11節〈新p280〉



マタイによる福音書10章24-39節〈新p18〉



**本日の主日説教「いのちの正解はどこにある」**



*祈り*

いのちの導き主なる神さま。
あなたへ向けられる言葉の多くは、苦しみから叫ぶこと、自分の都合の良い未来を願うことばかりです。しかしその祈りを通して、対話を通して、主よ、あなたは私たちをより一層深い苦難へと導かれることがあります。
私たちの無力さを知らしめる現実の中に導き入れ、あなたへの信仰を打ち砕かれ、見失っていくことすら起きるかもしれません。
しかし主よ、その苦難の先に、必ずあなたは祈りへの応答を用意してくださっています。私たちの苦難が決して無駄ではなく、またより一層深い喜びへとつながる道であることを、私たちが今日ここに信じることができますように。
主に感謝し、主を賛美いたします。わたしたちのいのちのすべては、あなたから与えられたものです。どうか主よ、あなたのみ旨のままに、私たちを用いてください。絶えずあなたの御心に立ち返らせてください。

新型コロナウイルスに感染している方々、また不安の中にある方々のために祈ります。主よどうかあなたがその心から不安を取り除き、明日への新しい命へと生かしてください。
病をいやし、一刻も早く苦しむ人々を救い出してください。
そしてそのために働く医療従事者のかたがたを力づけてください。彼らのために十分な休息をお与えください。
この厳しい現実の中にこそ、あなたのみ言葉と愛とを聞き取っていくことができますように。

2020年6月18日木曜日

次回21日・聖霊降臨後第3主日礼拝のご案内。

次週6月21日(日)は聖霊降臨後第3主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「いのちの正解はどこにある」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。

また、当日10時より、当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声等を公開いたします。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
 
──マタイ福音書10章24-39節

2020年6月17日水曜日

「いのち学」の御案内

6月29日(月)19時より、松本教会にて
「いのち学~現代の生命科学~」が行われます!



いのち学、再開します!
今年度、全4回のプログラムを計画しています。
新型コロナウイルスが今なお猛威を振るう中、私たちはどのようにその現実を受け止めていけばよいのでしょうか。
わたしたちを取り囲むこの世界について、また生命科学としての「命」について、
そしてその枠を超えたわたしたちの「いのち」について──。
信州大学特任教授の谷口俊一郎先生を講師として、共に考える時を持ってみませんか?

今回からの参加でも大丈夫です!
参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。軽食(市販品を別途販売)もあります。
また、万が一の場合に備え、受付にてご連絡先をお聞きします。ご了承ください。

6月29日(月)の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

今週の黙想文(使3:26)

それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、
その祝福にあずからせるためでした。
──使徒言行録3章26節

† † †

この世界のすべてを神様が造られたのであれば、悪や悪魔はどうして存在するのでしょうか。
アウグスティヌスという神学者は「悪は善の欠如である」と言っています。
悪が個別に作られたのではなく、善がないという状態を悪と表現したのです。
それでは悪魔はどうでしょうか。
ヨブ記では悪魔がヨブを誘惑しますが、神様はそれを許可しながらも「ただし彼には、手を出すな」と言われるのです。
私たちの目にはこの世で悪が際限なく猛威を振るっているように見えることがあるかもしれませんが、驚くべきことにそれすらも神様の御心のうちにあると聖書は語るのです。
神様は悪魔を通してヨブに問いかけさせ、最終的に悔い改めさせて祝福を与えられました。
神様は今日もあなたが悪から離れ、祝福を受けることを願っておられます。そのためにキリストを遣わして語られました。
たとえ全ての道が悪と誘惑に満ちていようとも、聖書の言葉は確かにあなたを神様の祝福へ導く道なのだと教えています。
だからこそ、キリストの言葉は「福音(GoodNews/善い知らせ)」と呼ばれるのです。


(20200614週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年6月14日日曜日

聖霊降臨後第2主日礼拝 家庭礼拝用 聖書朗読・説教音声


本日10時半より、松本教会・長野教会にて聖霊降臨後第2主日の礼拝が行われます。
礼拝堂に集うことへご不安のある方、またその他の事情のために集うことができない方のために、聖書朗読音声・説教音声を下記にアップいたします。
どうぞご家庭での祈りに用いていただければ幸いです。

**本日の使徒書・福音書朗読**
出エジプト記19章2-8a節〈旧p124〉
ローマの信徒への手紙5章1-8節〈新p279〉



マタイによる福音書9章35節-10章8節〈新p17〉



**本日の主日説教「隣人の小さなキリストとして」**



*祈り*

憐れみと慈しみに満ちたもう神様。
私たちは弱く、罪深く、あなたの御心に沿えない時ばかりです。自分のことだけで精いっぱいになり、誰かを愛そうとしても愛せないことがあります。
しかし主よ、あなたはいつもそのような私たちの隣に立ち、その罪深さに押しつぶされそうになる私たちを支えてくださっています。
かつてないほどに、人々の中にある罪深さが露わになっていく、そのような現実のなかで、あなたこそが十字架の上でその罪を担ってくださったことを思い起こさせてください。あなたの死によって私たちが新しくされ、愛に生きる者として立たされていることに励まされ、絶えず悔い改めることが出来るようにしてください。
あなたの働きを受けた私たちもまた、宣教の始まりにあなたが語った御言葉を語り継いでいくことが出来ますように。あなたが全ての人を神様との関係において愛と赦しに満たし、新しいいのちへと生かしてください。
あなたこそが私たちの揺るがぬ希望であることを信じ、あなたが私たちのうちに生きて働いてくださっていることを、忘れないようにしてください。
私たちの交わりを通して、より一層私たちの信仰を強める糧としてくださいますように。

2020年6月11日木曜日

次回14日・聖霊降臨後第2主日礼拝のご案内。

次週6月14日(日)は聖霊降臨後第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「隣人の小さなキリストとして」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。
初めての方も、礼拝に必要なものはすべてお貸しいたします。
どうぞご自由にご参加ください。

また、当日10時より、当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声等を公開いたします。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

──マタイ福音書9章35節-10章8節

2020年6月10日水曜日

今週の黙想文(IIコリ2:15)

救われる者には命から命に至らせる香りです。
──コリントの信徒への手紙 二 2章15節

† † †

私たち一人一人を宣教の働きに送り出そうとするとき、昇天のキリストを通して語られた「命じておいたことをすべて守るように教えなさい」というみ言葉が響いてきます。
そのとき私たちは、自分は公にキリストの教えを語ることは出来ない、と思うかもしれません。
他方で意識的にみ言葉を語らずしてどうして宣教になろうかと悩むかもしれません。
しかし私たち自身が日々の中にキリストの言葉を見いだし、それを守って生きるなら、その生活そのものが他の人への証となっていくのです。
パウロはそれを「香り」と表現しました。
私たちの信仰は、私たちが生活し、人と関わり言葉を交わす中で、否応なく香り立っていくものなのです。
何故なら私たちの最も近くにいる他者は、他ならぬ神様であるからです。
そして神様との関係のうちに滲み出る信仰の香りは、不思議と他の誰かの心を豊かにし、生かしていくのです。
「世界平和のためにどんなことをしたらいいですか」とマザーテレサが問われたとき「家に帰って、家族を大切にしてあげてください」と語った言葉を思い起こしましょう。

(20200607週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年6月9日火曜日

牧師のヒトコト(2020年6月)

緊急事態宣言が全国的に解除される方針だというニュースがありました。
未だに緊張感は残りつつ、以前のような張り詰めた空気は和らいできたように感じています。

しかし振り返ってみると、私たちがこの数か月経験した『非日常』と、私たちが日常と呼んでいるものとの違いはいったいどこにあるのでしょうか。
『非日常』と言いつつも、それは私たちの日常と地続きになっていて、振れ幅の大きい変化が起きた日常だった、という風にも言えるかもしれません。
昨日と同じ今日はなく、今日と同じ明日がないように、私たちの日常は常に変わり続けているからです。
変わり続ける今を見つめつつ、私たちはどのように今を生きていくのかをいつだって問われ続けているのではないでしょうか。

そして聖書の言葉は、そのような私たちにいつも寄り添っているのだと思います。
聖書の中には、人々が償いきれない過ちを犯した時があり、放浪の旅と戦いの日々があり、そして安住の地にたどり着いてなお救いを渇望する、そのような人々の姿が語られているからです。

私たちはこの数か月、どのようなみ言葉と共に生きてきましたか。
今、どのようなみ言葉が思い起こされているでしょうか。
祈りのうちに問い続けつつ、主と共に生きる日々を重ねてまいりましょう。

(20200607週報記載)

2020年6月7日日曜日

教会讃美歌466番「ひのかげはうすれゆき」




日のかげは うすれゆき
くらきやみ 身をかこむ
助けなき このわれと
ともにいませ わが主よ

闇に照る 十字架を
閉ずる目に 仰がしめ、
生くる日も 死の時も
ともにいませ わが主よ

(教会讃美歌466番)

夜になると、松本教会の十字架はライトアップされます。
礼拝堂後部は全面窓になっていて、外からでも聖壇と明るく照らされた十字架が見えるようになっているのです。

新型コロナウイルスのみならず、日本でも世界中でも、心無い事件が相次いでいます。まさに「くらきやみ」が私たちの周りを取り巻いているようです。
しかしそのようなときだからこそ、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイ28:20)」と語ってくださった昇天のキリストの言葉に耳を傾けたいと思います。

三位一体主日礼拝・聖書朗読/説教音声

本日10時半より、松本教会・長野教会にて三位一体主日の礼拝が行われます。
礼拝堂に集うことへご不安のある方、またその他の事情のために集うことができない方のために、聖書朗読音声・説教音声を下記にアップいたします。
どうぞご家庭での祈りに用いていただければ幸いです。

**本日の使徒書・福音書朗読**
創世記1章1-2:4a節〈旧p1〉
コリントの信徒への手紙 二 13章11-13節〈新p341〉


マタイによる福音書28章16-20節〈新p60〉



**本日の主日説教「丸腰で戦場に送り出される」**



*祈り*

父、御子、御霊の神様。
あなたは天地万物をお造りになりました。しかし罪のゆえに私たちは、あなたの御手を離れ、御心に背いて今日ここまで過ごしてきました。
あなたが天地創造の時から、そしてキリストを通して弟子たちに教えられたように、私たちは互いに関わりあう存在として造られました。わたしたちがその関わりのうちにこそ、あなたから教えられたすべてのことを守り、またあなたの愛と福音を互いに分かち合うことができるように導いてください。

日々の中に起こる様々な問題や苦難によって、あなたの御心から遠く離れてしまう人々がいます。私たちもまた時にそうなるかもしれません。
永遠に私たちと共におられる主よ、今こそ私たちをあなたのみ言葉、福音、その愛と平安へと立ち返らせてください。それを求めながらもあなたに出会うことのできない人々のところへと、私たちを遣わしてください。
心無い言葉や思いによって、尊い命が奪われていく事件が絶えず起こっています。病に対する不安も尽きないなかにあって、どうかあなたの福音を私たちの揺らぐことのない柱として立ててくださいますように。
一刻も早い新型コロナウイルスの終息と共に、一人でも多くの人々の心に、あなたによる平安と愛が満たされますように祈り求めます。
あなたが聖霊を通して導いてくださることにすべてをお委ねし、この祈りを尊き主の御名を通して御前にお捧げいたします。

2020年6月4日木曜日

次回6月7日・三位一体主日礼拝の御案内

次週6月7日(日)は三位一体主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「丸腰で戦場に送り出す」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。

また、当日10時より、当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声等を公開いたします。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

──マタイ福音書28章16-20節

2020年6月3日水曜日

今週の黙想文(ヤコブ4:3)

願い求めても、与えられないのは、
自分の楽しみのために使おうと、
間違った動機で願い求めるからです。
──ヤコブの手紙4章3節

† † †

「わたしの名によって願うことは何でもかなえてあげよう(ヨハネ14:13)」というキリストの言葉はしばしば誤解されています。
祈れば何でも手に入ると考えると考え、いくら祈っても与えられないことに失望して祈れなくなるクリスチャンもいます。
私たちが祈るのは、何らかの御利益を受けるためではありません。
キリストがこう言うのは、子を心から愛している親が、子が望むのなら何だって与えてあげたいと親が思う一方で、願ったものをすべて与えるわけではないからです。
祈りは一方的なお願いではなく、子である私たち、親である神様との対話であるということを思い起こしたいのです。
神様は唯一の正しさをお持ちです。
私たちにとって最も良いものを選び、求める祈りを必ず聞き届けてくださいます。
それは祈る前に与えられることすらあります。
私たちが祈るのは、自分が得たいものを得ようとするためではなく、そうして日々与えられているものの中に神様の御心を尋ね求めるためなのです。

(20200531週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れていただく機会として用いてくだされば幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年6月1日月曜日

「ガリラヤの風かおる丘で」



「ガリラヤの風かおる丘で ひとびとに話された
恵みのみことばを、わたしにも聞かせてください。」


讃美歌21から「ガリラヤの風かおる丘で」。
聖霊降臨祭、おめでとうございます。
信徒の方が大好きだと言われていた讃美歌を、ルーテル長野教会で演奏しました。
ルーテル松本教会・長野教会では無事に主日礼拝として会堂での礼拝を再開することができました。
感染予防のため元通りというわけにはいきませんが、皆で集まって祈りを合わせられる恵みに感謝したいと思います。

聖霊降臨祭は松本教会・長野教会の2つの教会を午前午後に分けて礼拝しました。
長野教会の礼拝堂はいつも礼拝時にマイクがいらないほど音響が良く、また優しい木造の礼拝堂でホッとする雰囲気です。
日曜日、お近くに来られた際にはぜひお越しください。